いざ、ヤクザの下へ
雪乃が峰岸組と話がしたいと口にしてから数十時間後、翌日となり日曜日を迎えたこの日、次郎と雪乃は街中にある喫茶店に居た。
二人は向かい合って座り、互いに飲み物を口にしていた。次郎はコーヒーをブラックで、雪乃は紅茶を優雅に飲み進めていた。
店内にはゆったりとした音楽が流れており、雰囲気の良い店だ。そんな店の中、先に口を開いたのは雪乃だった。
「さて、そろそろ約束の時間ですわね」
雪乃は左腕の腕時計をチラリと見ると、そのままカップを傾けて一口飲んだ後に、ゆっくりとテーブルの上に置いた。
「……なぁ、本当に大丈夫なのか?」
「あら、何がですか?」
「いや、だから……相手はヤクザなんだろ? そんな連中相手に交渉なんてできるのかよ」
「えぇ、出来ますわよ」
自信ありげに言い切る彼女に次郎は思わず眉をしかめてしまう。そんな彼の表情を見た雪乃は小さく笑う。
「ふふっ、心配しなくても大丈夫ですわ。こういった事には慣れていますので、私に任せて下さい」
「……そうかよ」
雪乃がここまで言うのであれば、きっと大丈夫なのだろう。だが、次郎はそれでも内心では不安を拭いきれない。
そう思いながら、次郎はコーヒーを口にする。苦みのある味が口の中に広がり、彼の意識を覚醒させる。
次郎は一息つくと、視線を雪乃に向ける。彼女は相変わらず優雅な様子で紅茶を飲み続けていた。
その姿を見ていると、これからヤクザとの交渉がある様には見えないなと思ってしまう。しかし、実際にあるのだから仕方がない。
そんな事を考えていると、不意に彼女と目が合った。思わず心臓が跳ね上がるような感覚に襲われてしまい、慌てて目を逸らす。
そして、気持ちを落ち着かせる為に再びコーヒーを口にしようかと思ったが、それをやめて水の入ったグラスに口をつけた。
冷たい水が喉を通っていく感覚が心地よく感じる。そして、落ち着きを取り戻したところで、改めて彼女と向き合う事にした。
「それで、一体ヤクザと何を話すつもりなんだ?」
「そうですね、まずは謝罪からでしょうか」
「謝罪?」
予想外の単語が出てきた為、次郎は思わず首を傾げてしまった。しかし、そんな彼女に対して雪乃は話を続ける。
「はい、昨日の件についてです。あの次郎さん達に粗相を働いた不埒物……名前は忘れましたが、彼らの事に関しての謝罪になりますわ」
「……ちょっと待て。何であいつらの事で峰岸組に謝罪が必要になるんだ? あいつらは山城会に所属しているヤクザなんだろ」
次郎は訝しげな表情を浮かべながら、そう言った。それに対して、雪乃はゆっくりと首を横に振る。
「彼らが峰岸組とは違う組織の人間だからこそ、謝罪が必要なのです。この辺り一帯は峰岸組が仕切っています。そしてそんな場所で他の組織の人間を刃傷沙汰にしたのですから、峰岸組からすれば抗争の火種と思うでしょう」
「……確かにそうだな」
次郎は昨日に雪乃から見せられた松永達の惨状を思い出し、納得がいったように頷いた。
そして、少し考えるような仕草をすると、ゆっくりと口を開く。
「けど、昨日の件については大した騒ぎにもなっていないんだろ。情報も出回っていないみたいだし、だったらわざわざ頭を下げる必要は無いんじゃないか?」
「いいえ、そういう訳にはいきません。世間一般的には情報が出回っていなくとも、裏社会では十分に広まっているでしょう。そういった事には敏感なはずですわ」
雪乃の言葉に次郎は確かにその通りだと思った。そもそも、そういった界隈の事を考えれば当然の事なのかもしれない。
もしも、自分達の縄張り内で勝手に争いを起こした挙句、怪我人が出たとなれば黙ってはいないだろう。
「なるほどな……つまり、今回の一件に対して頭を下げておかないと、後々面倒な事になるって事か」
「ええ、その通りですわ。誰だって、自分の家や庭で見知らぬ人が好き勝手していれば不快になるものですもの。ですから、しっかりと謝罪をしておかなければいけません」
雪乃は静かに頷くと、そっとティーカップを手に取って口元に運んだ。そのまま静かに紅茶を飲む姿は実に優雅に見える。
次郎はそんな姿を見ていると、本当に自分と同い年なのかと疑問を抱いてしまう程だ。
「まあ、そういう事なら仕方が無いよな……」
彼女の言葉を聞いた次郎は納得したのか、そう言って頷いてみせた。
すると、それを聞いた雪乃が嬉しそうな笑みを浮かべる。
「それに謝罪の為だけでなく、別の目的もありますわ。私は是非とも、峰岸組の皆さんと交流を深めたいと思っていますの」
「いや、何の為にだよ……」
突然の発言に思わずといった様子でツッコミを入れる次郎であったが、対する雪乃は笑みを浮かべたままであった。
彼女のその表情を見て、何となくだが嫌な予感を覚えた次郎は思わず身構えてしまう。
そんな次郎の様子を見た雪乃が笑みを深める中、彼は内心で冷や汗を流していた。
(まさかとは思うけど……こいつ、また何かやらかすつもりじゃないだろうな)
彼の脳裏に過ぎるのは以前に起こった事件の記憶であり、その際に起きた騒動の数々だった。
それらの記憶を思い出す度に次郎の表情が引き攣っていくのだが、そんな彼に対して雪乃は笑顔を向け続けるだけであった。
「……さて。それでは参りましょうか。場所は事前に調べてありますので案内しますわね」
「……ああ、分かったよ」
色々と言いたい事はあった次郎ではあったが、結局は何も言えずに頷くだけに留めておいた。下手に刺激して藪蛇にでもなれば面倒だからだ。
そうして二人は立ち上がると店を出て、郊外の方へと向かっていったのだった。
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