第40話

 何とか事なきを経て教室に戻ると、祈織いのりが鞄の中から四つの袋を取り出した。

 何か可愛らしいイラストが描いてある透明のラッピング袋だ。中には何枚かのクッキーが入っている。


「昨日おうちでクッキーを作ってて……それで、皆にも食べて欲しいなって。よかったらどうぞ」


 祈織は少し恥ずかしそうにしながら俺達にお菓子を配った。


「本当に僕にもくれるの⁉」


 今度は感動のあまり泣きそうな良太りょうたに対して、祈織は苦笑を浮かべながら頷いた。

 何だかこいつはずっと泣いている気がする。


「ああッ! この間島良太まじまりょうた、苦節一六年と少し、人生で初めて女の子から手作りお菓子をもらえたであります!」


 そして何故か祈織にビッと敬礼する。

 そんな良太に対して、周囲の男子からは『何で間島がクッキーをもらえるんだよ』という嫉妬の視線が向けられていた。


「人生で初めてもらえたお菓子が、彼氏持ちの女の子からで、彼氏のついでにもらえただけって切ないわね……」

「余計な事言わないでもらえますかね⁉」


 スモモの憐れみに満ちた言葉に、違う意味の涙を流す良太。忙しい奴だった。


「さて、じゃあ早速いただきまーす!」


 スモモが早速袋を開けて、クッキーを食べ始めた。

 良太はクラスの男子に見せびらかす様にしてラッピング袋を空に掲げてから、クッキーを頬張っている。嫉妬の視線が自らに突き刺さっている事には気付いていたらしいが、彼の場合は優越感でそれを覆すらしい。

 ちょっとだけ良太の図太さが羨ましかった。


「あ、やっぱおいしー! さっすがいのちゃん。いのちゃんのお菓子はもうパティシエレベルだからねー!」


 スモモに続いて俺も袋を開け、クッキーを口に運んだ。


 ──ほんとに美味しいな。


 程よく優しい甘みがあって、しゃりしゃりとした歯ごたえと共に、アーモンドの香りが鼻の奥に広がっていく。市販のクッキーなんかより全然美味しい。

 良太など涙を流しながらクッキーを頬張っていた。

 彼の場合は女の子──しかも天枷祈織あまかせいのり──からもらったクッキーである事も加わっているのだろう。何故か祈織ちゃんと付き合ってくれていてありがとうと御礼まで言われた。それなら俺に対する意味不明な攻撃も控えて欲しいと思うのだけれど、面倒なのでシカトしてやった。


「あれ? 味が違う?」


 スモモが二枚目のクッキーを口に入れた時にそんな言葉を漏らした。


「うん。アーモンドとチーズと、あとシナモンのクッキーもあるよ。チョコチップを買い忘れちゃって、代わりにシナモンにしてみたんだけど……どうかな?」


 祈織がこちらを見て訊いてくるので、試しにシナモンっぽい色のクッキーを口に運んでみる。

 シナモンもアーモンドと変わらず美味しかった。アーモンドクッキーの時とは少し異なって、ちょっとだけエレガントな味わいだ。紅茶がよく合いそうな味だった。


 ──美味いんだけど……。


 お美味いし、祈織のクッキーが食べれて嬉しいんだけれど、ちょっとだけ不服だった。

 何で俺だけに作ってくれず、こいつらにも渡すのだろうか。昨日の話ぶりだと、俺にだけ作ってくれるというニュアンスだったのに。

 スモモは同性の友達だから良いとして、良太にまで食わせてやるのはちょっと不満が残った。俺だって初めて食べるクッキーなわけで。


「……麻貴あさきくん? お口に合わなかった、かな?」


 俺だけ感想を言っていなかったので、祈織が不安げにこちらを見ていた。


「え、いや! めちゃくちゃ美味しいよ」

「ほんとに?」

「うん、美味しい。普通に店に出せると思う」


 俺は素直に感想を言った。

 これは嘘偽りない本音だ。味に関しては文句などあるはずがない。ただ、これを味わっているのが他に二人もいるのが気に入らないだけだった。

 でも、こんな風に不満に感じるのは俺が子供だからなのだろうか。自分の彼女の手作りお菓子を他の男に食べさせたくないと感じてしまう時点で、俺は自分が思っているより器の小さい男なのかもしれない。


「ああ、わかった」


 そんな俺の様子を見ていたスモモが言った。


「あんた、自分以外に祈織の手作りお菓子食べてる奴がいるのが気に入らないんでしょ?」

「うぐっ」


 スモモの的確な指摘に、思わず呻き声が漏れた。どうしてこうも勘が良いのだろうか、この女は。


「え、そうだったの? 気が付かなくてごめん……」


 一方の祈織の方はしゅんと肩を落とした。


「い、いや! 別に祈織が悪いわけじゃないから! 俺の心が狭かっただけで」


 慌てて祈織に説明するも、彼女の表情は沈んだままだった。

 余計な独占欲を出してしまったせいで彼女を傷付けてしまったのかもしれない。祈織に悪気はなく、ただ友達にも食べて欲しかっただけなのだろうし。


「あんたねー。それくらい我慢しなさいよ。良いじゃないの、クッキーくらい」

「そーだそーだ! クッキーくらい僕にも分けてくれたっていいじゃないか!」

「わ、悪かったよ」


 スモモと良太の批判を前にして、素直に折れる。

 実際今回の件は完全に俺に非がある。彼らは何も悪くない。

 その後も詫びた事で、一応は祈織も納得してくれたものの、表情は浮かなかった。結局そのまま予鈴が鳴ってしまい、その場はお開きとなった。

 やっちまったかな、と思ってロッカーを開いて大きく溜め息を吐く。完全にやらかしてしまった。

 祈織はただ俺と付き合っているというだけで、所有物でも何でもない。そこには彼女の自由意思がある。独占していいわけがないのに、ついつい独占してしまいたくなるのだ。

 恋人と付き合うって、難しい。

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