毒舌秘書、非道な仕打ちを始める



「ふぅ……これで静かになりましたね」


 相良は汗一つかかずに、先程まで騒いでいた男を見下ろしながら呟いた。


 その顔は涼しげなものであったが、目だけは笑っておらず、寧ろ冷たい印象を与えるものとなっている。


「……さて、次はあなたですかね」


 相良はそう言って松永を見た。松永はドスを持ったまま、相良の様子を伺っていた。


「お前……どこの組のもんだ。それとも、雇われか? 何の狙いがあって、俺達を襲うんだ?」


 相良の狙いが何なのかが分からず、松永は質問を投げ掛ける。すると、相良は呆れた様に溜め息を吐いた後、口を開いた。


「はぁ……別に私はどこかの組織の回し者ではありませんよ。そして私自身にはあなた達に何の恨みもありません」


 そう言って首を横に振る相良の姿に、嘘偽りはない様に見えた。


 しかし、だからといってその言葉を鵜呑みにする訳にもいかないので、警戒を解く事なく話を続ける。


「……じゃあ、お前は一体何なんだよ」


「そうですね……強いて言うなら、ただのサラリーマンですよ」


「さ、サラリーマン……?」


「ええ。上の人間から仕方なく命令されて、あなた達を痛い目に遭わせてこいと頼まれた、しがない一企業戦士です」


 困惑する松永を余所に、相良はしれっとした態度でそう言った。


(こいつ、ふざけているのか……?)


 あまりにもふざけた物言いに、松永は思わず顔をしかめた。


 自分達はどう見てもヤクザでしかない。そんな相手に、そんな理由で襲ってくるなんて、正気とは思えないからだ。


 だが、目の前の相手は嘘をついている様子は無い。そして相良は本当の事しか松永には告げていない。


 相良からすれば、こうして彼らの相手をする事自体、面倒な話なのであった。本当であれば、別の護衛にでもやらせたいといった心境である。


 しかし、雪乃からこの任務を告げられた際、彼女は相良にこう言ったのだった。


『この仕事を完遂して頂けたら、特別ボーナスを支給しますわ』


 その言葉を聞いた瞬間、相良の心は決まった。これは絶対にやり遂げなければならないと。


 雪乃に念書まで書かせた上で、相良は意気揚々とこの場に臨んでいるのである。そう、所詮は金なのである。


「さぁ、おしゃべりはここまでです。ちなみにあなたは……特に念入りに痛めつける様にと言われていますので、覚悟して下さい」


 そう言うと、相良はゆっくりと構えを取る。それを見て、松永は慌てて身構えた。


「くっ……」


 対する松永は苦虫を噛み潰した様な表情を浮かべる。その表情からは焦りの色が見えていた。


「どうしました? 来ないのですか?」


 余裕綽々といった様子で、相良は煽る様に声を掛ける。その言葉に触発されるように、松永は動いた。


「うおぉぉぉっ!!」


 雄叫びを上げながら、一直線に相良へと向かっていく。そしてそのまま勢いを乗せて拳を繰り出した。


 それに対して相良は体を捻りつつ避ける。その事に舌打ちをしながら、松永は続けざまに攻撃をする。今度は蹴りを放つが、それも避けられた。


「ふむ……あなたも単調ですね。それでは避けてくれと言っているようなものです」


 冷静に分析しながら、相良は松永の攻撃を避け続ける。その動きは洗練されており、まるでダンスを踊っているかの様な優雅さを感じられた。


「くそぉ!」


 当たらない攻撃に苛立ったのか、松永は怒りに身を任せた大振りな攻撃を仕掛ける。それを難なく躱すと、相良はその隙を狙って蹴りを放った。


 狙いは松永の右ひざ。そこを踏み付ける様にして蹴ったのだ。その結果、蹴られた衝撃で体勢を崩した松永はそのまま地面に崩れ落ちる。


「ぐっ……!」


 痛みに耐える為か、それとも屈辱からか、松永は苦悶の声を漏らしていた。そんな彼を見下ろす形で、相良は口を開いた。


「喧嘩の本職が聞いて呆れますね。私みたいな力の無い相手に一方的にやられるだなんて、恥ずかしくないんですか?」


 嘲笑を含んだ口調で告げる。それを聞いた松永の顔は見る見るうちに赤く染まっていった。


「こ、この野郎っ……! ぶっ殺してやる!」


 そう言って立ち上がろうとするが、右足に力が入らないようで上手く立ち上がる事が出来なかった。どうやら先ほど相良が放った蹴りが原因で立てなくなったようだ。


 そんな状態を見て、相良は更に笑みを深める。そして追い打ちを掛けるようにして言葉を投げ掛けた。


「あなたでは私には勝てませんよ。それは先ほどの攻防を見ても明らかでしょう?」


 相良の言う通りであった。先の攻防において、相良は一切の攻撃を受けていない。


 その事実を突き付けられた事で、松永の顔に悔しさが浮かぶ。だが、それでも諦めずに必死に足掻こうとする姿勢を見せた。


「まだだ! 俺は負けてねぇぞ!」


 叫ぶと同時に、松永は気合で何とか立ち上がろうと歯を食いしばる。そんな彼を嘲笑うかの様に相良が動く。


「全然駄目ですね。非常に隙だらけです」


 そう言って相良は右足でローキックを放ち、松永が支えにしている左足の脛を横から蹴飛ばした。すると、バランスを崩した彼の体は地面へと倒れ込む。


「ぐあっ!?」


 倒れ伏す形となった松永は慌てて起き上がろうとするが、それよりも早く相良は彼の顔面に向かって前蹴りを放った。


 鈍い音と共に鼻っ柱に強い衝撃を受けた松永は大きく仰け反った後に仰向けに倒れる。鼻血が出ているらしく、顔全体が血塗れになっていた。


「ほら、どうしました? もう終わりですか?」


 相良は倒れた松永を見下ろして尋ねる。しかし、それに答える声は無かった。ただ荒い息遣いだけが聞こえてくるだけだ。


「ふ、ふざけ―――」


「ですが、私の方はまだ終わりではありませんよ」


 松永が言い終わる前に、相良は彼を再び蹴り飛ばす。頬目掛けて振るわれたその一撃は見事に決まり、松永は再び地面を転がり、仰向けとなった。


「あ……う……」


 松永は呻く様な声を上げるだけで精一杯の様だ。そんな状態でも戦意を失わず、立ち上がろうとする姿には感嘆を覚える程であったが、今の相良にとっては滑稽以外の何物でもなかった。


「ほう……大した根性ですね。ですが、そんなものには価値なんてありませんが」


 相良は淡々とそうした感想を述べると、スーツのポケットから何かを取り出した。それは柄も何も無い、ただただシンプルなハンカチであった。


 それを相良は丸めると、松永の口にへと詰め込む。そうして喋れない様にしてから、彼の左手の指に手を伸ばす。そしてその中の内の小指を掴んだ。


「さて、お楽しみはこれからですよ」


 そう言うと、相良はその指に力を込める。次の瞬間、パキッという乾いた音が響き渡った。


「~~~っ!!??」


 声にならない悲鳴が上がる。それと同時に、激痛に耐えかねた彼が激しく体を暴れさせた。

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