第105話 因縁の相手


 炎が迫ってくる。風を切る音は大きく、相当な速度が出ていると分かった。

 冷静に左へ飛び、炎が通り過ぎるのを横目で見る。熱波が私の髪を煽り、桜色が視界の端に映った。


 足元に魔術陣を展開する。私の行動を察したのか、あちらも追いかけるように魔術陣を開いた。

 視界の先には、赤と黄色の光が溢れている。息の合う二人は、強敵だけれど。


 「負けるわけにはいきませんから、ね!」


 詠唱を削り、術を発動させる。私が仕留める必要はない。彼らの足場さえ崩せば、こちらのものだ。


 地面が隆起し彼らの足場を崩し始める。突如として突き出た岩に、慌てて飛び退くのが見えた。

 当然、それを見逃すつもりはない。


 「ルーファス!」

 「任せてくれ」


 私の背後からルーファスが躍り出る。巻き込まないようにという配慮か、私を背に庇うように立った。既に組み終わった術式は、滑らかに術を具現化する。


 「《美しき雪が、汝を醒めぬ夢へと誘おう――スノーガーデン》」


 肌を刺すほどの冷気が流れ込む。集められた冷気は、そのまま彼らを取り囲んだ。それは瞬く間に、氷へと姿を変える。


 薄い氷で覆われたドーム。舞い散る雪の下、二人の人間が佇んでいた。

 それはまるで、幼い頃に見たスノードームのようだ。どこか幻想的な世界に、ほう、と息を吐く。


 「――そこまで! 勝者、アクランド・ルーファスペア!」


 勝敗を告げる言葉に、会場内に歓声が上がる。地面を揺らすほどの大きな音は、彼らの興奮を表していた。

 試合中は固唾を飲んで見守っていた観客席が、今や大賑わいだ。


 「お疲れ様。怪我はないかい?」

 「あなたこそお疲れ様、ルーファス。怪我なら大丈夫。あなたのおかげで、勝ちを掴めて良かったわ」

 「それはお互い様さ。君が二人の注目を集めてくれたから、詠唱が間に合ったんだ。さすがに片手間では発動できない術だしね」


 そう言うと、彼は穏やかに微笑んだ。互いの健闘を讃え合っていると、離れた場所で声が上がる。


 「ううっ……やっぱり、負けるのは悔しいわ!」

 「まあまあ、ソフィー。落ち着いて」

 

 術は無事解除されたようだ。氷のドームに閉じ込められた二人が出てきた。頬を膨らますソフィーを、イアンが冷静に宥めている。


 元々表情豊かとは言えない彼だが、一年も関われば見慣れて来た。一見無表情に見えるも、どうやら困っているらしい。眉がほんの少しだけ下がっている。


 「ふふ、お二人は相変わらず仲が良いわね」

 「そのようだ。さ、挨拶しに行こうか」


 ルーファスに促され、二人の下へ足を運ぶ。私たちに気づいた二人は、表情を明るくした。


 イアンは救いのように感じているらしい。表情こそ動かないものの、瞳に安堵の色が見える。妹を宥める兄というのは苦労するようだ。


 それに対し、ソフィーの表情は相手への称賛に満ちていた。

 負けず嫌いではあるものの、彼女は他者の努力を認められる人だ。負けたからと言って、変に引きずるタイプでもない。


 「シャーリー!」

 「ソフィー様、イアン様。お相手いただき、ありがとうございました」


 そう言って微笑みかけると、ソフィーは嬉しそうに笑う。先ほどの膨れ顔が嘘のようだ。


 「こちらこそありがとう! シャーリー、ルーファス。負けた私が言うのもなんだけれど、見事だったわ!」

 「ありがとうございます、ソフィー様」

 「光栄です」


 太陽のような笑みを浮かべる彼女に、自然とこちらも笑みがこぼれる。清々しい気持ちで試合が終えられるのは、彼女のおかげもあるだろう。


 「でも、次は絶対負けないわ!」

 「おや、俺たちもうかうかしていられないね?」

 「そうね。ソフィー様とイアン様は、連携が素晴らしかったもの。気を抜いたらあっさり負けてしまうわ」


 正々堂々と宣言するソフィーに、ルーファスが楽しげに笑う。それに私も微笑んで頷いた。


 「君たちにそう言ってもらえるのは嬉しい。どうか決勝戦でも頑張ってくれ、応援している」

 「ありがとうございます、イアン様」


 互いに握手を交わし、和やかに締め括る。学年末試験本選、私たちの初戦は、勝利で幕を閉じた。






 「聖女様、お耳に入れたいことが」

 「あら、オーウェン。どうかして?」


 ここは実技訓練場近くにある、仮設テントの中だ。出場者ごとにテントが張られ、試合までここで過ごすことになっている。

 初戦を終えた私たちは、真っ直ぐにテントへと帰って来たのだ。


 学年末試験の本選は、全部で4試合行われる。スピネル寮の1位とタンザナイト寮の2位、スピネル寮の2位とタンザナイト寮の1位がまず戦う。

 そして勝ち上がった方で決勝戦、負けた方で3位決定戦というわけだ。


 私たちは初戦で白星をあげたため、次の出番は決勝戦。

 現在、会場では3位決定戦が行われているはずだ。対戦カードは、ソフィー・イアンペア対メアリー・ヘレンペアである。


 メアリーたちは、ジェームズ殿下・ブリジット嬢ペアに負けてしまったらしい。3位決定戦を応援したい気持ちはあるが、私たちは決勝戦が控えている。さすがに諦めるしかないかとテントで休憩していた。


 「実は、聖女様たちの前に行われた試合が、少々可笑しくて」

 「可笑しかった? 私たちの前というと、メアリーたちの試合よね?」


 問いかける私に、オーウェンは静かに頷く。

 どうやら何かあったようだ。無言で話を促すと、彼が知る異変を語ってくれた。


 「コードウェル嬢の魔術が、明らかに可笑しかったのです。正確に言えば、威力が桁違いでした」

 「威力が桁違い……? ちょっと待って、二人は怪我していないわよね!?」


 慌てて私は声を上げる。どういった事情かは分からないが、コードウェル嬢の魔術が強くなっていたらしい。

 友人に怪我はないかと慌てる私に、オーウェンが優しく声をかけてくれた。


 「大丈夫ですよ、聖女様。コードウェル嬢は簡単な魔術しか使いませんでしたので。ご心配には及びません。

 ですが、それにしても威力が強すぎました。自分が同じ術を放っても、あれほどの威力にはならないでしょう」


 その言葉に、私は眉を顰める。

 友人たちに怪我がないのは良かった。教会関係者が控えているため治療は可能だが、怪我をせずに済むならその方が良い。


 しかし、その後に続いた言葉が問題だ。聞き流せない話だと意識を切り替える。


 「簡単な魔術で、驚くほどの威力ね……彼女は、実技が苦手だったように思うけれど」

 「おっしゃるとおりです。彼女の実力はお世辞にも高くありません。あれほどの威力が出せるはずはないと、断言しましょう」


 オーウェンの瞳に、一点の曇りもなかった。彼は心からそう思っているらしい。


 では、なぜそんなことが可能になったのか。考えられる答えは、一つしかない。


 「魔道具をつけている。そう考えるのが自然ね」

 「そうだろうね。威力を増加させるような魔道具でも使用しているのではないか。

 ……決闘にそんなものを持ち込むとは、何を考えているのやら」


 呆れたようにルーファスがため息を吐く。その言葉には同感だ。決闘に魔道具を持ち込むなど、前代未聞だ。


 現在はそこまで重く考えられてはいないものの、我が国では昔、決闘とは神による裁判そのものだった。

 自身の名誉や誇りをかけて闘うものだ。神という拠り所を最後に求めるのは理解できる。

 その場で不正をしようなど、神をも恐れぬ振る舞いだ。


 「来賓には教会関係者もいる。神の御前に相応しい行為だと言えるのか、甚だ疑問だね」

 「聖女様を傷つけようとする時点で、信仰心があるとは思えないな。そもそも、本当に洗礼を受けているのかと聞きたいくらいだ」

 「我が国の生まれである以上、生まれたときに受けているはずだけれどね。まあ、彼女は頭が弱いようだから」


 ルーファスとオーウェンの会話に、引き攣った笑みを浮かべる。

 彼女に篤い信仰心を期待するのは難しいだろう。前世を引きずっているなら、なおさらだ。

 信仰心がゼロとは言わない。だが、純粋にこの国で生まれ育った人とは、差異が出ても可笑しくない。


 「それもそうだけれど、彼女はこれが学年末試験だということを忘れているのかしら?」


 私が一番疑問視しているのはそこだ。

 この決闘は学年末試験の一環。不正など許されるはずもない。仮に勝ったとしても、不正が発覚したら本末転倒だろう。そのあたりどう考えているのかは、非常に興味がある。


 とはいえ、魔道具を用いる不正は、予想できないわけでもなかった。特に、この学年なら。


 それは、ルーファスの存在があるからだ。魔道具の持ち込みを一律禁止とすると、彼の正体が一目でバレてしまう。学園側としては、魔道具チェックなど行えるはずもない。

 我が学年の試験においては、防ぎようの無い不正だ。


 加えて、決闘という行為ゆえに、不正を行うはずがないという先入観もあった。

 我が国は信仰心が篤い。それゆえ、神の前に不正を働くなど想定もしないわけだ。

 そのような固定観念が、今回の事態を招いた一因とも言える。


 なんにせよ、不正が起きる土壌はあったということだ。


 「魔道具とは厄介ね……ジェームズ殿下は知らないのかしら」


 殿下は真っ直ぐな方だ。さすがに不正だと気づけば、婚約者相手でも止めるはずだが。


 「不思議そうにはしていましたよ。彼女の力量はご存じですから。時折難しい顔をしていましたが、彼女が誤魔化したようです。

 簡単な魔術のみ使用していたのも功を奏したのでしょう。練習したと言い訳がしやすい術ではあります」


 それにしても、誤魔化されるのはどうかと思いますが。苦い顔で呟くオーウェンに、内心で同意する。


 婚約者が好きなのは分かるが、もう少し冷静な目で見てもらいたいものだ。簡単に丸め込まれるようでは、王族は務まらないというのに。


 「私たちとの試合では、全力で魔術を放つでしょうね……」

 「だろうね。威力が増したブリザードは覚悟するしかないな」


 私とルーファスは深いため息を吐く。

 正々堂々やって負けるならまだいいが、不正した相手に負けるのは癪だ。メアリーたちの分も勝ちたいところである。


 「相手がその気で来るのなら、こっちも全力で迎え撃たないとね」

 「そうだね。最悪命に関わるようなら、学園長が止めてくれるだろう」


 試合の審判は学園長が行っている。寮対抗戦という形式上、他の先生方では不公平感が出るからだ。

 審判には公平性が求められるため、各寮に関わりのない先生が担うのがベスト。白羽の矢が立ったのが、学園長だった。


 万が一の際にも、学園長なら素早く制止に入れる。そういう意味でも適任だった。


 「とりあえず、速攻で援護の術をかけるわ」

 「頼む。君の展開速度は相当なものだから、問題ないだろう」


 魔獣討伐くらいの警戒感を持って対処しなければ。

 元より、ブリジット嬢は私を殺したがっているのだ。どさくさに紛れて殺すくらいするかもしれない。考えたくもない話だが、可能性は十分にある。


 それを分かっているからか、ルーファスやオーウェンも表情が本気だ。


 「それにしても、魔道具はどこから手に入れたのかしら? 公爵が買い与えるとは思えないのだけれど」

 「同感だ。いくら公爵令嬢とはいえ、彼女自身が自由に使えるお金はそう無いはず。彼女が自力で手に入れたとは考え難い」


 彼女はあくまでも娘。公爵家の金銭管理は当然公爵がしているはず。自由にお金を使うことは不可能だろう。


 しかし、それではどうやって入手したのか。彼女が魔道具を手にできる方法など、到底思いつかない。


 「なんにしても、注意は必要だろうね。後ろめたい方法で入手したとあれば、魔道具の性能についても不安がある」

 「性能?」


 入手先がまずいと、性能に問題が出るのか。日本にも、安物買いの銭失いという言葉があったくらいだし、あり得ない話ではない。粗悪品を掴まされる可能性は高いだろう。


 「ああ。それについては、オーウェンの方が詳しいかな」

 「姉上のおかげでな……。聖女様、魔道具は極めて精密なものなのです。少しのことで誤作動を引き起こします。

 望んだ効果が得られないくらいならばまだいい。大事故に発展し、使用者を傷つける可能性もあります」


 過去には突如爆発したケースもあったようです。そう語るオーウェンに、ゾクリと背が震える。

 想像しただけで恐ろしい。魔道具が爆発したらと思うと、怖くて着けていられない。


 「とはいえ、相応の場所で購入したのなら問題はありません。作る側にもプライドがありますからね。下手な物は用意しません。

 一方で、安値の物にはそれなりの理由がある。質の悪い物を掴まされるのも、無理はないでしょう」


 安全に使いたいのなら、適切なところで購入しろということか。ブリジット嬢がどちらで手に入れたのかは分からないが、資金に不安がある以上、安全な物とは言い難い。

 可笑しな事態に発展しないことを、祈るしかないのか。


 「何にしても、防御は徹底してください。コードウェル嬢の術だけでなく、魔道具が不具合を起こす可能性もあります。

 使用者は自業自得で済みますが、周囲も被害を受けるとあれば、目も当てられません」


 オーウェンがそう告げた瞬間、遠くで歓声が上がった。

 どうやら、決着が着いたらしい。どちらが勝ったのかは不明だが、直に分かるだろう。

 今は、自分たちの試合に集中しなくては。


 「オーウェン、一つ頼まれて欲しいのだけれど」

 「はい、何なりと」


 膝をつく彼に、私は一つ頷く。ブリジット嬢の魔道具。その入手経路が分からない以上、警戒するに越したことはない。

 私を害するために購入したならまだいい。

 問題は、だ。


 「実技訓練場内に、くまなく目を凝らしてちょうだい。私たちの試合は気にしなくていい。常時周囲の観察を。不審な者がいたら、徹底してマークしなさい」

 「かしこまりました。謹んでお受けいたしましょう」


 私の命に、彼は即座に頷く。これで最低限は大丈夫だろう。何も起こらなければいいが、楽観視もしていられない。


 これまで、幾度となく事件が起きて来た。

 今回は、来賓もいる舞台だ。オリエンテーションのように、学園内の人間しかいないわけではない。

 学外の人間が入れる以上、不審者が忍び込む可能性はある。オリエンテーションの時以上に、事件を起こしやすい環境だ。


 一通り話し終えたところで、実技訓練場へと足を進める。入口に近づくにつれ、ざわめきが耳に届いた。


 ついに決勝戦。観客の熱気も最高潮に達しているのだろう。


 「まずは、全力を出して頑張りますか!」

 「ああ、そうだね。……滅多にない機会だ、全力でやらせてもらうとしよう」


 私の言葉を聞き、ルーファスはにっこりと笑みを浮かべる。その笑顔には、異様な気迫があった。


 変に刺激してしまったかもしれない。すっかり忘れていたが、これは王族兄弟の戦いでもある。彼にしてみれば、腹違いの兄と対峙する機会だ。


 決闘という、全力を出すことが許される場。彼が異母兄をどう思っているのかは知らないが、快く思ってないだろうことは察している。

 彼にとっては、千載一遇のチャンスだ。合法的に鬱憤を晴らせるまたと無い機会。力が入るのも当然か。


 「一緒に頑張ろう、ね?」

 「はい」


 若干の恐ろしさに、即座に返事をする。

 まあ、彼は散々嫌な目にあって来たわけで。卑怯な真似をするのでなければ、気にする必要もないだろう。私だって、ブリジット嬢には思うところがあるのだし。


 因縁のある者同士、全力で挑むとしましょうか。


 「ルーファス」

 「ああ」


 拳を握り、ルーファスへ差し出す。彼も心得たように拳を握った。


 こつん、と拳を合わせ、互いに微笑み合う。大丈夫、互いの実力は誰より理解しているのだから。


 「ご武運を」


 オーウェンの短い激励に頷き、私たちは一歩足を踏み出す。


 開かれた扉の先には、多くの歓声と、敵意の浮かぶ瞳が待っていた。


 決勝戦という大舞台。

 戦いの幕が今、上がろうとしている。


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