第2話

 自己紹介が遅れてしまった。

 俺の名前は汐凪麻貴しおなぎあさき。神奈川県の海沿いにある県立八ヶ浜はちがはま高校の二年生で、帰宅部。成績は中の上といったところ。

 家族構成は普通で、両親がいて、一人っ子。今は事情で一人暮らしを強いられているが、特に変わった家庭ではない。普通の親である。

 俺自身はというと、もちろん普通だ。

 中学時代は運動部で精を出して頑張っていたが、高校入学後は何かを頑張るわけでもなく、何か突き進む目標があるわけでもなかった。もちろん特別な能力などがあるわけでもない。ただただ惰性的な日々を送っているだけだった。

 数少ないバカな友達とバカをやって、バイトをして、たまに高校生らしく下ネタを話して、可愛い子を目で追って、「彼女ほしー」だなんて嘆いている──そんな、どこにでもいる高校生。

 そんなどこにでもいる普通の人間が、ある種特別な人間にしてしまったのは、今から約二か月前。高校一年のバレンタインデーだ。


『これ……良かったら、受け取って欲しいんだけど……』


 放課後、昇降口で待っていた女の子に呼び止められ、ラッピングされた小さな箱を渡された。

 だが、状況が全く飲み込めなかった俺は、間抜けな声で『な、なんで?』と返してしまった。そんな間抜けた質問に対して、彼女はこう答えたのである。


『好きだから……汐凪しおなぎくんの事』


 そう、俺はこの日、彼女……天枷祈織あまかせいのりから告白されたのだった。

 その経緯についてはまた今度話すとして、彼女から告白されたとなっては、もはや普通の人ではいられなかった。

 天枷祈織あまかせいのりと言えば、この八ヶ浜はちがはま高校では有名人だ。入学早々に〝八ヶ浜高校一の美少女〟の称号を得るほどのルックスの持ち主で、八高はちこうの生徒であれば誰もが知っている存在なのである。

 黒髪で清楚、どこぞのアイドルかと思うくらい可愛くて、それでいてよく気が利き、慎ましく穏やかな性格をしている。引っ込み思案ではあるが、とにかく非の打ち所が無い女の子だった。

 きっと同じ学校の男子であれば、一度は憧れた事があると言っても過言ではない。それは俺も例外ではなく、同じ教室にいる彼女を気付けば目で追ってしまっていた。

 そして、そんな密かに憧れていた子から告白されたとなっては、断る理由もない。

 そうした経緯を経て、バレンタインから俺と祈織は付き合う事となった。互いが互いの人生で初めての恋人だ。青天の霹靂へきれきとはまさにこの様な事態を言うのだろうな、と高校生ながらに理解した瞬間でもあった。

 それから俺の高校生活は一変した。

 天枷祈織あまかせいのりと交際を始めた事は翌日には学校中に知れ渡り、何もない普通だった男は特殊な人間へと変わっていた。『あの天枷祈織あまかせいのりから告白された男』で『天枷祈織あまかせいのりと付き合っている男』と認識される様になっていたのだ。

 憧れていた女の子と付き合えて全てがハッピーかと思ったが、そうでもない。むしろ、最初の頃は大変な事の方が多かった。

 男連中からはひがみまくられて、体育の授業なんかでは集中攻撃だ。サッカーの授業なのに、味方がボールを持つとゴールではなく俺にシュートを打ってくる。ペアを組む時などは省かれてぼっちだ(その後、悪友が「しゃーねーな、僕に感謝しろよ!」と恩着せがましくペアを組んでくれる)。

 この前の球技大会はもっとひどかった。自クラスだけでなく、他クラスや上級生なんかがルール無視で俺に攻撃を仕掛けてくるのだ。大体教師がブチ切れて事態が収束するのだが、こうして思い出してみれば、結構散々な目に遭っている。

 それでも俺は、結構その生活を楽しんでいた。少なくとも、何も目的もなく何も起こらなかった日々より、圧倒的に楽しかったのである。

 なぜなら、それは……恋人がいる日常。いや、祈織がいる日常だからだ。

 そして、付き合って二週間経った頃から、祈織にも変化が現れた。


麻貴あさきくん、一緒に帰ろ?』

『お弁当、作ってきたんだけど……』

『この映画、結構気になってて……今度、見に行きたいな』


 男子達の俺への嫉妬攻撃を見るに見兼ねたのか、消極的で引っ込み思案だった祈織が、教室内や学校で積極的に俺に絡み始めたのである。まるで男連中に見せつけるかの様に、学校では俺に接してくる様になったのだ。

 休み時間や下校時間、用事もなく俺のところに来てはにこにことしていて、帰りはほぼ毎日一緒に帰る。もちろん朝の登校も一緒だ。男達の心をこれでもかと砕くまで、そう時間はかからなかった。

 その結果、気付けば交際二か月経たずにバカップル呼ばわりされる様になっていたのである。実際、反論できないくらい結構なバカップルだった。

 俺は俺で、祈織が積極的になってくれるのが嬉しくて、つい口元が緩んでデレデレと大歓迎状態。周囲から呆れられるのも無理はなかった。そのせいで嫉妬による攻撃は未だに続いているが、それ以外は順風満帆、何も問題がないバカップルだ。

 そして彼女は、いつしか俺の〝通い妻〟へとなってしまっていたのだった。

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