34. 観光のシメに

 小柄な体を悪用する悪い子ちゃんを引き連れて、色々な横浜の観光向けではない場所を見て回った。

 閑静な住宅街やその近くにある小学校。

 なんだか歴史がありそうな坂や、目ぼしい遊具がない公園。

 プレートが掠れて名前が読めない橋や、そもそも名前の分からない川など。


 そのどれもが一般的な観光客をうならせるには物足りないものだったが、現地の空気を味わいたい俺にとっては最高の観光ルートだった。

 隣を歩く星乃ほしのもだんだんと楽しみ方がきたようで、川を見ていた時には住んでいそうな魚の予想など俄然テンションが上がっていた。

 こういう場所を楽しめるのは星乃の方かも。ていうか水辺があればだいたいテンション上がってる気がする。まさに水を得た魚。


「すごいね神道しんどうくん、こういう楽しみ方もあるんだね」

「どっちかって言うと、この楽しみ方がわかる星乃がすげえよ」

「そうかな?神道くんが力説してくれたからじゃない?」

「そうだったとしたら、熱弁した甲斐があったよ」

「うん。やっぱり皆とはぐれて良かった。班行動のルートだったらこういう魅力分からなかったもん」

「はぐれるのは良くないけどな」


 班長さんの不真面目なセリフに苦笑する。

 だいたい見たいエリアは見尽くしたので、俺達は現在、班の集合場所へと向かって歩いていた。


「今からだと、ちょっと着くの早くなっちゃうかな?」

「うーん……でも他に寄り道したら間に合わなさそうでもあるんだよな」


 星乃の言う通り、今から行ったら若干の空き時間が生まれそうではあった。

 なんかちょろっとだけ見るものとかあるかな……歩きながら周囲を見渡す。


 しかし体が栄養を求めているのか、目に入るのは飲食店の看板ばかり。そういえばまだ昼を食ってなかったな……。

 そう思った時、ふと1つの看板が視界に飛び込んできた。


『ご当地!横浜家系ラーメン!』


 その時俺に電流走る。


(忘れてた……横浜には『横浜家系ラーメン』があった……!!)


 外食事情に疎いので、横浜家系ラーメンが何をもってして横浜家系ラーメンだとするのか具体的にはよく知らない。

 しかし、『横浜』という文字が入ってるからきっと横浜の物のはずだ。東京なんとかランドみたいなやつではない限り。


 元々の班行動では昼は横浜中華街で食べる予定で、その頃には俺も合流してるはずだったから、今回は食に関してすっかりアンテナを外していた。

 観光地に来たらご当地の名物を食べる派の俺が、この看板を見過ごせるわけがなかった。


「……星乃、お腹空いてたりしないか?」

「え?あっ、そういえば空いてるかも」

「すまん、あそこ寄ってもいいか?」


 俺は電撃を走らせた看板を指さす。


「ラーメン?」

「あぁ。もし嫌だったら隣の」

「行きたい!!!」


 次点でその隣の中華レストランにしようかと言いかけたら、星乃は俺の言葉を遮るように食い気味で承知した。


「そ、そうか、じゃ行くか」

「うん!!」


 俺以上にテンションが急上昇した星乃を連れて、看板の元へ歩き始める。

 そういえば前に「ラーメン屋行ってみたい」みたいなこと言ってたな。

 とりあえず星乃も快諾してくれたみたいで良かった。






「ぃらっしゃいー」


 見つけた看板の店の暖簾をくぐると、乾いた鍋の音と共にのんびりとした出迎えの声が聞こえた。

 時間的にはお昼のピークを過ぎたあたりだったので、客はほとんどいなかった。


「すいません、まだ時間大丈夫ですか?」

「おう、いいよー」


 入口には『営業中』の文字があったが、お昼の営業ストップの時間に割とギリギリなタイミングだったので一応尋ねた。

 声を掛けると厨房にいる活気のよさそうな店員は、快く迎え入れてくれた。

 入店の了承を得て後ろを振り返ると、星乃は入口左手にあった食券機をジーっと見ている。


「食券、初めて見るのか?」

「ううん。見たことはあるけど、使うのは初めて」

「まぁ女子が行く店にあんまり食券はなさそうだよな」


 星乃に操作の説明を軽くした後、俺も食券機に並ぶボタン達を眺める。


(おぉ、品揃えが少ない。いいねぇ)


 目の前に立つ食券機にはほとんど空のボタンが並んでいて、メインメニューの品数は指で数えられるほどだった。

 色んなメニューに幅広く手を出してる店もバラエティがあって良いが、1つの味にこだわってる専門性の高い店の方が俺は好きだ。


「星乃はどれにする?」

「えーっと……神道くんは?」

「俺はこの『自慢の家系ラーメン』かな。大体こういうのはボタンが一番でかいのが美味いんだ。たぶん」

「へー、そうなんだ。私もそれにしようかな。………あれ?」


 ふと星乃が俺の角度からは見えなかった、食券機の一番左下のボタンに気づく。

 そのボタンには『珍味!日替わりラーメン』と書いてあった。


「これもメニューなの?」

「あぁ、たぶんそうだな。聞いてみないとわかんないけど」

「今日の日替わりは魚介醤油ラーメンだよ」


 声の方を向くと、先ほど迎え入れてくれた店員が、厨房の中を移動し近くまで来ていた。

 俺たちが謎のボタンを不思議そうに見てるのに気づいたのか、声をかけてくれたらしい。

 しかし、なんとよりによって魚介醤油とは。


「星乃はじゃあこれにす………聞くまでもないな」

「うん!」


 振り返るとお魚大好き少女は、俺の顔に突き刺さるぐらいキラキラを発散させていた。


「じゃあその魚介のやつお願いします」

「あいよー。兄ちゃんは『じまいえ』でいいな?」

「じまいえ……?あ、そうです」

「ハハッ!よくわかったな!」


 活気のいい店員は豪快に笑い飛ばした。

『自慢の家系ラーメン』略して『じまいえ』か。

 個人の飲食店で働いてる経験が謎なところで活きたな。変な略称が飛び交うのはどこも一緒なようだ。

 客にそれをぶつけるのはどうかと思うけど。まぁこの人なりのコミュニケーションなのかもしれない。

 上機嫌になった店員は、カウンター席に座っていた他の客に料理を提供するため、厨房の奥へと戻っていった。


 無事注文は伝わったが食券を買わないわけにはいかないので、俺はリュックから財布を取り出す。

 すると、同じように財布を取り出し中身を確認した星乃が「あっ」と小さく声を上げた。


「……ごめん神道くん、一旦立て替えて貰ってもいい?全然お金入ってなかった……」

「立て替えるも何も、俺が連れてきたんだから俺が払うけど」

「それはダメ。神道くんが払ってばっかだと、私と一緒にご飯行きづらくなるから」

「別にそんなことは……ないと思うけど……」

「ありがとう神道くん。でも、自分の分は自分で払いたいから、後でちゃんとお金渡すね」

「わかった、じゃあ後でコンビニ寄るか」

「うん」


 特に俺も努めて奢りたい性分でもないので、律儀な星乃の意見を素直に受け入れる。

 ちゃんと奢られるのは彼氏できた時に取っておきたいとかあるかもな。前に回転寿司で払ったのは罰ゲームみたいなものだったし。


 千円札を2つ入れ、星乃の分の食券もまとめて購入する。

 再び店員がこちらに寄ってきたので、それらを渡す。


「お願いします」

「おう、ありがと。麺の硬さとかはどうする?」

「えっと……こういうのって何があるんでしたっけ」

「麺の硬さ、味の濃さ、油の量かな」

「あー……」


 ちゃんと向き合ったことがないラーメンの注文が俺に立ちはだかる。

 いっつも広樹ひろきの注文に適当に合わせてただけだから、あんまよく分かってないんだよな。普段広樹はどうしてたっけかな。


「星乃はなんかある?」

「うーん?よくわかんない」

「ですよね」


 一応聞いてみたが、予想通り星乃はポカンとしていた。

 食券を買ったことがないんだからそりゃラーメンの注文もわかるはずがない。


「じゃあ、油だけ少なくするか?」

「あー。うん、そうしようかな」

「おけ。じゃあ魚介の方だけ油少なめで、あと普通で」

「りょーかいー」


 俺が注文を伝えると威勢のよい返事がやってきた。

 あっ、そういえば。


「魚介の方ってニンニク入ってます?」

「あー少しだけ。抜くかい?」

「どうする星乃、ニンニク有ると無いのどっちがいい?」

「え?じゃ、じゃあ無い方がいいかも」

「わかった。すいません、魚介の方はニンニク抜きで」

「りょーかいー」


 言葉が染みついているのか、先ほどと全く同じトーンの了承が返ってきた。

 近くにオウムとか置いといたら、いつか了承の輪唱ができそうだなとか思ってしまった。


 無事注文を終えた俺と星乃は、希望のラーメンを待つためカウンターの席に座る。

 初めて見る家系ラーメンの厨房を食い入るように俺が見ていたら、隣に座った星乃が控えめに口を開いた。


「……神道くんって、なんか女の子の扱い慣れてるよね」

「え?そうか?」

「うん、今日色々見て回った時だってずっと私が疲れてないか気にかけてくれたし、さっきのニンニクもそうだし」

「あぁ。さっきのは広樹と柏木かしわぎとラーメン行った時、そういえば柏木だけニンニク抜いてたなーってのをたまたま思い出して」

「あ……なるほど……」

「疲れてないかってのはたぶん、家族で旅行に行った時、妹がいっつもブーブー疲れたって言ってたから、なんか癖づいたのかもな」

「神道くん、妹いるんだ」

「3個下。今は中1かな」

「そっか、だから女の子に慣れてるんだね」

「慣れてないぞ別に。みんなこんなもんだろ」

「えーそうかなぁ」


 星乃は納得しない感じで首をひねってるが、それでも望んだ答えが聞けたのかどこか満足げな様子だった。


 女子に慣れてるのかな俺は。たしかに女嫌いとか女性不信の感情はないけど。

 というかそもそも苦手意識が付くほど女子と深く関わったことがないから、たぶん『好きでも嫌いでもない』みたいな、フラットな立場だからそう見えるのだろう。


「でもそうだね、神道くんがお兄ちゃんってなんか納得」

「なんかよく言われるなそれ」

「そうなの?」

「あぁ」


 1ヶ月前ぐらいにバイト先の芽衣めいちゃんにも全く同じようなことを言われたのを思い出す。

 そんなにお兄ちゃん属性が高いのか?俺は。

 それかもしかして──


「そんなに老けて見える?俺って」

「ぷっ。そういうことじゃないよ」


 割と真剣に危惧して尋ねたが、吹き出す星乃にあっさり否定された。


「なんだか頼れるってこと。いつも冷静だし、色んなこと知ってるし」

「あーね。まぁさっき麺の硬さ聞かれた時内心焦ったけどな」

「えっ、そうなの?」

「あぁ、全然分からなくて肝冷やした」

「うそだ~。でもラーメンで温まれるから良かったね」

「あぁ、超良かった」


 店員の華麗な麺さばきを眺めながら脳のリソース半分で返事する。

 なんかだんだん星乃とも、こういう脱力した会話のキャッチボールもできるようになってきたな。


「でもいいなー。私も神道くんみたいなお兄ちゃん欲しい」

「星乃だけに?」

「え……?」

「なんでもないです」


 あ、あぶな……気が緩みすぎた。完全に広樹と話すノリが出てしまった。

 幸い星乃から凍てつく塩対応は来なかったが、それと同じぐらい苦しい疑問のリアクションをされてしまった。

 もしギャグの説明を求められたら、それこそ本当に肝を冷やす。


「星乃は兄弟とかいないのか?」

「うん。一人っ子」

「へー」


 何事も無かったかのように会話を切り替えると、星乃も何事も無かったかのように返してくれた。


「でも俺も星乃みたいな妹居たら、きっと面白かったかもな」

「そう?」

「あぁ。魚の知識は間違いなく今より付くと思う」

「あはは。それはそうかも」


 年下であってもきっと俺より魚に詳しくなるであろう少女は明るく笑う。


「そっか……兄妹みたいになりたいのかな私……」

「ん?」

「はいよ!日替わりと『じまいえ』ね!」


 星乃の呟きに蓋をするように、威勢のいい店員は鮮やかに彩られたラーメンをカウンターに乗せてきた。

 一瞬よく分からない言葉が聞こえたような気がするが、綺羅びやかなラーメンを前にしたらそんなことはどうでもよくなった。


 結果、俺に電撃を走らせた横浜家系ラーメンは、美味を通り越した美味だった。

 旅先で食べるラーメンは美味いと聞いたことがあるが、そんなジンクスなど関係なしの破格の味。

 家の近くにあったら1週間に1度は行きたくなる、それほどの1杯だった。


 隣にいた星乃も同じような様子だった。

 もはや言葉で味の感想は語らず、ただただキラキラをまき散らして初の外食ラーメンを堪能しているようだった。


 でも正直食べてる間はあまり星乃の方を見れなかった。

 自分の食べてるラーメンに集中しているのもあったが、近くに用意されていたヘアゴムで髪を結ってラーメンを食べ始めた星乃の様子は、見てはいけない気がした。

 見たらラーメンの味が分かんなくなる、そんな予感がした。






 大変満足な昼食を終えた俺たちは無事に集合時間に間に合い、広樹と柏木がいる班に合流した。

 星乃の姿を捉えるや否や、柏木がすっ飛んでくる。


「寂しかったよーナギー!」

「暑いって……」

「ん……?ナギからなんかいい匂いがするー!」

「ご飯食べただけだよ」


 数時間ぶりに星乃と再会した柏木は、いつもの抱擁で迎え入れてた。

 ニンニクを食べてたら鼻を摘ままれてたかもしれないな。

 結局最後まで途中合流しなかった俺たちに、広樹は不思議そうな顔で尋ねてきた。


「星乃さん連れてどこ行ってたんだ?」

「街ブラしてラーメン食ってきた」

「くそデートじゃん」

「客観的にはな。主観的には違う」

「意味わかんねー」


 広樹は肩をすくめて理解不能のポーズを取る。

 今回はあくまでなし崩し的に二人で行動することになっただけで、別に事前に予定したわけじゃない。

 デートは男女が前もって予定を決めて時間を合わせて、それで初めてデートになる。

 星乃に確認したわけじゃないけど、俺も星乃も今日のはきっとデートにカウントしてないと思う。


 とりあえず柏木と楽しそうに今日の感想を談笑する星乃を見て、彼女の校外学習を台無しにすることは避けられたようだった。

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