通い妻と俺の青春ラブコメは糖度が高すぎる!!

第60話 第一部 最終話

「人が、恋に落ちる瞬間……？」

　俺は祈織の説明が理解できず、首を傾げた。

「うん。木島さんが麻貴くんに恋をした瞬間を、見ちゃったの」

「いやいや、意味がわからん。どういう事？」

　木島さんが恋をした瞬間というのは、公園で彼女にアドバイスをした時なのではないだろうか？

　自分で言うと尊大な感じがしなくもないが、少なくとも俺はそう認識していた。

「えっと、あの時……お皿を落として、代わりに頭を下げてくれた麻貴くんを見た時、木島さんは恋に落ちたんだと思う」

「はい？」

　またも予想していなかった言葉に、俺は目を見開くしかなかった。驚きで気の利いた言葉も出て来やしない。

「人って恋に落ちた時、こんなに綺麗な顔をするんだって私もびっくりしちゃった。少女漫画みたいにね、瞳がキラキラしてて、その背景にも何だかキラキラしたものが見えた気になっちゃって……凄く、綺麗だったの。きっと麻貴くんに恋をした瞬間の私もあんな風だったんだろうなって思っちゃうくらいに」

　祈織は手元でコップを弄びつつ、まるで過去の自分を慈しむ様な弱々しい笑いを頬に溜めていた。

　彼女が俺に恋した瞬間──それは、一体いつなのだろうか？

　付き合ってから今に至るまで、それだけが今も俺の中では謎のままだった。

「これであの日駐車場で私がキスしたくなっちゃった理由もわかったでしょ？」

「えっ、何で？」

　どうしてそうなるのかがわからなかった。

　祈織は「鈍いなぁ」と呆れつつ、俺の隣に腰掛けた。

「不安になったんだよ」

「不安？」

「うん。あ、木島さんの事だけじゃないよ？　そうじゃなくて、きっとこれからも色んな人がこの人の事を好きになるんだろうなって……麻貴くんの事を好きになるのは、別に私の特権でも何でもないんだなって、あの瞬間に気付いちゃったから。それで……いつか他の人のところ行っちゃうのかもって、不安になっちゃった」

「そんな事考えてたのかよ」

　俺の知らないところで、彼女は俺よりも先を見据えて、更にそれで不安になっていたらしい。

　女の子が鋭いというのを改めて実感した気がした。まるで、俺が木島さんに告白され、悩む事まで予感していたのではないかとさえ思える。

「あのなぁ……そんなわけないだろ」

　ただ、俺からすればそれこそ呆れる他ない。

　これだけの事をしてもらっていて、どうして他に目移りすると考えるのだろうか。俺が不安になるならわかるが、彼女が不安になる意味がわからなかった。

　彼女は誰もが憧れる少女・天枷祈織。本来俺なんぞがとても手の届く存在ではないのだ。

「別に誰かに告白されたからって、祈織への気持ちは変わらないよ。ただ、気持ちに応えられなくて、木島さんにも申し訳ないとは思っちゃってさ」

「そうなんだ」

　祈織はそう言うと、「やっぱり麻貴くんは優しいなぁ」と感心していた。

「優しいって、何でだよ？」

「私もこれまで告白された機会は何度かあったけど……そんな風に悩んだ事なかったから」

　少し意外だった。

　心優しい祈織の事だから、毎回相手に罪悪感を覚えているのだとばかり思っていた。

「だって、私に告白してきた人達はきっと、本当の意味で私の事を好きだったわけじゃないと思うから」

「そうなのか？」

「うん。だって、殆ど話した事ない人ばかりだったし。外見とか評判とか、そういうのだけで好きになられたって嬉しくないよ」

　祈織はそう言って、視線を床に落とした。もしかすると、外見や評判だけで好意を抱かれるというのは、彼女にとっては迷惑な話だったのかもしれない。

　それに、その話は俺にとっても少し耳が痛いものだった。

　俺も教室で初めて見た頃から祈織の事は気になっていた。でも、それはきっと、彼女の言う『外見とか評判とか』で気になっていたに過ぎないのだ。

　もちろん、付き合うに至ってからは全然違う。一緒にいればいるほど彼女に惹かれているし、今では祈織の全部が好きだと言い切れる。まだ知らない部分も含めて全て、だ。

「でも、もし木島さんが麻貴くんを好きになったみたいに……ちゃんと中身を好きになってくれてたら、やっぱり私も申し訳なくなっちゃうのかも」

　祈織はそう言って、花が咲くように次第に唇を綻ばした。

　その言葉で、俺もようやく納得がいった。

　どうして俺が、木島さんに対して申し訳なく思ってしまうのか──それはきっと、彼女が本当に俺の事を好きになってくれていたからだ。

　真剣な思いをぶつけられて、それに応えられなかったから胸が痛くなってしまったのだ。今年のバレンタインデーに、祈織が俺にぶつけてくれた様に。

「私、負けないから」

　祈織は俺の方に身体を預けてくると、肩に頭を乗せた。

「どんなに魅力的な人が麻貴くんを好きになっても……私、誰にも負けないから。だって、私が一番麻貴くんの事好きなんだもん。それだけは、絶対に負けたくない」

「何言ってんだか」

　俺は彼女の肩を抱き寄せて、そっとその黒髪にキスをした。

「俺もだよ。俺は、全然ダメダメだけど……それでも、祈織の事好きな気持ちだけは、絶対に誰にも負けないから」

　そこで御互いに顔を見合わせて、同時にぷっと吹き出した。

「私達、何で告白し合ってるんだろうね？」

「ほんとだよ」

　告白というよりは、これはきっと気持ちの確認だ。

　毎日当たり前の様に一緒に過ごしているうちに、互いに口にするのを忘れてしまう、御互いへの気持ち。木島さんには悪いけれども、この一件を通して俺達は互いの想いを再確認できたように思う。

　祈織と見つめ合ったタイミングで、そっとお互いに顔を寄せ合って口付ける。口付けはただ唇を重ねるものから、次第に互いの舌を絡め合わせるものへと変わっていた。

　口付けながらそっとベッドに祈織を寝かせた時、彼女は赤くなった顔を両手で隠して「ああ、どうしよう」と悩ましげな声を上げた。

「ん？　どうした？」

「今の私……すっごく性格悪いかも」

「はい？」

　唐突な彼女の告白に、俺の頭上にはいくつかの疑問符が浮かんだ。

　この流れのどこに性格の良し悪しを判断するものがあったのだろうか？　今日の祈織の発言は何だかいつも以上に意図が読み取れない。

「軽蔑しない……？」

　祈織は指の隙間からこちらを覗き見て、不安そうに訊いてきた。

　それに対して、しっかりと頷いてみせる。何を言われても彼女を軽蔑するなんて有り得ない。

「だって今、すっごく嬉しいんだもん。木島さんはきっと今も悲しんでるのに……それなのに私は、麻貴くんが私の事を見てくれてて、嬉しくてたまらないって思っちゃってる。絶対に性格悪いよね？」

「なんだ、そんな事かよ」

　何を言い出すのかと思えば、何を今更そんな事を言っているのだと呆れた。

「別にそんなんで性格が悪い事にはならないだろ。っていうか、それが自然じゃないのかな」

「そうかな？」

「ああ……そうだよ」

　そう言って祈織に覆い被さり、もう一度彼女の唇を奪った。

　それからは、御互いの想いを相手の想いの中に刻み込んだ。時間を忘れて、互いが互いを貪るようにして何度も想いを伝え合う。

　御互いの想いを告白し合ったからだろうか？　これまでよりも強く祈織を感じられて、以前よりも心と心が強く繋がったように思えた。

　祈織は木島さんに対しての申し訳なさからか、自分の性格が悪いと感じたらしい。

　でも、そうじゃない。これは性格の良し悪しの問題ではないのだ。

　言うならば、きっと人生とはそんなものなのである。

　これまで祈織に告白して振られてきた連中からすると、こうして彼女と心身を一つにできる俺の事が羨ましくて妬ましくて堪らないだろう。もしかすると、木島さんも祈織に対して同じような気持ちを抱いているのかもしれない。

　でも、人間にはそれぞれ、幸せにできる人数が限られている。いや、男女関係で言うと、パートナーひとり分の幸せしか手に持てないのだ。

　そんな中で俺は祈織を、祈織は俺を選んだ。そしてその気持ちを互いに確かめ合えて、嬉しいと感じている。それだけなのだ。そこに性格の良し悪しなど関係ない。

　誰の曲だったか忘れたが、その楽曲の歌詞で『誰かの願いが叶う頃、別の誰かは泣いている』という一節があった。まさにその通りだと思う。

　今回は俺と祈織が笑っていて、その陰で泣いている人がいた、というだけである。皆の願いは同時に叶える事はできない。

　誰かの事など気にしていたら、誰も幸せにできないし、ならない。自分の手のひらに乗る幸せを人は追うしかないのである。

　ならば、俺は祈織を幸せにする事だけを考えれば良い。こんな生活を、ずっと続けていけるように努力すればいいだけなのだ。

　瞳を潤ませながらこちらに嫣然とした笑みを向ける祈織を見て、俺は改めてそう決心した。

　　　　　　　＊

　どれだけ時間が経ったかはわからない。そろそろ深夜帯に差し掛かった頃合いだろうか。

　愛を何度も伝え合った後、俺は祈織の方を向いた。

　彼女は胸を上下させて息を整えつつも、額に手の甲を当てて目を瞑っている。瞑目しているものの、どこか頬は緩んでいる様にも思えた。

　額に当てていない方の手は俺の手としっかり繋がれている。お互いに汗ばんでいて、暑いはずなのに、不思議とその手だけは離したくなかった。

「祈織」

「なあに？」

　名を呼ぶと、彼女はゆっくりと瞳を開けてこちらに顔を傾けた。

　暗がりでもわかるほどその頬は紅潮しており、満足そうな笑みを浮かべている。

「祈織が俺に恋に落ちた瞬間って、いつなの？」

　俺の質問に、祈織は「えっ」と言葉を途切れさせてから、ちらりとクローゼットの方を見た。それからくすっと笑い、俺に覆い被さり唇を奪ってくる。

　何度かの口付けの後、彼女は悪戯そうに微笑んでこう答えた。

「それはまだ秘密、だよ？」

　どうやら、うちの通い妻にはまだ隠し事があるらしい。

　俺がその事実に至る日が来るのかはわからない。

　でも、恋に落ちた明確な瞬間があるという事だけはわかった。それだけでも十分な収穫だ。その話はまた、これから聞けばいい。

　そんな事を考えながら彼女の肩を抱き寄せると、そのまま迫りくる眠気に身を任せたのだった──。

【第一部　完】

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【あとがき】

　ここまでお読み頂きありがとうございました。

　カクヨムコン投稿分はここまででございます。また本作の続きを投稿しましたら、その際は是非読んでやって下さい。

　それでは、もしここまで読んで面白いと思って頂けましたら、★★★やレビューコメントを書いて頂けたらと思います。

　また他の作品もよかったら読んでやって下さい。引き続きよろしくお願いいたします。

　　　　　　　　　　　九条

【完結作品集】

https://kakuyomu.jp/users/kujyo_writer/collections/16816452219970004215