年越しのおはなし③
午後十一時。寺には長蛇の列ができていた。
鐘つきに来たのであろう。信心深い老人夫婦から、子供連れの若い夫婦まで、老若男女が列に並んでいる。
センは
煩悩を追い払うため鐘をつく。その煩悩とやらは、百八もあるらしい。
煩悩とは、人の心に宿る欲なのだと言う。センは昔から、鐘つきという行事を不思議に思っていた。
「煩悩って悪いものだって言われるけどさ。本当にそうなのかな?」
センは呟く。
答えを求めるというよりは、淡々と疑問を口にしているだけのようだった。
「曲を作って有名になりたいっていう欲を叶えるために、
始めの鐘つきは住職が行う。住職は
ゴォーーーン。
重々しい音が響く。
住職は振り返って参拝者に一礼し、鐘つきを勧める。
「私、思うんだけどさ」
鐘の音が響く中、
鐘の音があまりに大きくて掻き消されそうだ。センは耳をそばだてた。
「欲を捨てる必要は、ないんじゃない?」
「欲っていうのは原動力だもの。
例えば、ね。歌を作りたいと思った。素敵な歌ができた。みんなに歌を広めたいと思った。ストリートライブして、夢を共有する友達と出会った。
これ、素敵なことじゃない?」
あの時、
センが「ミュージシャンになりたい」と思ったからこそ、できた縁だ。欲とはなんと素晴らしいものだろうか。
「私達の番、来たよ」
目の前には
「これ、案外重いんだねぇ」
「一緒にやろうよ」
「いくよ」
センは声をかける。
「せーのっ」
一度ぐいと後ろに引っ張り反動をつけて、
ゴォーーーン。
重い音が響く。
センは、思っていたよりも大きい音に、思わず冠羽をパカッと開いた。それを見た
鐘をついた後は、速やかに後続の参拝者へと順番を譲る。セン達が
「そうだ」
センは思い出したように声をあげる。
知りたいと思いながら、ずっと訊かないままでいたことを思い出したのだ。
「君の名前、教えてよ」
センは
彼女に会ってからずっと、配信者としての「
「もう、呼んでくれてるよ」
「いや、そうじゃないんだ。俺が知りたいのは本名の方だよ」
「だから、もう呼んでる」
センは言い返そうとして、しかし
「朝川クロ。だから今まで通り、クロって呼んで」
彼女のはにかんだ頬は桃色に染まる。
百七回目の鐘の音。
センは時計を見た。時刻は十二時。つまり……
「年が明けたね」
センは呟く。
年明けを告げるように、百八回目の鐘の音が、辺りに響き渡る。
この瞬間から、新しい一年。新しい一日。
「えっと、あけましておめでとう」
「おめでとう」
センとクロは、互いに頭を下げて、年明けの挨拶を交わす。それが妙におかしくて、二人はクスクスと笑いあった。
「じゃあ、これからもよろしくね。クロ」
いつも呼んでいたはずの名前だが、本名だと知ると特別なもののように思えた。ファンと有名人ではなく、センとクロとして。これからの関係性が、隣で笑い合える友人となるのだと、そう思えた。
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