年越しのおはなし③

 午後十一時。寺には長蛇の列ができていた。

 鐘つきに来たのであろう。信心深い老人夫婦から、子供連れの若い夫婦まで、老若男女が列に並んでいる。

 センはCUROクロと共に、列の中程に立っていた。寒い手を擦り合わせ、鐘つきの始まりを、今か今かと待っている。


 煩悩を追い払うため鐘をつく。その煩悩とやらは、百八もあるらしい。

 煩悩とは、人の心に宿る欲なのだと言う。センは昔から、鐘つきという行事を不思議に思っていた。


「煩悩って悪いものだって言われるけどさ。本当にそうなのかな?」


 センは呟く。

 答えを求めるというよりは、淡々と疑問を口にしているだけのようだった。CUROクロはそれに耳を傾ける。


「曲を作って有名になりたいっていう欲を叶えるために、CUROクロも俺も努力してるわけで。それを全部捨てろっていうのは、無茶だよなって」


 梵鐘ぼんしょうに住職が近付く。参拝者の列を振り返り、一礼する。鐘つきが始まるのだ。

 始めの鐘つきは住職が行う。住職は梵鐘ぼんしょうに深々と礼をする。鐘木しゅもくに結び付けられた綱を引き、鐘木しゅもくの先端を梵鐘ぼんしょうに打ち付けた。


 ゴォーーーン。


 重々しい音が響く。

 住職は振り返って参拝者に一礼し、鐘つきを勧める。


「私、思うんだけどさ」


 鐘の音が響く中、CUROクロは言う。

 鐘の音があまりに大きくて掻き消されそうだ。センは耳をそばだてた。


「欲を捨てる必要は、ないんじゃない?」


 CUROクロは、鐘の音に負けないよう声を張る。


「欲っていうのは原動力だもの。

 例えば、ね。歌を作りたいと思った。素敵な歌ができた。みんなに歌を広めたいと思った。ストリートライブして、夢を共有する友達と出会った。

 これ、素敵なことじゃない?」


 CUROクロが語るのは、自分達の出会いのことだ。センはCUROクロとの出会いを思い出す。

 あの時、CUROクロが足を止めてアドバイスをくれたから、センはセンらしい歌を作ることができた。CUROクロはかけがえのない友人になった。

 センが「ミュージシャンになりたい」と思ったからこそ、できた縁だ。欲とはなんと素晴らしいものだろうか。


「私達の番、来たよ」


 CUROクロが言う。センは顔を上げる。

 目の前には梵鐘ぼんしょうがある。今自分が持つ欲を消すのは勿体もったいないなと、センは思った。


「これ、案外重いんだねぇ」


 CUROクロは何も気にしていない様子で、鐘木しゅもくから垂れ下がる綱を引く。無邪気な彼女が可愛らしいなと、センは笑った。


「一緒にやろうよ」


 CUROクロはセンを振り返り言う。鐘木しゅもくが重すぎて、一人でつくには不安があるのだろう。センはCUROクロの手に自分の手が重ならないようにしながら、鐘木しゅもくの綱を握る。


「いくよ」


 センは声をかける。CUROクロは頷く。


「せーのっ」


 一度ぐいと後ろに引っ張り反動をつけて、鐘木しゅもくの先端を梵鐘ぼんしょうにぶつける。


 ゴォーーーン。


 重い音が響く。

 センは、思っていたよりも大きい音に、思わず冠羽をパカッと開いた。それを見たCUROクロは、口元を隠してクスクスと笑う。


 鐘をついた後は、速やかに後続の参拝者へと順番を譲る。セン達が梵鐘ぼんしょうから離れた後も、しばらくは断続的に鐘の音が続いた。


「そうだ」


 センは思い出したように声をあげる。

 知りたいと思いながら、ずっと訊かないままでいたことを思い出したのだ。


「君の名前、教えてよ」


 センはCUROクロ強請ねだる。

 彼女に会ってからずっと、配信者としての「CUROクロ」という名前しか知らなかった。不便なことは何一つないのだが、友人だというのに本名を知らないのは寂しいことだと思っていた。

 CUROクロ悪戯いたずらっぽく笑う。


「もう、呼んでくれてるよ」


「いや、そうじゃないんだ。俺が知りたいのは本名の方だよ」


「だから、もう呼んでる」


 センは言い返そうとして、しかしCUROクロの言葉の意味に気付いて、口を閉じた。


「朝川クロ。だから今まで通り、クロって呼んで」


 彼女のはにかんだ頬は桃色に染まる。

 

 百七回目の鐘の音。

 センは時計を見た。時刻は十二時。つまり……


「年が明けたね」


 センは呟く。

 年明けを告げるように、百八回目の鐘の音が、辺りに響き渡る。

 この瞬間から、新しい一年。新しい一日。


「えっと、あけましておめでとう」


「おめでとう」


 センとクロは、互いに頭を下げて、年明けの挨拶を交わす。それが妙におかしくて、二人はクスクスと笑いあった。


「じゃあ、これからもよろしくね。クロ」


 いつも呼んでいたはずの名前だが、本名だと知ると特別なもののように思えた。ファンと有名人ではなく、センとクロとして。これからの関係性が、隣で笑い合える友人となるのだと、そう思えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る