怖がりなおはなし②

 それは午後八時二十分に差し掛かったところであった。

 九時に店を閉める都合上、八時半にはラストオーダーと決まっていた。そんな中、女性が一人店に入ってきたのである。

 真っ黒な髪にとんがり帽子。引きずる程に長いローブは、――そういうデザインだろうか――裾や袖が擦り切れている。ゆったりとした袖口から覗くのは、艶やかで真っ黒な羽と、赤く染められた三本の爪。

 魔女の仮装をした女性であった。


「ひっ……」


 魔女というより幽霊に似ていて、配膳をしていたセンは冠羽かんうを震わせる。

 クーはセンが怯えていることに気付き、率先して魔女の接客をした。


「いらっしゃいませー。一名様ですか?」


 魔女は静かに頷く。


「失礼ながら、八時半でラストオーダーとなっております。よろしいでしょうか?」


 魔女はまた頷いた。


「かしこまりました。ではこちらにどうぞ」


 クーは魔女を奥まった席へと案内する。そこは窓がない一角で、明かりは届くが影が多く、薄暗い印象を与える席であった。

 魔女は席に座る。クーからメニューの冊子を手渡され、会釈をしてメニューを開く。


「ごゆっくりどうぞー」


 クーはそう言い席から離れようとしたが、魔女はクーを手招きし、身を乗り出してささやいた。

 センはそれを厨房から見ていた。席から回収した汚れた皿をシンクに積み上げ、洗い物を始めようと腕捲りする。


「セン、ちょっと」


 クーが厨房に戻ってくると、すぐにセンは声をかけられた。


「さっきの魔女さん……二番テーブルのお客さんが呼んでる」


 指名を受け、センは面食らった。魔女の知り合いはいないとばかりに、首を激しく横に振る。


「でも呼んでる。とにかく行ってあげて」


 センは断りたくてたまらなかった。しかし、魔女の指名を断ることを恐ろしく感じ、渋々センは頷いた。汚れた皿はそのままにして、注文用紙とバインダーを持ってホールへと向かう。

 袖口から見えた翼で、中身は鳥子とりこだということはわかっている。あのリアルな仮装は、ハロウィンのためのものだ。センはそう自分に言い聞かせた。


「いらっしゃいませー……」


 センは魔女が座る席まで行くと、ぎこちない笑みを張り付けた。怖々と声をかける。

 魔女はとんがり帽子を脱いだ。帽子の下にあったのは整った顔立ちでニヤリと笑う女性であった。

 センは「あっ」と声をあげる。


「君は!」


 センは「CUROクロじゃないか」と言いかける。女性は人差し指を立てて、歯の間から「しぃー」と声を洩らした。


「騒ぎになっても困るのよ」


「ああ、ごめん。

 じゃなくて」


 センは女性に顔を近付ける。悪戯いたずらっ子のようにヘラヘラ笑う女性からは、キャンディの甘い香りがした。


「今日は配信があるんじゃないの?」


 センは問いかけた。

 CUROクロの情報を追っている彼は知っている。動画配信サイト「Tootube」にて、十時からライブ配信を予定していたはずなのだ。こんな時間に、ここにいていいのだろうか。

 だが女性は笑顔を崩さず、センに向かってこう言った。


「やっぱり私をCUROクロだと思う?」


 センは頷く。女性は――CUROクロは、腕組みをすると何度も頷いた。


「やっぱりファンの耳は誤魔化せないかぁ」


 等と言いながら。

 センはいぶかしむ。何故この店に立ち寄り、自分を呼んだのか。元から、自分に会いに来ることがCUROクロの目的なのではないか。自分に会って、何をしたいのだろうか。

 センはただのファンの一人だ。一般人だ。CUROクロに会えて心臓が跳ね回るほど嬉しいが、それ以上に、彼女の思惑がわからず困惑しているのだ。


「ねえ、セン君だっけ? この後時間ある?」


 唐突に話を切り出され、センは目をぱちくりさせる。


「九時から?」


「うん。どうかな?」


 心臓が口から零れそうになり、センは息を詰まらせた。CUROクロが何を言っているのか。脳はそれ処理できない。


「ね、この後一緒にどう?」


 センは頭がくらくらとしていた。これを夢心地と言うのだろうか。口はポカンと開いたまま、ゆるゆると頷く。


「じゃあ決まり。

 えっと、注文なんだけど」


 CUROクロは、話は終わったとばかりにメニューを開いた。

 その時センは、重大なことに気付いた。CUROクロは十時からライブ配信の予定だ。喫茶エトピリカの閉店は九時。

 センは冠羽かんうを逆立てる。


「え、あの……まさか……」


 CUROクロはニヤリと笑った。


「あなたも配信に出てもらうからね」

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