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「じゃぁ、まずは一般常識をチェックするから。お嬢様育ちなら楽勝だろ?」

 尾澤は用意したプリントを結花に見せる。

 これは実際にローカルスーパーよだで去年の新卒採用試験で出したものだ。

 筆記用具を取り出して結花はプリントを眺める。

 時間は30分。中学生レベルの5教科と一般常識(時事問題)全て30問だ。

 

 えー、全然わかんなーい!

 漢字と計算はなんとかなるけど、他無理。

 でも娘が学年上位なのは私のおかげよ。だから、私もできるはずよ。

 

 頭を抱える結花。その様子をまるで楽しむかのように、尾澤が凝視する。

 結花は昔から勉強はてんでダメだった。

 上2人が真面目で優秀だから尚更だった。コツコツと地道にやるのに対して、結花は先生達に媚び売って確実に出るとこだけ、覚えるタイプだった。

「はい、時間です」

 尾澤の終了合図に結花はへたばる。

「ねー、オマケしてよー! ゆいちゃん頑張ったんだから」

 尾澤は結花の上目遣いアピールを無視して、淡々と解答をチェックする。

 だんだん尾澤の目が険しくなっていく。

 

 敬語はあやふや。漢字も間違えて覚えてる。

 まあ、英語は多少出来てるかな。

 計算はできても、割合や時速の問題がダメだ。

 時事問題は論外だ。現在の首相の名前や知らないのか。


「どう?」

 結花は足を組んで退屈そうに採点を見守る。

 ペンを置いた尾澤は大きくため息をついた。

「……」

 彼女の娘が学年上位と聞いていたけど、おそらく本人の努力と社長の勤勉さが受け継がれたのだろう。

「どう? 全然わかんなかったー。ゆいちゃん勉強苦手なのー。娘はよく出来るんだけどね。あいつに似てガリ勉でつまんない女よ。ま、娘が優秀なら、将来玉の輿ワンチャンあるかも。で、同居してもらって、私を楽にさせてもらう」

 この状況でよくもまぁベラベラと自分が楽になる方法しか考えないんだなと、尾澤は軽蔑するかのように視線を向けた。

「お嬢さんに玉の輿って言ってますけど、まるで出来る前提で言ってるんですね。今の状況分かってます?」

 娘に将来見切られる可能性高いというのに、おめでたい人だ。

「まるで出来てない。漢字も時事問題もその他諸々……何をやってきたの?」

「専業主婦よ!」

 いや、あなた家のこと何もやってないんでしょと口に出そうとしてきたがやめた。

 社長や人事部長から聞いてるんだから。家庭状況も彼女の過去のことも。

「学校の試験とかどうやってやってきたの?」

「先生に媚び売ってた。男性教師なんか私の可愛さでイチコロよ」

 提出物も同級生の男子や気の弱そうな女子にやらせて、結花は呑気に遊んでいた。試験勉強なんてしたことがない。よくて一夜漬け。赤点の常連だった。

 見抜いてる先生はもちろんいて、保護者面談で担任から指摘されてたが、結花は開き直っていた。

 お情けで成績キープしてやってきたようなもんだった。

 自信満々で答える結花に尾澤は手で額をたたく。

「……そうですか。分かりました。まずは敬語ですね。全然分かってない。確かに私も正しく使いこなしてるかと言われたら自信ないけど……これは酷い。娘さんの方が使えてるんじゃないですか? 確か吹部すいぶでしょう?」

 春の台中学の吹奏楽部は強豪校であり、上下関係にかなりシビアで有名だ。プラス暗黙の了解がたくさんあって、ついていけない人は、先輩からの嫌がらせのターゲットになる。顧問もを理由に止めないらしい。それでやめてしまう子が毎年いるとスタッフが言っていた。

 娘さんは先輩に厳しく敬語を叩き込まれてるのだろう。

「そうだけど、なにか?」

「先輩に上下関係厳しく叩き込まれてるんだろうね。キミと違って。先輩の地雷踏んだら大変なことになるからね。それでも頑張ってる。片やキミは嫌なことから逃げたり、自分でなにかりやり遂げたことないでしょ? 美味しい所だけ取るみたいな」

 自分で最後までやり通すっていうのなかなか難しいことだ。

 彼女の話聞いてたらそんな感じがしてきた。

 自分のやりたい仕事だけする。

 慣れてない部分をできるようになるではなく、押し付けて、周りに尻ぬぐいしてもらっていた。最初はだったかもしれないが、彼女にとって、それが当然になってしまったのだろう。または、いいよいいよと甘やかされてきた。


 ――努力したことがないのだろう。


 今の調子だとスタッフ達の足を引っ張ってるだけだ。

「どういうこと?! 私がまるで出来ない人みたいじゃない」

「事実を受け止めろ。結花。現に全然できてないじゃないか。勤務態度も、ルールも、仕事に対する姿勢も、常識のなさも、家のことも。何度言えば分かるんだ? まだ自分の立場が理解出来ないのか? 慰謝料支払う立場で、家族に見捨てられるフラグ立ってるのに。きちんとやれば社長は戻ってくると言ってるだろ? ――いつまでとかでいるんだ? キミはここの制服を着たただのスタッフのおばさんだ」 

 尾澤強く言い切るような口調で、結花に現実を突きつける。

「ひ、酷いよぉ……ゔぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ん」

 結花は机に突っ伏すように泣きわめく。

 

 おばさんという単語が刃のように突き刺さる。

 もうお姫様じゃない。そんな年でもないし、立場でもない。

 いくら依田悠真の妻とはいえ、ここではスタッフの1人。

 誰も特別扱いしてくれない。みんな容赦ない。だって働いたことないもん。

 今まで目をつぶってもらってたことが、ここでは通用しない。

 目の前にある常識をはかるテストでほとんど答えられていない。それが現実。

 周りからよく思われてないのも事実。

 いつまでも世界一かわいいゆいちゃんでいたらダメなの?

 家族に愛想尽かされ、慰謝料を支払うべく働かないといけないおばさんなんだ。


「さあ、顔あげて」

 尾澤の穏やかな口調に結花は顔をあげる。

「――いつまでいるんだ? 早く涙拭いて、現実に立ち向かえ。これから言葉遣いの練習するから」

 打って変わって追い打ちかける尾澤。その目は軽蔑するかのように。

 みるみる顔面蒼白になる結花。言葉を失って声が出ない。

「こ、言葉遣い? わ、わたし、できてる、よ……?」

「復習の意味で練習するんだ」

 本当は全然なってない。まずは彼女の肥大化した自尊心をへし折る必要がある。今の立場をさらに理解してもらうために。そして、スタッフ達がスムーズに仕事できるように。

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