第7話 青鹿毛でも栗毛の子
『おかあちゃーん! おなかすいたおなかすいたおなかすいたおなかすいた!』
『リンゴ! リンゴがほしいわ! この子のぶんも!』
「これから剥くから。ちょっと休ませて……」
馬小屋とサイロをひたすら往復して、志穂は馬小屋のそばにへたり込んだ。
家族が増えれば仕事も増える。あとは単純な計算で疲労も倍。体育の授業くらいでしか運動しないインドアな志穂には毎日が重労働の連続だ。
『ねえ〜? ねえ〜?』
「はいはい」
仔馬を見守っていたクリスをお望み通りに撫でてあげると、『もっと』とばかりに寄ってくる。すると筋肉痛も忘れて撫でまくっているから不思議だ。
『おかーちゃんたのしそう!』
『あなたにはまだ早いわよ〜』
「悪い母親だなあ……」
仔馬の前だろうと独り占めするのがいかにもクリス。お母さんだって甘えたいのだろう。口角が気持ち悪い角度に上がりそうになるのをぐっと堪えて、志穂はご褒美のリンゴをいつもより多めにあげた。
世話を始めて一週間。志穂にもわかってきたことがある。
『ねえ走りたい! お外出たい! 走っていい、おかーちゃん!?』
『そうねえ〜』
まず、馬の睡眠時間について。
時刻は午後十時。よい子は眠る時間だが、馬にはそんな常識はない。
長時間ぐっすり眠る人間と違って、馬は短時間の睡眠を小分けに取る。あるいは器用なことに立ったまま寝るらしい。クリスの世話——ついでに本
『なんだか、ねむい……すう……』
『そうねえ〜』
『でも、やっぱり走りたい! 外出たい出たーい!』
そしてたった半日で、仔馬の——子育ての大変さを実感した。
馬だろうが人だろうが、子どもは落ち着きがなくてやかましい。限界までギャンギャン動き回って、電池が切れたようにぐうぐう眠るのは生き物共通だ。
ふかふかの寝藁にフォークを突き刺して親子を眺めていた志穂は、ふとした疑問をつぶやいた。
「それにしても似てないよね、アンタら親子って」
二頭は互いに鼻先を近づけて首を傾げた。その仕草だけなら似ているけども。
クリスと仔馬、大きな違いはなんといっても毛色だろう。
栗色の毛だから栗毛と表現するわかりやすいクリスとは違って、真っ黒な仔馬は青鹿毛と呼ばれる、黒だか青だかそもそも鹿じゃねえかと言いたくなる毛色だ。
もしかすると父親似なのかもしれない。遺伝のことはさっぱりだが。
「その子の父親って誰?」
『覚えてないわね〜。前の父親なら覚えてるんだけど〜』
「これはコメントに困る……」
人間に喩えたらなかなかのインモラルっぷりだが、あくまで馬の世界での話だ。
今後、人間の常識だけで判断してはいけない。そう胸に誓って志穂は興味本位で尋ねてみた。
「でも覚えてるってことは、印象に残る馬だったんだ?」
『そうよお〜。毛並みがとっても素敵でねえ。生まれた子も綺麗な女の子だったわあ〜』
「名前はわかる?」
『たしか、どう……どうらーめんって呼ばれてたようなあ……』
「ドウラーメン……」
頭にタオルを巻いて腕を組んでいるこだわりラーメン屋ケンタウルスの姿を想像して、志穂は頭を振った。
そもそも父馬の名前を知ったところで志穂には何もわからない。いくら馬と喋れると言ったって圧倒的に知識が足りないのだ。
『えっ!? ボクにはお姉ちゃんがいるの!?』
『そうよお〜。かけっこが得意でねえ〜』
『ボクより速かった!?』
『ふふ、どうかしらねえ〜』
「やっぱり知識は必要か……」
親子の会話を聞きながらも、志穂は考えを巡らせる。
もっと二頭のことを知るためには。なるべく最短効率で、馬について幅広く知識を深めるには、どうすればいいだろう。
「……あ、そっか」
ひらめいた。善は急げだ。
*
「というわけで入部します。馬事研」
「はうあ!?」
翌日。志穂は何食わぬ顔で生徒会室に踏み込んで、入部届を机に叩きつけたのだった。
一番驚いたのは誰あろう、昨日ひと悶着あった会長の晴翔だ。言葉を探して口をぱくぱくさせている。もちろんそれはワケのわからない叫び声を上げた古谷先生も同じ。
それゆえ志穂を歓迎したのは茜音だったが——
「ほ、ほら! あたしの予想通り志穂ちゃんは戻ってきた! ええ!? なんで!?」
——大いに驚いていた。
とりあえずこれで入部できたし身内になった。なら外ヅラを使う必要もないと、志穂はソファにどっかりと腰を下ろす。
「入ってあげたから教えてもらうよ、競馬のこと」
「でも嫌いって言ってなかった……?」
「ああ、それですか……」
おずおず手を挙げて聞いてくる古谷先生に、志穂は笑顔で言った。
「気づいんたんです。私は競馬じゃなくて、予想をハズしたのは他ならぬ自分なのにその失敗を棚上げして馬や騎手のせいにして喚き散らすバカが嫌いなんだって」
「やめて加賀屋さんその発言は私に効く」
「失敗も認められないようじゃ上手くならないですよ、競馬」
古谷先生は痛いところを突かれて絶命した。ついでに予想を外して二度死んだ。
ただ、啖呵を切ってはみたものの実際のレースからは何もわからなかった。むしろ見れば見るほど疑問が次々増えていく。
「う〜ん、何もわからん。どこから手をつけるべきなのこれは……」
「志穂ちゃん。競馬の勉強がしたいってことでいいのかな?」
「とにかく手っ取り早く詳しくなりたいの。ブチのめしたいやつがいるから」
暗に視界の端っこにいる晴翔に敵意を送るだけ送って、茜音には愛想笑いを作った。晴翔は無視を決め込んでいるが、茜音は何かしら納得したようで大きく頷く。
「そういうことなら任せてもらおう! 茜音ちゃんの競馬入門始めるよ〜!」
かくして謎の私服メガネ女子、藤峰茜音の講座が始まった。
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