虐められっ子のおはなし③

「危ない!」


 レミが田川に駆け寄る。強風の中を、しっかりとした足取りで進む。

 柵を越え落ちようとしている田川の手を、レミは掴んだ。田川は勢いのまま柵を越えてしまい、レミの腕を掴んで宙ぶらりんの状態となった。

 ガクンと、レミは腕に鈍い衝撃を感じた。


「レミちゃん!」


 市川は慌ててレミに駆け寄る。そして、レミの腕にぶら下がる田川を見下ろした。

 田川の顔は真っ青であった。落ちたくない一心で、レミの腕に両手でしがみついている。レミは、今のところは踏ん張っているが、無理をしていることは明白だ。彼女は口を横にぎゅっと結び、眉間に深くシワを寄せていた。

 レミ一人では、引き上げるどころか二人揃って柵から落ちてしまいかねない。市川は田川の片手を握る。二人で息を合わせ、田川の手を引く。

 ずるずると、田川の服が壁に擦れる。市川とレミは息を止め、渾身の力で田川の体を引っ張り上げた。


「…………はー……疲れた…………」


 市川はその場に仰向けに倒れた。

 レミはぺたりと座り込む。


「なんで?」


 田川は、ふらふらと立ち上がり問いかけた。


「なんで私を助けたの?」


 レミは首を傾げる。

 その態度は、田川の感情を逆撫でた。


「私、あんたを虐めてたんだよ。普通なら、あんな無理して助けないよ」


 田川は、落下していく自分の姿を想像し、ぶるりと震える。

 レミが助けてくれなければ、きっと田川の命はなかっただろう。何故生きているのか、何故助けられたのか、それがわからず、田川は困惑した。


 レミはふわりと微笑んだ。


「気付いたら田川さんの手を掴んでたの」


 田川はなおも捲し立てる。


「私はあんたの本を捨てたんだよ。ムカつくでしょ? 腹立つでしょ?」


 まるで「怒ってくれ」と言っているかのようだ。

 しかし、レミの態度は変わらないのだ。


「本を投げ捨てたのは悲しいけど、田川さんが落ちちゃうのが、私は嫌だったから」


 田川は顔を歪めた。

 怒ってくれた方が、虐めた事実も、本を投げ捨てた事実も、それに対する罪悪感だって軽くなるだろうと、田川は思っていた。

 だが、レミは怒らない。ただ微笑んで、「助けられてよかった」と宣うのだ。

 レミの聖人ぶりに、田川は打ちのめされてうつむいた。


「ねえ、虐めるのやめなよ」


 立ち上がった市川が口を開く。


「レミちゃんはさ、こういう子だよ。カカポだからかどうか、わかんないけどさ、レミちゃんは田川ちゃんを恨むことはきっとない。

 田川ちゃんが、自分のこと嫌いになるだけだよ」


 ダメ押しとばかりに投げかけた市川の言葉は、きっと田川に刺さったのだろう。田川は何も言わなかった。


「いっちー! レミちゃん!」


 屋上の入口から、橋本の声が飛んできた。みんなは振り返る。

 橋本が、担任の先生を連れて、屋上へとやって来たのだ。


「ここは閉め切ってたはずでしょう? 誰? 屋上の鍵を盗んだのは」


 市川はちらりと田川を見遣る。

 田川は観念して、先生に謝罪した。

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