第12話

 家を出てから、祈織いのりの手を取ってとにかく走った。

 八ヶ浜はちがはま高校は、九時ジャストから朝のショートホームルームがある。これに間に合っていなければ、遅刻だ。六ヶ峰ろくがみね駅を八時四〇分に出る電車に乗れなければ、次に電車が来るのは五〇分……遅刻がほぼ確定してしまうのだ。

 改札が見えたところで、ちょうど電車がホームに入ってくるところが見えた。俺と祈織はそのまま定期を駅員に見せて、そのまま電車に滑り込む。


「いよっしゃ、セーフ!」

「はぁ……よかったぁ」


 ダッシュの甲斐あって、何とか電車に飛び乗れた。

 寝起きでしかも食後すぐの朝ダッシュは結構しんどい。横っ腹が痛くなりそうだ。

 俺達は息を整えながら、電車で場所を確保する。

 同じ学校の生徒からの視線が痛い程突き刺さっている気がするが、気にしない気にしない。

 あの八高はちこう──八ヶ浜はちがはま高校の略称──のアイドルこと天枷祈織あまかせいのりと一緒に走って電車に飛び乗ってきたのだ。嫌でも注目を浴びてしまうのは仕方ない。きっとお泊り登校だの何だのと陰で言われてしまうのだろう。今日の場合はそれが真実だから反論の仕様もなかった。


「もうっ。何で朝からこんなに走らなくちゃいけなくなるかなぁ」


 一方の祈織はそれらの視線を気にした様子もなく、俺に非難の目を向けてくる。


「ま、待て! 今日のは俺の所為じゃなくないか⁉ 祈織がトースターの要望を色々語ってたからだろ」

「そう、だけどぉ……」


 祈織が何故か俺を責める様にして上目を遣って見ていた。

 今日遅れそうになったのは、俺の二度寝でも寝坊でもない。

 また今度にすればいいのに、祈織がご飯を食べながら、スマホでトースターを調べ始めたのが主な要因だ。デザインはこういうのがいいだの何だのと言っているうちに、時刻が差し迫っていたのである。


「まあでも、この電車に乗れたら大丈夫だから」

「これの次は五〇分だもんね」

「俺ならそれでも間に合う時あるんだけどな。ほぼ運ゲーだけど」

「ええー……絶対無理だよ」


 祈織は呆れて溜め息を吐いた。

 誰にも邪魔されず電車が定刻通り動いていて全てに無駄がなければ、という条件付きで、何とか間に合う事も可能だ。

 ちなみに俺の記録で言うと、間に合う確率は三〇%である。うん、ほぼ遅刻してるな。


「朝だけでももうちょっと本数増やしてくれればいいのにね」

「それなー」


 車内はそこそこ混雑しており、サラリーマンの肩が祈織に当たりそうになったので、さりげなく彼女をこちらに引き寄せた。

 それに気付いた彼女は俺を見上げて、「ありがとう」と微笑みかけてくれた。

 俺達がほぼ毎日使うこの榎島えのしま電鉄──通称・榎電えのでん──は、二両編成からなるローカル電車だ。夕方以降はガラガラだが、通勤通学時刻や帰宅時刻なんかは結構混雑している。また、土日の昼間は観光客などで賑わっていて、ローカル電車にしては比較的混みやすい電車だ。

 三両にしてくれれば解決するのだが、駅が二両編成にしか対応していない為、車両を増やせない。中には一両にしか対応できてない駅もあって、その場合は乗る車両を誤れば降りれないという事もあるのだ。

 しかも、一駅で片側車線分しか止まれない駅もあるので、悪戯に本数を増やす事もできないという状態。地元住民的には不便な電車なので、車を主な移動手段とする人も少なくない。

 それに、電車が不便なだけでなく、海沿いの生活は割とリスクも多い。波が高い時なんかは結構怖いし、地震がくれば津波の危険もあるのだ。

 それでも、この毎朝海を眺めながら通学できるというのは、他の高校生からすれば、きっと羨ましい光景なのだろうな、とも思うのだ。

 俺は太陽の光が反射して、キラキラと輝く海の景色を記憶に刻もうと海を眺めた。祈織もそれにつられる様にして、海へと視線を向けていた。

 俺達が大人になった時、この景色を覚えているのだろうか。その時も祈織は、俺の隣にいてくれるのだろうか。

 そんなどうでもいい事を考えている間に、電車は八ヶ浜駅に着いた。八高の生徒はぞろぞろと降りて行き、俺達も彼らに続いて電車を降りる。

 うん、これなら遅刻もせず間に合いそうだ。


「週末、楽しみだね」


 改札を出た時に、祈織が唐突に言った。


「え、何が?」

「トースター。買いに行くんでしょ?」


 にこにこ嬉しそうにして、こちらを見ている。

 よっぽどトースターを買うのが好きなんだな、という憎まれ口は、すんでのところで留めた。

 別に彼女はトースターを買う事を楽しみにしているのではない。俺と一緒にどこかに行くのが、きっと嬉しいのだ。


「ああ……そうだな。俺も楽しみだよ」


 そう応えると、彼女は嬉しそうに俺の手を握ってくるのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る