第14話
四限の授業が終わって、昼休み──
「今日は奢るって言っただろ?」
「うん。でも、飲み物は自分で買うから」
祈織はそう言って、困った様に眉を下げて笑った。
おそらく彼女は、俺の経済状況を鑑みて、あまりお金を使わせたくないのだろう。その気持ちには気付いている。でも、いつも散々世話になっているのだから、せめて御礼くらいはさせて欲しいのだ。
「そういえば、今日は友達と昼食べなくていいのか?」
ちらりと祈織がいつも一緒にお昼を食べているメンツを見る。彼女達は、祈織がいないのを気にせず机を寄せ合っている様だった。ただ、そこにはいつもいるスモモの姿がない。
「うん。今日は学食で食べるって言ってあるから」
「そっか。じゃあ
こうか、と言おうと思った時である。
俺の肩が、何者かによって掴まれた。
「ちょっと待て」
振り返ってみると、そこに居たのは我が悪友こと
なんだか怖い目をしている。
「なんだよ……」
心底、嫌な予感しかしない。
というか絶対に面倒臭い事が起きる。
「
「そうだけど、何か? 今日は日ごろの御礼も兼ねて学食奢るって話になってんだよ」
もうこの時点で既に面倒な事になりそうな気配が漂っていた。
祈織は苦笑いを見せて、俺達を見ている。
そして、祈織をキッと睨むや、もう一度俺の方を向いて──
「お前が祈織ちゃんと昼まで一緒にいたら、僕がぼっちになるじゃないかー!」
血の涙を流しながら、必死で訴えてきた。
「いや、ならないだろ」
良太は俺と違って友達が多い。別に俺がいなくたって、他の連中と飯なり学食なり購買なり行けばいいのだ。
──って、待てよ? そういえば良太、昼はいつも俺と一緒だったな。
ふと思い返してみれば、良太は昼休み、いつも俺と一緒に過ごしていた気がする。
単純に共通の友達がいない俺に合わせてくれているのかと思っていたけれど、もしかして違ったのだろうか。
「えっと……じゃあ、
祈織が苦い笑みを浮かべたまま、良太に訊いた。
ただ、祈織自体は良太とそれほど親しくない。一年の頃から同じクラスだが、殆ど話した事などないだろう。
彼女は大人しい性格なので、良太みたいに常にボケている人間に対して、的確にツッコミを入れる技術もなければ、度胸もない。
きっと彼に気を遣って、こんな感じでずっと微苦笑を浮かべているに違いないのだ。
「いいの⁉ あ、いや! でも、それは二人の時間を邪魔する様で、悪いっていうか、その……」
そこで良太は一瞬顔を輝かせたものの、きっと俺が悩ましい顔をしているのに気付いたのだろう。ちょっと気を遣い始めた。
別に俺は良太がいる事それ自体を嫌がっているわけではない。
しかし、祈織は良太が一緒にいると、おそらく過剰に彼を気遣う。それが嫌なのだ。
彼女はこう見えて、結構人見知りだ。
新しいクラスメイトと接する彼女をみていれば、それがよくわかる。親しくない人に対しては、無意識的にかなり気を遣ってしまう性格なのだ。
それに、気を遣うのは祈織だけではない。
俺もそうして気遣っている祈織と良太の間に入って、それぞれに気を遣わなければいけなくなるのだ。良太のノリに祈織がいきなり合わせられるとは思わないし、かと言ってそっちのノリに俺が合わせると祈織が置いてけぼりになってしまう。結構難しい問題だった。
二人を眺めて、どうしたもんかなぁ、と思っている時だった。
「え、いのちゃんこの二人と一緒に食堂いくの? じゃあ、あたしも行くー!」
明るい声が横から割って入ってきた。
そこにいたのはショートボブの元気印・
──お? これはめちゃくちゃ助かるんじゃないか?
俺は咄嗟にそう思った。
スモモは祈織がいる仲良しグループの一人だし、祈織とも良太とも話せる。二人のノリに合わせられる人材が俺以外にもう一人いれば、円滑に会話も回せるだろう。
「うげ、スモモ⁉ なんでお前が! 僕は別にお前になんて入って欲しく──」
「お、マジか! じゃあスモモも一緒に行こうぜ」
良太が不満げな言葉を発しそうだったので、慌ててそれに被せた。
彼は「な⁉」とショックを受けた顔をしていたが、知った事ではない。
「いのちゃんもいい?」
良太を無視して、スモモが祈織に訊いた。
「うん! ほんと言うと、私も男の子二人とご飯は緊張しちゃうから、モモちゃんが一緒だと助かるなって」
祈織も安堵の表情を浮かべて、スモモに微笑んだ。
彼女はスモモの事をモモちゃんと呼ぶらしい。スモモがスモモ以外のあだ名で呼ばれているところを初めて聞いた気がする。
「これで賛成多数ってことね? というわけで、宜しくね、良太!」
ばしん、とスモモが良太の背中を叩いて、あっけらかんとした笑顔を浮かべた。
祈織の笑顔は優しく穏やかに包んでくれる春みたいだけれど、スモモの笑顔は愛称の通り、夏っぽい。同じ女の子の笑顔でも、こんなにも印象が違うんだなぁと思わされた。
良太は「へん!」と拗ねた顔を見せて先に歩き出し、祈織がそれに続いた。
俺も彼女に続こうとした時に、スモモがちょいちょいと俺の裾を引っ張った。
「御礼は?」
そして、得意げな笑みを浮かべて、こそっとそう言った。
「は? 御礼?」
「だって、今助かったっしょ」
「え?」
「
スモモは眉をハの字にして笑って、そう付け加えた。
どうやら二人の間で困っている事を察して、助け船を出してくれたらしい。
「まあ、あたしもあの二人と話すからさー。三人だとどんな状況になるか、おおよそ察しつくしね」
ふう、とスモモは二人の背中を見て溜め息を吐いた。
今は良太が祈織と仲良くなろうと頑張って話しかけているが、祈織が苦笑いをして一歩後ずさっている。
そう、まさしくこんな感じだ。この間を一人で取り持つのは、結構大変な作業なのである。
「こーら! いのちゃん困ってんだから、そんなに近付くな! バカが
その光景を見て、スモモが良太を叱った。
「それもう僕完全にばい菌扱いですよね⁉ ひどくないですか⁉」
「え、似たようなもんでしょ?」
スモモは祈織の前まで行って、彼女を守る様にしっしっと良太に向けて手で払う仕草をした。
「うわあああああ! 先に食堂の席取っててやるぅ~!」
良太は泣きながら、先に食堂へと走って行った。
いや、だからお前良い奴かよ。
「間島くんって面白いよね」
何言ってるのかよくわからない時多いけど、と祈織は付け足した。相変わらず苦笑いを浮かべている。
「まあ、悪い奴じゃないよ。アホだけど」
「いのちゃんは関わっちゃダメよ、アホが
「アホが
祈織の言葉に三人で笑って、再び廊下を歩き出す。
スモモから視線を感じたので、ふと彼女を見ると──
「ジュース!」
嬉しそうな笑顔を向けて、そう言いやがった。
どうやら奢れという事らしい。
「わかったよ……」
俺は溜め息を吐いて、取引に応じる。
実際に彼女の申し出に助けられたのも事実だ。
「どうしたの?」
そんな俺達のやり取りを見て、祈織が不思議そうに首を傾げた。
「助け船を出してくれたんだよ。だから、その御礼」
「ああ……そういう事だったんだ」
祈織がスモモの行動に納得した様で、ふっと笑みを浮かべた。
「じゃあ、モモちゃんのジュース代は私が出すね?」
「え、いいの⁉ いのちゃんありがとー!」
そう言って、スモモが祈織に抱き着いた。
この二人はどうやら、結構仲が良いらしい。
そんな新鮮な祈織を見つつ、食堂を目指すのだった。
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