第3話 駄目な子

「あんたは駄目な子」と言われながら、私は育った。


 母はヒステリックに怒るタイプだったし、彼女自身も発達特性を持っていたように今なら思う。

 そのため、普通だったら10程度に感じればよい懸念事項も100倍1000倍の恐怖となって、母の目には映ったのだろう。

そんな母の娘である私もまた、不注意優勢型のadhdだ。厳しくしつけないと、将来どうにもならないと考えたのかもしれない。


 しかし、過干渉をはじめとした「心配している」を原動力にあれやこれや世話を焼くというのは、「親の不安を子で解消しているだけ」の状態。


「それは決して愛とは呼べない」


 私は、カウンセラーからそう教わって、世界の底が抜けたような気になった。私が長年愛と信じていたものは、世間一般でいうところのそれとは異質の物だったことを、30代後半になって初めて知った。衝撃だった。


「あんたは駄目な子」の後に続いたのは「それにくらべて○○ちゃんは~……」という、「誰か」との比較だった。私は常に、「母の理想の子供」になるよう強要され、そのイメージから外れた途端、嵐のような叱責が飛んできた。


 母が統合失調症を患っていた事は『はじめに』でも書いたかと思う。しかし、彼女とてはじめから精神病だったわけではない。かなりエキセントリックな性格の人だったし、境界型人格障害の症状に当てはまる項目がいくつもある為、思春期の頃はかなり振り回されたが、そこに愛が無かったわけではない。


ただその愛は、母が信じていた愛というものは、私の求めているものとは違ったのだ。


 レンズが壊れているがために周囲が歪んで見えてしまう眼鏡をかけて、風景を見るように。

 発達特性により認知が歪んでいて、子を想う気持ちだけが先走りしてしまったのかも知れないし、進行してゆく病のせいで少しずつ、歪な形になっていったのかも知れない。答え合わせはもう出来ない。今や認知症も入っている母との会話では。


 とにもかくにも、母の歪んだ愛によって私の認知も大いに歪んだ。


 「私は私で良いのだ」という気持ちを持てずに、罪人の烙印を背負って生きているような絶望感ばかりがあった。小学生のころから、死んでしまいたいと思っていた。


 そして、社会人として初めて就職した職場もまた、人目を多大に気にする風習があって(そんなものが無い職場があるのかは判らない)、せっかく大学で学んだ「自分だけの価値」を手放す羽目になったように思う。

しかしながら私自身、その仕事がやりたくてその職場に就職したというよりは、今まで私を馬鹿にしてきた周囲の人間を見返すために、良い就職先を欲したのだから、やはり生き方を省みなければならないだろう。


「世間一般の物差しで見た幸せではなく、私にとって何が幸せなのか」


 これがはっきりしていれば、中年期以降の人生をよりよく生きられると聞く。

私の課題はそれを見つける事なのかもしれないと考えている。私に出来るのだろうか……。

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