第41話
──やっちまったなぁ。
放課後、俺は大きな溜め息を吐いて、昇降口の靴箱に
先ほど自販機で買った缶コーヒーのプルトップを片手で開けて、コーヒーをひと口飲む。いつもと同じブラックコーヒーのはずなのに、今日はやけに苦く感じた。
昼休みのクッキーの一件で微妙に気まずくなった俺達は、そのまま放課後までその空気を引きずってしまう事になったのだった。今日に限って午後からは移動授業が重なっていた事もあって、あのまま
ショートホームルームが終わってから、いつもより少しぎこちないものの、昇降口で待ち合わせる約束をして、今に至る。
スモモと良太からは「あれはお前が悪い」とだけ言われ、今回ばっかりはノータッチだ。彼らの言葉も尤もなので、俺には反論の余地もない。
──今日中に何とかしなきゃなぁ。
俺は溜め息を吐いて、もう一度コーヒーを口に含んだ。
明日は土曜日で、学校が終わったらそのまますぐにバイトに行かなければならない。八時間勤務なので、その前後に祈織とゆっくり話す時間は持てそうにないのである。そして、明後日の日曜日には、例のトースターを買いに行く約束があるのだ。
せっかく外にデートに出るのであるから、それまでに何とかしてこの変な空気を解消しなければならない。
──とは言え、どうすればいいんだろうなぁ。
一応謝る事は謝ったし、俺自身反省もしている。これ以上どうすればいいのだろうか。
女の子と付き合うなどもちろん祈織が初めてなので、こういった時の対処法がわからない。
「あの、
靴箱に凭れかかったままうんうん悩んでいると、掃除を終えた祈織が声を掛けてきた。
少し緊張しており、手には大きめのラッピング袋をがあった。
「……お待たせ」
「あ、ああ。俺も今来たとこ」
「え?」
「ああ、いや、何でもない」
何を言っているのだ俺は。まるでデートの待ち合わせの時みたいに『今来たとこ』だなんて、明らかに使い方を間違えている。
「麻貴くん……これ」
祈織は緊張した表情のまま、おずおずとそのラッピング袋をこちらに差し出した。
「あっ……」
何だかその光景を見て、一瞬懐かしく思ってしまった。
放課後で、お菓子の入った包を持って、それを緊張した面持ちで祈織から渡される……何だか、二か月前のバレンタインデーの時と同じ様な光景だったのだ。
そしてその袋の中には、見覚えのある茶色のお菓子が入っていた。
「えっと……昨日言ってたブラウニー。これは、麻貴くんにだけしか作ってないから」
彼女は不安げにこちらを見て言った。
その顔を見た瞬間、苦しくなるほど胸がきゅんと締め付けられた。それと同時に愛しさが溢れてくる。
──ああ、もう。俺ってほんとにバカだな。こうしてちゃんと祈織は俺の事も考えてくれていたのに。
変に気まずくなってしまったのを俺が気にしていた様に、祈織も不安に思っていたのだ。それでいて、こうして勇気を振り絞ってくれる。
何をやってるんだ、俺は。本当に呆れる他なかった。ここで彼女を安心させてやれないなら、祈織の彼氏など勤まるはずがない。
俺は周囲を見て人がいなかったのを良い事に──ラッピング袋を持つ祈織の手首を掴んで、ぐっとこちらに引き寄せた。そのまま肩に腕を回してぎゅっと抱き締めてやると、彼女は小さく「あっ……」と声を上げた。
「ありがとう。あと、変な嫉妬してごめんな」
彼女の耳元に口を寄せて、そうしっかりと伝える。
慌てて言い訳する様に謝るのではなく、ちゃんと謝罪の気持ちを伝える──きっと俺に必要だったのはこれだったのだ。
「ううん……私の方こそ、深く考えてなくて。嫌な思いさせてごめんね?」
祈織はそう言うと、同時に体を脱力させて俺に身を任せてきた。きっと緊張して体を強張らせていたのだろう。
「いや、今回のは俺が全面的に悪いからさ。祈織が謝る事じゃない」
「ううん……私も配慮が足りなかったから。麻貴くんだけが全面的に悪いって思わないで欲しいな」
そんな事はないと思うのだけれど、きっとここで折れないと祈織も折れないだろう。彼女はこう見えて、結構頑固なところがあるのだ。
俺は心の中で溜め息を吐いて、「わかったよ」と同意してから続けた。
「あ、でも一個だけお願いしときたい事があるんだけど」
「なあに?」
「クッキーは別にいいけど……ブラウニーだけは俺以外に作っちゃダメ」
そう耳元で囁いてから体を離し、「わかった?」と訊いてやる。
すると、祈織は顔をまっかっかにして俯きながら、こくりと頷いた。
「うん……ブラウニーは、麻貴くんだけにしか作らない」
互いの視線が交差して、そのままじっと見つめ合っていると、祈織がほんの少しだけ顔を寄せてきた。
それに合わせてその頬に手を当ててやると、彼女は口を上に傾けて、目を閉じる。そして、そのままそっと顔を寄せ合って、唇を重ね合った。
学校の昇降口で何をしているのだと思う。誰かに見られているのではないかとこっちも心臓バクバクだし、祈織も耳までまっかっかだ。
「……今日の麻貴くん、ちょっとオラオラしてるからドキドキした」
唇を離すと、祈織は恥ずかしそうに笑ってそう言った。
「だって、そういうの好きだろ?」
そう返すと、祈織は顔を伏せて、こくりと頷いた。
こう見えて彼女はそこそこMっ気がある。さっきみたいに急にオラオラされるのが実は好きな様で、こうして恥ずかしがりながらも喜んでいるのだった。
前に言っていたが、胸が〝きゅん〟となるらしい。
だからこそ、それが行き過ぎて昼の様な独占欲も湧いてしまうのだけれど、やりすぎると束縛になってしまうので注意が必要だ。その塩梅もまた難しい。
──やっぱり、恋人と付き合うって色々難しい事が多いんだなぁ。
そんな事を思いながら手を繋いで、二人で下校した。
なお、周囲に人はいなかったが、吹き抜けになっている二階には人がいたようで、翌日には
結局翌日にはまた散々な目に遭う俺であった。
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