第79話 定期総会(1)
ドラグーン地方では、半年に一度の頻度で、勢力内の貴族家がドラグーン領都ドラグレイドへと集まり、定期総会が行われる。
主な目的は情報の交換、地方の重要ポスト人事の調整、新道敷設などの公共事業に関する嘆願などだ。
子の入試や就職、中央官庁人事に関する情報交換を主な目的とする、王都での初春の社交とは違い、自家の権益に直結する議題も多いため、子爵や男爵も結構出席する家が多い。
本来は入学から一月ほどの時期に行われる春季の総会は、戦争の対策会議などでドラグーン侯爵が王都を離れられず、1月以上その予定を遅らせて開催されることとなった。
ドラグーン領都ドラグレイドは、比較的王都に近い、ドラグーン地方の北西部にある。
南方地方特有の、赤茶色の瓦屋根に特徴がある、石と煉瓦を組み合わされて作られたノスタルジックな街並みは、どこかにその昔、希少鉱物の発掘で栄えたという頃の面影を残す。
ロヴェーヌ子爵領主、ベルウッド・ロヴェーヌとその妻、セシリア・ロヴェーヌは、総会の当日朝にドラグレイドへと入った。
常であれば、遅くとも前日の昼には馴染みの宿に入り、夜は、赤い特徴的な提灯のネオンが街中に煌めく、狭い路地と石階段が迷路のように入り組む街へと夫妻で繰り出し、さして高級ではない店だが
「ふぅ。
アレンの不正嫌疑は晴れたらしいが、今回の総会は気が重いの。
普通にEクラス合格なら、肩をいからせて鼻高々に出席するのにのぅ…」
「肩をいからせて鼻高々に出席すれば宜しいではありませんか。
王立学園のAクラス合格など、1000を超える貴族家を抱えるドラグーン地方からも、年に1人か2人出るかどうかという狭き門。
それをアレンが通過したのですよ?
我が子の頑張りを親が誇らずしてどうします」
妻にそう言われても、ベルウッドには現実感がまるでなかった。
アレンに身体強化の面で飛び抜けた才能がある、やる気さえ出れば頭も切れるという事は、ベルも認識していたが、それがどの程度の水準にあるのかなど、唯の田舎子爵領主であるベルウッドには、まるでわからない。
一族700年の悲願ー
このドラグーン地方でも神童と名高かった、あのローザでさえも不合格になった厚くて高い壁を、跳ねっ返りで、だが可愛い末っ子のアレンが易々と突破して、Aクラス合格を果たすなど、どうして想像できようか。
「…何がどう伝わったのか、ゾルドにも注目が集まっているようだからの。
おかげで、グリムの奴は家で留守番だしのう」
「ゾルドへの訪問客も落ち着いて参りましたし、家の方は近頃しっかりしてきたグリムに任せておけば問題ありません。
ゾルドも、アレンと詰めた最後の数ヶ月で随分と貫禄が出ました。
暫くは家で出番は無いのですし、本人の好きにさせるしかありませんね。
貴方は貴方らしく、『謙虚・堅実』がモットーのロヴェーヌ家として対応すればよいのです。
何か言われても、アレンのことを信じてすべて本人に任している、で通すしかないでしょう。
事実がそうなのですから」
「…そうだの。
あやつに細かな報告など期待するだけ無駄だが、手紙一つよこさんから、合格した事以外何もわからん。
…だがアレンが王都へと出立する前に共にした夕食で、『もし合格しても、まかり間違って途中で退学にでもなったら赤っ恥だから、自慢して回るような真似は控えろ』、なんて言っておったのも、嫌な予感を覚えずにはおられん。
なんぞ問題でも起こして、まだ退学になっておらん事を、祈るしかないの…」
ロヴェーヌ夫妻は、面倒ごとを避けるため、滞在時間が極力短くなるように調整してドラグレイドへと入った。
◆
ドラグーン侯爵家迎賓館。
時には1000人を優に超える参加者が、一堂に会する総会の会場は、その広さもまた尋常ではない。
美しい赤煉瓦を基調に、石の彫刻があしらわれた豪奢な迎賓館の車寄せに直接馬車を乗り付けた子爵は、心の中で『謙虚・堅実』と繰り返し、何とか無難に今日という日を乗り切るべく、意を決して馬車をおりた。
と、するとそこには、とてつもない重量感を感じさせる甲冑に身を包んだ、右目に刀傷がある大男が待ち構えており、いきなり子爵を大声で怒鳴り上げた。
「貴様がベルウッド・ロヴェーヌか!!
たかだか田舎子爵領主の分際で、よくもこの名門、アベニール伯爵家の顔に真正面から泥を塗りおったな!
覚悟はできておるのだろうなぁ?」
槍の名門アベニール家当主、ニックス・フォン・アベニール伯爵。
アベニール流槍術師範にしてドラグーン私設軍に3人しかいない将軍。
その男が、特徴的な黄緑の髪を逆立てて、激怒している。
「へっ?
私が名門、アベニール伯爵家に泥ですか。
一体何のことですかな?」
とりあえず、この場を取りなさなければと、声を裏返しながらベルは尋ねた。
「どこまでも愚弄しおって、この狸が…
わしの槍を見ても、まだその気の抜けた顔でいられるか…
貴様の本性を、このわしが今この場で暴いてくれるわ!」
そういったアベニール伯爵は、鈍く光る無骨な十字槍を腰だめに構えた。
そして、その場で微動だにしないベルへと向けて、槍をごうと突いた。
「……なぜ避けん?」
ベルウッドの額に穂先が触れるか触れぬかの所で槍を止めたアベニール伯爵は、怪訝な顔で尋ねた。
ベルウッドはこの余りに見当違いの質問に、思わず大笑いした。
「わっはっはっ!
なぜも何も、私は官吏コース上がりの、ガーデニングが趣味の田舎子爵ですぞ?
武の才などカケラもなく、避けたくっても避けられるわけがありますまい!
いや、閣下はご冗談がうまい!」
「……貴族が武の才が無いなどと、堂々と宣言してどうする。
…調子の狂う男よ。
避けられずとも、その場で腰を抜かしてしょんべんの一つでも漏らすもの、と思っておったが……
ロヴェーヌ子爵家などと聞いた事もない田舎者が、『常在戦場』などという大層な題目を掲げて王都に名を轟かしておる、などと聞いて、ドラグーンが恥を掻く前にその正体を暴くつもりだったが…
中々どうして、腹は据わっておるな」
「閣下が本気でわしを殺す気なら、今頃わしはしょんべんまみれですわい。
閣下のお戯れだという事は、殺気の質から瞭然でしたのでな。
先日など、近所のパン屋に新しく入った、かわいい娘に鼻の下を伸ばしておるところを妻に見られましてな。
殺人鬼のような殺気を振り撒く妻から、1時間もチビりながら街中を逃げ回りましたわい。
わっはっは」
「ふふふ。
何が面白いのですか?ベル」
ドンッ。
口元を少女のように綻ばした殺人鬼が、馬車から遅れて降りてきて、その肩に野太い青龍刀を担いだ。
鞘に収められているとはいえ、その質量を振り抜けば、常人であれば易々と叩き潰すであろう。
「「ひぃっ」」
その尋常ではない殺気に、遠巻きで様子を見ていた野次馬から悲鳴が漏れる。
「う、うむ。
それは卿が悪いな。
わしなどは妻以外の女性に目移りした事など一度もない。
やはり男たるもの、これと決めた1人の女に全てを捧げる覚悟がないとな」
ちらりと、後ろにいる女性ー
おそらくはその妻、アベニール夫人を見て伯爵は断言した。
「流石は閣下です。
ベルも見習いなさい!」
「そ、そんな!
ずるいですぞ、閣下!
閣下も若い頃はそのヤリ使いが花街で噂になるほどー」
「ええい、だまれ!
結婚してからは妻一筋だ!
誰が何と言おうと卿だけが悪い!
わしは貴様の案内を
さっさと受付を済ませてこい!」
こうして、『謙虚・堅実』がモットーのベルウッド・ロヴェーヌの定期総会は幕を開けた。
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