第10話 最後の気がかり


 王都到着の翌日。


 本番は2日後だが、俺は朝の走力訓練のついでに、王立学園に来ていた。


 大丈夫だとは思うが、試験当日、雰囲気に呑まれるような事がないように、ひと目会場を見ておこうと思ったのだ。


 ふむ。片道10kmほどか。

 準備運動にちょうどいいな。試験当日も歩いて来る事にしよう。


 しかし、さすがは王国の最高学府…


 まず思う事は…そう、馬鹿でかい。


 馬車が4台は悠々とすれ違えそうな正門から中を覗くと、綺麗にひかれた石畳が延々と伸びて、学舎と思しき西洋風の建物まで続いている。


 豆粒ほどに小さく見えるその白亜の学舎までは、少なく見積もっても3kmはあるだろう。


 そこで石畳は学舎を回り込むように2つに分かれ、1つは右奥に見える森に向かって伸び、もう一つは校舎の左手から真っ直ぐと伸びて奥へと消えている。



 うん。舐めプせず、やはり先に見に来ておいてよかった。


 この威容を、当日いきなり、受験独特の雰囲気の中で見て、平常心を保つのは難しいだろう。


 おそらく、あるものは萎縮して、またあるものは『絶対に合格する!』、などと力を入れて、本来の力を出せないままに学園を去るに違いない。


 普段通りの心境で、普通の力を発揮する。それがもっとも力が出せる。



 毎年、騎士コース、魔法士コース、官吏コースの3つのコースを合わせても合格者はたった100人、3学年で300人しかいない学園が、どうやって10000人以上の受験生を収容するのかと不思議に思っていたが、この威容であれば容易く収まりきるだろう。



 …しかし正門から覗いただけでは全容が全くわからないな。


 俺は学園の塀に沿って、時計回りに走り出した。



 ◆



 結論から言うと、この学園は全周が40kmを超えるとてつもない広さだった。


 王都の中心部からは離れているとはいえ、うちの子爵領都のクラウビア城郭都市が丸々入るくらいの広さがある。


 よく考えてみると、魔法士の訓練には距離が必要だし、ある程度の広さがあった方が便利なのかもしれない。


 …いや、それにしたって広すぎる気がするけれど…


 実家では城壁に沿って一周が朝のルーティーンだった。


 慣れ親しんだ朝の走力訓練のコース代わりに丁度いい。


 同じ距離を走る事で、自身の変化を測るのだ。

 安易に距離を変えたりすべきではない。


 斜度10°、全長500mと、実に素晴らしい坂道を途中に発見したので、ついでに坂道ダッシュを10本行った。


 全力で登って、ジョギングで降りる。



 俺がなんのために走力訓練を毎日続けているか?

 それは、筋力トレーニングのためだ。


 騎士には、持久力ももちろん必要だが、やはり強さに直結するのは筋力だ。


 短距離ダッシュには騎士に必要な筋力トレーニングの全てが詰まっていると言っても過言ではない。


 オリンピックの100m走決勝を見ればわかるが、どの選手も丸太のような腕をしている。


 単純に、速く走るという事にも、腕を始めとした上半身の筋力が重要だという事だ。



 これほど効率よく行える全身運動は他にないだろう。


 例えば素振りでは、十分に足の筋力を鍛える事はできない。


『全力』を出せる運動というのは、実はそう多くはないので、全力下での魔力操作の鍛錬にもなる。


 前世であれば、100mで十分だろうが、この世界には身体強化魔法があるので、勾配を利用して距離も長く取り、負荷を調整している。


 覚醒後、最初は漫然と走っていたのだが、『走る意味』を突き詰めていくと、色々な発見がある。


 その度にルーティーンを少しずつ変更し、効率を上げていく。


 そうした作業が楽しくって仕方がない。


 よし、明日も来よう。


 ルーティーンができた事で、入学が少しだけ楽しみになった。



 ちなみに、外周を一周回ってみたが、正門が南だとすると、北に裏門があり、そこからまた遠〜くの方に寮っぽい建物が見えたくらいで、後は塀の高さが調整されていて、中の様子が窺えるような所はなかった。


 塀によじ登ろうと思えば登れるが、王族も通うことのある学園だ。


 どのようなセキュリティが敷かれているかわからなかったのでやめておいた。



 ◆



 ロヴェーヌ子爵別邸に帰り、小さな庭で素振りを終えた俺は、いつも通り固形食を摂取しようとしたところで、母上に声をかけられた。


「アレン?何ですかそれは?」


「これは、携帯非常固形食です」


「それは見ればわかります。なぜそのようなものを食べようとしているのですか?」


 冷めた目で聞かれる。あまりよろしくない雰囲気だ。


 だが、朝食にこの固形食をいただくのは、すっかりルーティーン化した俺の儀式なのだ!

 せめて受験が終わる明後日まではこのルーティーンを崩したくない!


 勇気を振り絞って俺は説明した。


「常在戦場の心構えで試験に臨むために、自分に課した願掛けのようなものです。

 明後日の試験までは、この食事を続けるつもりです」


 母上は、俺の目をたっぷり5秒ほど見つめてから言った。


「体を作るのも騎士の仕事です。特に朝のエネルギー補給と夕食での体づくりは重要だと私は思います。

 昼食には口出ししませんから、朝はきちんとしたものを食べなさい」


 有無を言わせぬ雰囲気だ…


 何と言えば説得できるかを考えていると、


「アレン君、おはよぉ〜」


 姉上が起きてきた。


 休日にこの時間午前8時に起きてくるのは実家の頃の感覚からするとかなり早い。


 だが昨日の垢抜けた雰囲気はまるで無く、跳ねまくった寝癖に、ダボダボのパジャマを着ていて実にだらしがない。


 窮屈なのが嫌いだとかで、昔からずっとこのスタイルだ。


「ローザはもう少しきちんとなさい。アレンは随分早くに起きて、汗をかいて来ましたよ。

 先ほど、少し剣を振っているところを見ましたが、成長が見えました。アレン、毎日続けているのでしょう?」


 母上は昔から、努力をして、成果があれば、正当に褒めてくれる。


 それがどれほど有難いことかは、覚醒した今だからよくわかる。


「はい。といっても、まだ3ヶ月ほどですけれど」


「へぇ〜。アレン君が素振りして、お母様が誉めるなんて…私も見たかったなぁ」


 先ほどまでの寝ぼけまなこはすでになく、興味津々といった様子で姉上がいった。


「ま、いっか!アレン君が王立学園に入学したら、これからはいつでも見られるものね!うふふ」


 姉上は上機嫌だ。


「ねぇねぇ、アレン君!

 今日はどこにいこっか?アレン君のために、王都の美味しいレストランとか、お洒落な洋服を売っているお店とか、友達にたくさん聞いておいたんだ〜」


 そのために早く起きて来たのか…


 呆れたように母上が首を振った。


「明後日試験のアレンに遊んでいる暇などあるわけがないでしょう。それにローザも明後日からまた学校でしょう?

 準備はできているのですか?」


「えぇ〜!せっかくアレン君のために色々調べたのに…まぁ仕方ないかな…これからは毎日一緒だしね!」


 今しかない…


 この流れを逃したら、もうチャンスはない。


 俺は密かに身体強化の準備をしながら切り出した。


「あぁ、俺は合格したら寮に入るつもりですよ。

 騎士を目指すんですから、同じ釜の飯を学友と食うのも勉強のうちです」


「…あ゛?」


 姉上の機嫌は急降下した。

 キレる直前だ。


「冗談だよね?アレン君?私がこれまでどれほどこの日を楽しみにしていたか…?毎月手紙を送っていたんだもの。アレン君ならわかるよね?」


 やばい。勉強に集中するため、という理屈をつけて、返事を出せないと宣言してから、これ幸いと読んですらいない。


 具体的な手紙の内容に話が及ぶ前に、話を進めなくては。


 母上審判が近くにいることを今一度確認した上で、俺は答えた。


「冗談じゃないですよ、姉上。俺は寮から学園に通うつもりです。父上の許可もとってあります」


 瞬間、飛んできた右拳を俺は掴んだ。


 かなりのスピードだが、来るとわかっていれば対応できる。考えなしだった昔の『アレン』とは違うのだ。


 姉上は回転が途轍もなく早い。

 初手を掴んだことで、次の一手を封じたのだ。


「へぇ〜止めるんだ…?ほんと、どんどんカッコ良くなっちゃうね〜、アレン君?」


 顔は笑っているが、これはキレている。


「魔道具士が、グーで殴るのはどうかと思いますよ、姉上。手が命でしょう…?」


 その細い腕からは想像できない力で押し込まれるのを押し返しながら、俺は答えた。


 だがその瞬間、これまたとてつもないスピードで力を抜かれた。


 鍔迫り合いからの『抜き』はもちろん警戒していたが、100から0が速すぎる!


 前のめりになるのを踏ん張ろうと足に力を入れようとした瞬間には、膝が俺の顎を捕らえようとしていた。


 反射的に身体強化で顎をカバーするが、顔が跳ね上げられた。


 何とか身体強化が間に合ったが、もし間に合わなければ顎の骨が粉々になっていただろう。


 まぁ、姉上も、俺がガードするのは見越していたとは思うが、俺2日後に人生のかかった試験があるんだけど……



 跳ね上げられた顔に追い討ちの裏拳かまされて、鼻血が飛び散った。


「心配してくれてありがとう、アレン君。

 でもアレン君の顔は柔らかいから大丈夫だよ?」


 姉上は、「話し合いをしましょ?」と笑顔で言った。


 そこで母上審判が割り込んだ。


「あなたたち、遊んでないで朝食を済ませなさい。

 アレンの言う事ももっともです。

 寮に入ったとしても、すぐ近くなのだから、いつでも会えるでしょう?ローザはそれで了見なさい。

 領主であるベルが認めたのなら、この話はこれで終わりです」


 くっくっく。


 俺は鼻血の垂れた顔で密かにほくそ笑んだ…。


 母上は、子の安全に関わるような内容でなければ、基本的には親父を立てる。


 俺は、あの親父との夕食の時にはすでにこの形を思い描いていたのだ!

 緻密な戦略の勝利だ!


 姉上が目に涙を溜めながら睨んでくるので、何故か俺が悪いことをしたような気になるが、こうして最後の気掛かりを払拭した俺は、明後日の試験に万全の状態で挑めることとなった。


 ちなみに、その流れでさりげなく固形食を摂取しようとしたら、母上が「あ゛?」と言ったので、俺は呆気なく折れた。

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