第94話 ここが新しい家だよ
頭を抱えたくなるようなオークションが終わった。
つつがなくプリンを落札した五所川原は、引き合わされた瞬間に号泣していた。その声の大きさで周りの人も馬も困惑させていたのは語るまでもない。
志穂はひたすらに恥ずかしかったものの、五所川原に対する馬主たちの反応はなぜだか好意的だった。オークション会場で馬以上に目立っていた彼は、終わるや否や大勢の馬主たちから祝福の集中砲火を浴びている。あの落札劇が馬主たちの心を打ったのだろう。カネ持ちの感覚はわからないものだが、挨拶に来るのはいずれも一角の人物ばかり。志穂がホースマンとして認められたように、五所川原もまた馬主たちに温かく迎えられたようだった。
その様子を遠巻きに眺めている志穂の眼前に、着流し姿の老人が現れる。和装に鍔広のシャッポ。独特な出立ちで帽子を脱いで会釈する彼は、五所川原が競り合った相手——財前善治郎だ。傍らには、若いスーツ姿の男性が控えている。
「お主は五所川原の娘か?」
「全然。ただの生産者だよ。すこやかファームの加賀屋志穂」
『馬産担当 ウマ娘』の肩書きを理解してくれるとは思えなかったが、志穂はとりあえず名刺を渡す。受け取った財前はそれを隣の男性に渡し、代わりに名刺を二枚受け取った。一枚は財前の、そしてもう一枚は秘書。生まれて初めて秘書を見た。実在する職業だったのか。
秘書から何か耳打ちされた財前は、馬主たちと談笑している五所川原に目をやる。
「……
「私じゃなくて本人に言いなよ? 喜ぶと思うよ」
「無用」
言えばいいのにと思ったが、昔気質な男というものはそうそう相手を褒めないものだ。激闘の末に互いを認め合った、今は心で繋がっている——なんて本気で思っているのだろう。はた迷惑なツンデレジジイめ。
「ときに小娘。東京に来ることはあるか?」
「さあ、わかんない。今月末のジャパンカップは観に行きたいけど」
「関口」
告げると、スマホ片手に速やかに手はずを整えた秘書が告げる。
「手配いたしました」
「うむ。では、また会おう」
「は? 何それ」
去っていく財前は何も答えない。代わりに男性秘書、関口が志穂のスマホ宛にメールを送ってくる。
文面には、新千歳から羽田の航空券とホテルの地図、さらには東京競馬場までの足代わりであるタクシーの予約番号がつらつらと並んでいた。
「加賀屋様にご招待です。他、用立てるものがあれば私にご連絡ください」
「え? タダで!?」
秘書、関口は首肯しつつ、「ここだけの話」と囁いて去って行った。
「財前様は先の五所川原様、加賀屋様をいたく気に入っておられます。不躾なお願いではございますが、何卒ご検討のほどを」
財前は本当にツンデレジジイらしい。どうせなら種付け料の三百万円を用立ててもらうのもアリかもしれない、なんて皮算用をしていた志穂の元に、少し疲れた様子の五所川原が戻ってきた。危うく名刺を切らせるところだったと笑っているところを見るに、うまく馬主たちとの交流を深められたのだろう。
「用は済んだ?」
「ああ、待たせてすまなかった! 帰路につくとしよう!」
帰りの車中で、プリンの今後は決まった。預かってもらう厩舎を探す当面の間は、志穂の予想通りすこやかファームでの預託となる。預託料もしっかり貰えることになったので、志穂にとっては初めての仕事だ。
二時間あまり走って、車はすこやかファームに戻ってきた。
実家の駐車場に停めると、五所川原はわざわざ車から降りて志穂に頭を下げた。
「志穂君のおかげでいい馬と巡り会えた。私のプリンちゃんをどうかよろしく頼む!」
「はいはい。そっちも仕事がんばって」
「もちろんだ。希望となれるようにしよう!」
言って、五所川原はいたく気に入ったという『うまぴょい』をヘビロテしながら帰っていった。
嵐のように過ぎ去った五所川原の襲来から数日。
いよいよすこやかファームは、新しい家族を迎えることとなった。
『シホ! 車の音がするよ! おかーちゃんも聞こえるよね!?』
『あら、本当ねえ〜。どんな子が来るのかしらねえ〜』
「みんなでお迎えするかー!」
すこやかファームの玄関口にハルとクリスを連れていくと、大きな馬運車がゆっくりと速度を緩めて停まっていた。運転手と簡単に挨拶をして後方ドアが開くと、綺麗な月毛色の馬体が姿を現す。
「おお。いい馬買ったなあ、あのやかましい馬主は!」
「もったいないくらいだよ」
豪快に笑う父親に適当に答えて、志穂も荷下ろし作業を手伝う。月毛のプリンは周囲の環境が変わったからか、キョロキョロと周囲を見渡していた。
「プリン、聞こえる? ここが新しい家だよ」
馬運車を見送って、志穂はプリンの綱を引く。なかなか動いてくれないのは、目の前に見知らぬ馬——ハルとクリスがいるからだろう。
『…………』
やはり心を開いてくれる様子はない。そうそう簡単ではないのだろうと悩む志穂の一方で、ハルはすぐさま駆け寄って、馬なりの挨拶をし始めていた。
『わーッ!!! すごく綺麗だね!? ねえねえキミ速い!? ボクとかけっこしようよ!』
『…………』
だが、プリンは挨拶にも応じない。耳を引き絞って怯えていた。
まるで陽キャじみた距離の詰め方をするハルが苦手なのかもしれない。
「大丈夫だよ、うちの子はみんな優しいから」
『ねーねー名前は!? ボクはハルだよ! あっちにいるのはおかーちゃん!』
『ゆっくりしていってねえ〜♪』
のそのそやってきたクリスに、プリンはようやく耳を立てていた。歳上の存在は、若馬にとっても落ち着くのだろう。
ようやく足を動かしてくれた三頭を連れて、広大な放牧地の側に立つ簡素な馬房に連れていく。
何度も話しかけるハルに「長旅で疲れてるから騒がないで」と釘を刺しつつ、クリスのお隣の馬房へプリンを案内した。とりあえず水を汲んでおくと飲んではくれたので、あとは慣れてくれるのを待つだけだろう。
志穂は馬房に寝転んで、プリンの月毛を眺めていた。やはりプレミア感のある満月のような輝きはよく目立つ。デビューできればスランネージュほどではないにせよ、アイドルホースになれる逸材だろう。
『……ここは、あの子たちだけ……?』
落ち着いたのか、おっかなびっくりしつつプリンが尋ねてくる。
「そ。プリンと同い年のハル。ハルは実質、ひとつ下だけどね」
『ほ、他にはいない……?』
「たまにレインって男の子が来るけど優しい子だよ」
『みんな、あなたの……家族……?』
「ん。シホでいいよ」
『わたしも……シホの家族?』
立ち上がって、プリンに手を伸ばす。やはりまだ慣れてはくれていないのか、警戒するようにたじろいでいたけれど、志穂は構わず近寄ってクリームみたいな流星を撫でた。
どうか落ち着いてほしい。危害を加える悪い子がいないとわかれば、きっと落ち着いてくれるだろう。
「そうそう、ここには悪いヤツはいないから。まずは長旅で疲れただろうし、ゆっくり休んで」
近くに積んでおいたコンテナからニンジンを取り出して、鼻先に向けてみた。プリンは迷いながらもひと齧りして、すぐさま残りを口の中に放り込む。
「美味しいでしょ?」
『……うん』
とりあえず会話はできた。一歩前進だ。
うし、と小さくガッツポーズしつつ、志穂は写真を五所川原に送っておいた。既読がつくなりとんでもない長文が送られてきたので既読無視してプリンの馬体を撫でていく。
ハルよりも少し小柄ではあるけれど、さすがは超一流牧場だけあって馬体はしっかりしていた。だいたいの二歳馬がデビューを始めているこの時期に出品されたワケあり馬ではあっても、この調子でいけばハルよりもデビューは早いだろう。
そして、となると預かってくれる厩舎を探さなければならない。どうせ五所川原は厩舎のシステムすら知らないのだ。
「ハッシーのトコ空いてたらいいんだけどな」
祈るような思いで、志穂は羽柴に連絡を取ってみることにした。
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