第106話 繰り返される声
「両者、礼! ――始め!」
学園長の声が高らかに響き、決勝戦の火蓋が切られた。
顔を上げ、意識を集中させる。白と桜色の魔術陣を同時展開し、即座に術を発動させた。
「《時は流転する――我らに守護と追い風を与えたまえ》」
二色の光が私とルーファスを包む。防御と加速の術だ。使い慣れた術だ、昔より遥かに効果が上がっている。そう簡単に破られはしないだろう。
そこで満足せず、すぐに魔術陣を展開する。
魔道具を持ち込んだ人間がいるのだ。備えはいくらあってもいい。
向かいに二色の光が見えた。殿下の足元には緑色の、ブリジット嬢の足元には水色の魔術陣が浮かんでいる。
私が術を発動した後、あちらから攻撃が放たれるだろう。回避の猶予があるかは微妙だが、まあ大丈夫か。
「《時の流れを緩ませよ、ターディー》!」
桜色の光が相手を包む。殿下の焦る声が耳を打った。自身に生じた異変が何か、察したらしい。
彼らにかけたのは、動きを鈍らせる術だ。
ブリジット嬢が持つ魔道具は、威力を増加させるもの。術の発動速度に変化はない。
ならば、私たちが重視すべきはスピードだ。
例え相当な威力があろうとも、術を展開できなければ意味がない。術の発動速度で上回れば、彼女の動きを阻む事は可能だ。
要は、術を展開する余裕を与えなければいい。
ゆえに、こちらに加速、あちらに減速の魔術をかけたのだ。これで発動速度に大差がついただろう。
本来なら、彼女に威力低下の魔術をかけたいところだが。それは諦めるしかない。魔道具の持ち込みという不正が、周囲から分かり難くなってしまう。
大した理由もなく、持ち物検査はできない。彼女の不正を暴くには、多くの人間に違和感を抱かせる必要があった。威力低下の術をかければ、その機会を逃すことになる。
多少の危険を冒してでも、彼女の不正は暴きたい。この戦闘を通し、違和感を覚えてもらえれば良いのだが。
「《風の刃よ、ウインドエッジ》」
「《水の刃よ、アクアエッジ》」
殿下とブリジット嬢の術が発動する。風と水の刃が同時にこちらへ迫って来た。先程の術が効いたのか、自身で回避する余裕はあるが。
その必要はなさそうだと、笑みをこぼした。
「《立ちはだかるは静かな守り、フロストウォール》」
私を守るように、透明な壁が聳え立つ。美しき氷の壁は、二つの刃を容易く防いだ。
回避しなくて良かった。ルーファスが防御へ回ったおかげで、魔道具の効果を確認できた。
魔道具が魔術の威力をどこまで上げるのか、それを知りたかった。氷の壁に阻まれたのを見る限り、防げないほどではないらしい。
とはいえ、油断は禁物か。今のは初級魔術。より強力な魔術では、どうなるか分からない。
あちらが様子見をしている間に、万全の状態を整えるべきだろう。
方針を決め、魔力を流す。地面に白い魔術陣が浮かび上がった。
それを見るなり、ブリジット嬢も魔術陣を展開する。
おや、と内心で首を傾げた。一体何のために、私を追うように魔術陣を展開したのか。
私の足元を照らすのは白い光。これは、祈信術を使う証だ。攻撃魔術を放つ属性ではない。
彼女が攻撃魔術を放つなら、一定程度の意味はある。ルーファスが作った壁を壊せるなら、という条件つきだが。
壁を壊し、私へ魔術を当てられるのなら。今魔術を放つ意味はあるだろう。
他方、防御に回すなら、悪戯に魔力を消費するだけだ。私が攻撃魔術を放たない以上、今焦って防御する必要はない。
これは決闘であり、学年末試験だ。当然のことながら、決闘時の判断も審査対象である。
彼女は一体、どちらを選んだのか。
ブリジット嬢の魔術陣が強く光る。発動の準備ができたようだ。私も意識を集中させ、止めていた術を発動させる。
「《氷よ、我らを守りたまえ》」
「《聖なる光よ、我らに勝利と栄光を》」
水色と白の光が浮かび上がる。光が交差することはなく、自陣にて輝いた。
彼女は氷による盾を作り、私は攻撃力上昇の支援を行う。
誰が見ても、彼女の選択が間違いだったと分かる。こちらが攻撃を放たない以上、彼女の最適解は私を狙い撃つことだった。
もっと言えば、私を追いかけるように魔術陣を展開すべきではなかった。
彼女も、予想が外れたことを理解したらしい。唖然と私を見つめている。
それに口角を上げ、再び魔術陣を展開した。
足元を染めるは黄色い光。今度こそ、彼女がお待ちかねの攻撃魔術だ。
私の笑みに気づいたのか、彼女が顔を赤く染める。怒らせたようだが、知ったことではない。
ここは決闘の場。感情を乱されるのは未熟な証だ。
付け加えるのなら、私にも彼女への不満がある。これまでの鬱憤を、晴らさせてもらおう。
ルーファスが作った壁から飛び出し、彼女たちを守る盾へ照準を合わせる。
「《我が敵を撃ち抜け! アースバレット》」
六発の弾丸が勢いよく放たれる。速度、威力共に跳ね上がった弾丸は、瞬く間に盾へと到達した。
甲高い音が鳴り響き、パキリ、と亀裂が走る音がする。音は次第に大きくなり、無惨にも崩れ落ちた。
「なっ……!」
彼女が驚愕の声を上げる。驚いている暇があるのなら、即座に術を組むべきだろうに。戦いでは、その一瞬が命取りだ。
それを証明するように、私の背後に冷気が漂う。準備は万端なようだ。
「《清き水よ。悪しきを流し、正しさを示せ》」
大量の水が、彼女たちへ襲い掛かる。激しい濁流にのまれる様を見るも、警戒は解かなかった。
このまま終わることはないだろう。あちらには、殿下がついている。
ここからが、正念場だ。
「っ、避けて!」
水の流れに違和感を覚え、咄嗟に声を張り上げる。彼は迷うことなく地面を蹴った。
大きく右へ飛んだ直後、元いた場所に暴風が放たれる。
さすがというべきか。攻撃を受ける中でも、反撃の一手を用意したらしい。
それは、激流すらも跳ね飛ばす強力な風だった。風が吹き抜けると共に、水しぶきが宙を舞う。太陽の光を浴びて輝く雫は、やけに美しく見えた。
「はは、さすがだね。二人とも」
美しい金の髪から、水滴が落ちる。笑みを浮かべているものの、殿下の瞳は闘志に燃えていた。
やはり、簡単には終わらせてくれないらしい。彼の足元には、緑色の魔術陣が浮かんだままだ。
スピードでは敵わないと悟り、魔術陣を常時展開することにしたのか。魔力消費は相当なものになるが、タイムラグを埋めることはできる。
難点はただ一つ。長期戦が不利になるということだ。
「おや、あちらも相当やる気のようだ」
「凌ぎ切れば勝ちは見えるけれど……それはちょっとね」
「同感だ。せっかくの大舞台、派手に打ち合おうじゃないか」
ルーファスの瞳に、ぎらりと光が灯る。
決闘という場に気が昂っているようだ。異母兄と正々堂々戦えるチャンスとあれば、無理もない。
16年間受けてきた屈辱、それを晴らしたいというのなら。主として、友として、支える以外の選択肢はなかった。
「援護するわ。あなたは好きにやって」
「感謝する」
短く礼を言うと、ルーファスも魔術陣を展開する。
殿下もルーファスも、魔力量は相当なものだ。
しかし、常時展開となれば負担は大きい。
ルーファスに至っては、速度の点で殿下を上回っている。魔術陣を常時展開する必要はないのだが、同じ条件で戦うことを選んだようだ。
きっと、理屈では無いのだろう。今の彼にあるのは、真っ向から叩き潰すという意志だけだ。
「《大地を駆ける風よ。壮麗たる息吹よ。このひと時、荒れ狂う試練となれ!》」
「《凍てつく息吹よ。香りなき花よ。無慈悲なる白魔よ、惨劇を謳え!》」
魔力が凄まじい速さで収束する。肌を刺す空気は、これから起きる衝撃を知らせるかのようだ。
「《オーディール・テンペスト》!」
「《トラジディーエンド》!」
地を吹き上げるほどの暴風と、天から降り注ぐ雪の嵐がぶつかり合う。衝撃の余波が、私の方にも襲ってきた。
吹き荒れる風の影響は大きく、息を吸うのもままならない。足はじりじりと後ろに下がり、気を抜けば飛ばされてしまいそうだ。
閉じそうになる瞼を、懸命に押し上げる。風の勢いと、雪の嵐が視界を狭めてくるけれど。
ここで目を閉じるわけにはいかない。私には私の、やるべきことがある。
風の勢いがわずかに弱まった頃、遠くで水色の光が輝いた。
そうはさせるかと、私も即座に魔術を組み上げる。彼女の相手は、私の役目だ。
「《凍てつく息吹よ、我が敵を喰らいたまえ! ブリザード》!」
「《飢えを満たし、我がものとせよ! ダストストーム》!」
ブリジット嬢に合わせ、私も魔術を放つ。吹雪と砂嵐がぶつかり合った。
魔道具の影響か、オリエンテーションのときより遥かに威力がある。気を抜いたら押し切られてしまいそうだ。
けれど、負けるつもりは毛頭ない。
こちらも支援魔術で底上げ済みだ。加えて、本来の実力差もある。多少の苦しさはあれど、諦めるほどではない。奥歯を噛み締め、魔力を注ぎ込んだ。
「へえ、悪くない手だ! けれど、あなたが思うほど我が聖女は甘くない」
ルーファスが楽しげに語る。自身を狙った攻撃に気づいていたらしい。
そして、私が防ぐことも予想していたようだ。無防備な背中が、その証か。私が防ぎ切ると、確信しているらしい。
そんな姿を見せられて、失敗などできるはずもない。向けられた信頼に、自然と口角が上がった。
両足に力を込め、意識を集中させる。吹雪を押し留めようと、懸命に砂塵を舞わせた。水分吸収と威力の相殺を図る。
幸い、魔力は未だ潤沢だ。地面にも土は多くある。手詰まりになることはない。
ルーファスの信頼に応えるため。そして、この試合に勝利するために。ここは決して引き下がれない。
数十秒、若しくは数分か。意識を全て向けていたため、正確な時間は分からない。
吹雪と砂嵐のせめぎ合いは、不意に終わりを迎えた。
「う、」
吹雪がぷつりと途絶える。地面には、泥と化した砂だけが残された。
あちらの魔力切れだろうか。凌げたなら良かったと、前方へ視線を向ける。
そこには、愕然と佇むブリジット嬢の姿があった。
「うそ、うそよ、こんな……」
彼女は震える声で呟き、頭を左右へ振る。突然の行動に、私は目を丸めた。
ブリザードは、彼女が得意な魔術だ。その上、今は魔道具で威力を上げている状態。破られるなど、微塵も考えていなかっただろう。
彼女の性格上、逆上くらいは覚悟していたのだが。この展開は予想していなかった。
彼女は声を震わせ、目を強く瞑る。まるで何かに怯えるかのようだ。余程精神的に追い詰められたのか。
戦闘意欲など、疾うに失っているように見える。
どうしたものかと、ルーファスと顔を見合わせる。
ペアである殿下も、婚約者の異変に驚いているようだ。
私たちに攻撃意思がないのを確認すると、彼女へ優しく声をかけた。
「リジー? どうかし、」
殿下の声が途切れる。突然、彼女の胸元が光り出したからだ。
正直なところ、光と呼ぶべきかも分からない。ぼんやりとした黒い靄に、淡い光が纏わりついているように見える。
「俺の後ろへ」
「ありがとう、ルーファス」
彼が私を背に庇う。恐れていた事態が起きたのかもしれない。
魔道具の暴走。目の前の異変は、それが原因ではないか。
胸元が光ったのを見る限り、ネックレス型の魔道具をつけていたのだろう。
予想はしていたが、やはり粗悪品を頼ったのか。
「リジー? それは、一体……」
「ジェームズ殿下!!」
ブリジット嬢へ近づこうとする殿下に、慌てて制止の声を上げる。その声に、殿下はびくりと肩を揺らした。
異変が起きる場に近づくなど、一体何を考えているのか。婚約者思いなのもいいが、自身の立場を思い出してもらいたい。
そう考えている間にも、怪しい光は止めどなく溢れていく。
次第に量を増すそれに、私は即座に魔術陣を展開する。
「《流転せよ! 守護のヴェールを我らに!》」
守りを固めるように、私とルーファス、ジェームズ殿下が光に包まれる。
その直後だった。
「きゃああああああああああ!!」
ブリジット嬢の悲鳴が上がる。それに伴い、黒い光が噴出した。淡く光っていたときとは比べ物にならない量に、思わず息をのむ。
熱いと叫ぶ彼女の声が、遠くに聞こえる。禍々しい光に、全身が粟立つのを覚えた。
「学園長!」
「任せなさい。ジェームズ殿下、失礼する!」
私の声に答え、学園長は魔術陣を展開する。その瞬間、殿下の身体が宙へ浮かび上がった。
ここから離脱させるようだ。風に乗せて観客席へと運んでいる。
的確な判断だろう。失礼な言い方になるが、殿下がいても役に立たない。魔術ではなく、精神面の問題だ。
誰が見ても分かる異常事態。
にもかかわらず、無防備に異変へ近づくなど言語道断だ。心配するなとは言わないが、危機感が足りない。足手纏いになるのは目に見えていた。
「はあ、最悪な展開だな」
「こうも予想通りに事件が起きるとはね。せっかくの決闘も台無しだわ」
「全くだ。……さて、愚痴はこの程度にしよう。招かれざる客のお出ましだ」
ルーファスが示す先は、実技訓練場の入口だ。先程まで閉じられていた扉が、大きな音と共に開かれた。
視線の先には、魔獣の軍勢が見える。先頭にいるのは、ベント子爵領でも遭遇したニーヴウルフだ。興奮状態にあるのか、瞳はやけに血走っていた。
「学園長、ご助力願います」
「もちろんだよ、ルーファス。本来なら君たちを逃がすべきだが……一刻の猶予もない。出入口も魔獣で封鎖されている。
増援が来るまででいい。力を貸してくれ、二人とも」
「喜んで」
学園長の言葉に、私は即座に返事をする。そのまま魔術陣を展開し、学園長へ支援魔術をかけた。
魔術を使用したせいか、魔獣たちの視線がこちらへ移る。向けられた瞳に、息をのんだ。
魔獣の瞳に変化が現れたのだ。先程までの獰猛さはなりを潜め、どこか冷静な色を宿している。
これらも全て、操られた魔獣だろうか。
「これは凄い! 最近老いを感じていたが、現役を思い出す身軽さだ!」
「お役に立てたなら何よりです」
明るく笑い飛ばす学園長に、私も口角を上げる。
きっと、私たちの緊張を解そうという配慮だろう。明るい声とは裏腹に、学園長の瞳は魔獣を見据えたままだ。
油断なく向けられる瞳に、あちらも動けないらしい。場は膠着状態へと入っていた。
観客席は騒然としていた。突然魔獣が現れたことで、恐慌状態に陥っている。中には助力しようと機をうかがう者もいる。
今下手に手を出せば、場が混乱するのは必至だ。瞬く間に膠着状態は霧散するだろう。それが私たちにとって功を奏すかは不透明だ。
冷静に判断してくれたようでありがたい。
ちらりと王妃殿下へ視線を移す。口元に扇を当てて、訓練場を見下ろしていた。
目尻が下がっていなければ、毅然とした姿に見えただろう。口元を隠していても、仄暗い笑みが透けて見える。
はらわたが煮えくり返るとはこのことか。彼女にとって、これは面白い見せ物のようだ。
人が苦しむ様を、娯楽のように思っているのか。罪人を魔獣の餌とし、甚振られる様を鑑賞するかの如く。その瞳は楽しげに細められている。
近くに座る陛下は、事態解決のため指示を飛ばしているのに。彼女は心配する素振りすらない。
醜悪さに反吐が出そうだ。嗜虐的な笑みは見るに堪えない。私はそっと視線を逸らし、息を吐いた。
冷静になれ、心の中で呟く。今私がすべきは魔獣の無力化だ。
諸々の追求はその後。目の前の問題を片付けねば、多くの命が失われてしまう。
魔獣へ視線を戻すと、ニーヴウルフの視線が動いたのに気づいた。
向けられた先は、一人佇むブリジット嬢だ。
「《母なる大地よ、彼の者を守りたまえ》!」
即座に魔術を組み上げる。ブリジット嬢を囲むように、土の壁を築いた。
その直後、ニーヴウルフの身体が壁に激突する。相当な衝撃だったが、崩れる様子はなさそうだ。
真っ先にブリジット嬢へ向かったのは、彼女が無防備に見えたからか。
それとも、魔獣たちの狙いが彼女なのか。
確実なことは不明だ。
だが、この事態に魔道具が関係しているのは間違いないだろう。
私の予想は最悪の形で当たったらしい。
どういう経緯かは知らないが、彼女はあの魔道具を
身につけている以上、彼女が必要としたのは確かだ。
しかし、
その結果が、この惨状だ。
「壁は私が維持します。最速で処理しましょう」
「助かる、アクランド嬢」
「任せたよ」
私の言葉を聞き、学園長とルーファスが魔術陣を展開する。
魔獣の群れは、次第に数を増していた。訓練場の入口から、次々と雪崩れ込んで来る。ニーヴウルフだけでなく、奥には大きな影も見えた。
深く息を吐き、標的を見据える。耳には、多くの声が届いていた。
上がる悲鳴。焦燥感を露わにする声。宥めようとする騎士に、涙混じりの嗚咽。
あの日と同じだ。静まり返った街が、血に染められた夜。
あのときも、胸を抉られる声が聞こえた。
救いを求める声は、未だ止まない。
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