Episode008 試練②
太い指にはめられているのは、ギラギラとした宝石の指輪。
情けなく飛び出た太鼓腹。
ぶよんぶよんっと、そんな擬音語がこの世で最も似合うだろうそんな男。
間違いなく、奴隷市場でセシリアに乱暴を働こうとしたロッキーだ。
ロッキーはあからさまに青筋を立てて、かなり不機嫌そう。
声には出さず、セシリアは物陰から様子を窺った。
「なかなか帰ってこないから来てみてみれば…………使えない下っ端どもだえ」
「あ、危ないですよロッキーさん! あなたのような高貴な方がこんなところに来られたら」
「こんな場所、ほんとは来たくなかったえ。だからさっさと出るえ」
……あ、帰ってくれるんだ。
「そ、そうですよね! 早くこんな場所から出て行って、屋敷に戻りましょう。ささ」
「ボクはもう帰るえ。貴様らゴミクズは、ここに残ってツノを採取するまで帰ってくるんじゃないえ」
「え?」
青ざめる二人の男。
「それも無理なら、佪獣どもの餌になるえ」
その瞬間、ロッキーの姿がぶれた。
脂肪の塊だと思われた太い腕が、呆けた男二人の顎を見事に捉える。ぐらついた二人に、ロッキーが小瓶の中身をぶちまけた。
「くせぇ!! なんだこれは!?」
「ラフレシアの匂いと腐った肉の匂いを混ぜてあるえ。使えない下っ端なんてこのボクには必要ないえ、だからゴミ捨て場に捨てるのが一番だえ」
これでもかというほど、腐った性根の持ち主だった。
あの匂い。
エルフの自分でも分かる、獣を興奮させる匂いだ。あれだけ強力なら簡単に獣が集まってきてしまう。
いや、もう殺気立った獣たちが集まってきていた。
一体、二体、三体四体……。
ラフマニノフと呼ばれる巨大な獣もいた。
「ち、ちょっと……効果てき面すぎだえ。ボクが帰る時間くらいほしかったのだえ」
自分も獣に囲まれる羽目になったロッキーはことさら真っ青に。
匂いのもとを振りかけられた下っ端二人は、武器を構えながら膝を震わせていた。
「やばいやばいやばいやばい!! 何匹いやがるんだ、こいつら!!?」
「貴様ら、ボクを守るんだえ!」
「さっきゴミクズとか言って捨てただろ!?」
「前言撤回だえ、ボクを守り切ったら部下に戻してやるえ!!」
……さっきまでゴミクズと言って捨てた人間を。
……今度は自分の身が危ないからといって、助けてもらえると思っているのか。
幼いながら理解した頭で、怒りをセシリアは覚える。
「金もやる、だからッ」
「誰がてめぇみたいな豚狸を救ってやるかバカが!」
当然、下っ端二人がロッキーを助けることはない。
だからといって、彼らが自分たちを取り囲む佪獣に対処できるとは到底思えなかった。
そのあいだにも、二匹の巨大なイノシシがキングとロッキー目がけて突進。
向かってきたイノシシの大きさに驚いたロッキーは、情けなく尻餅をついて悲鳴をあげる。イノシシは無情にも前脚をあげ、そのまま──
「イライラするけど、目の前で死なれるよりマシ!!」
冰力を全身に巡らせたセシリアが、ロッキーを襲おうとしたイノシシに体当たりしていた。
セシリアの顔をもちろん覚えているロッキーは、驚きの声をあげる。
「貴様、あのときのッ!?」
「早く、逃げて!」
「ぼ、ぼ、ボクは貴様のような矮小の存在に助けてなんて命令した覚えはないえ! だからこれは、勝手に、勝手に貴様がやったんだえ!! ボクは貴様に礼も金も払わないえ!」
──あぁ面倒くさい。
せっかく体張って、やりたくもないこともこんな男のためにやっているというのに。
なんだか腹が立ってきた。
「だから逃げてって言ってるのっ!!!」
「に、逃げるえ!!!!」
ロッキーはものすごい勢いで走り去っていった。
数匹の佪獣はブレイクやキング、セシリアに注意を向けていたので、逃げられる隙間が存在していたのは事実だが……。
「なによ、そんなに速く走れるんなら、二人を逃がすのも手伝ってよ!」
あそこまで速く逃げられるのなら、自分が出て行った意味はいったい……。
「あぁもう、リアはお兄ちゃんのために試練を突破しないといけないのに」
ここまでくれば、もうセシリアに撤退の文字はなかった。
ラフマニノフ一体と巨大イノシシ四体は、今でも強烈な匂いを放つブレイクとキングに注目している。ここでセシリアが逃げ出せば、すぐあの二人が殺されてしまう。
セシリアは、自分が助けられるかもしれない人間を見捨てておくほど、非情になれるエルフではなかった。
「どうしよう……どうしたらいいの、お兄ちゃん」
呼べば助けに来てくれると思った。
けれどベルティスが現れる様子はない。
──『本当にピンチになったら君を助けにいくから、それまでは自分で頑張りなさい』
そのピンチが目の前にある。
彼にとってこれは、ピンチではないというのか。
これくらい、彼の弟子なら突破して当然だというのか。
「うわぁあ!!」
その瞬間、ブレイクの情けない悲鳴があがった。
ゆいいつ持っていた剣が、獰猛なラフマニノフの頭突きによって飛ばされたのだ。もうブレイクは丸腰だ。情けなく尻餅をつき、相棒のキングに助けを求めている。
屈強な体つきをしたキングは、他のイノシシを相手にしていて、しかも距離が遠い。
あそこからでは、ブレイクを助けられない。
距離的に間に合うのは、もうセシリアだけだ。
「リアは、お兄ちゃんの一番弟子」
冰力を巡らせ、力強く柄を握る。
「殺すつもりで攻めなければ、弱い存在は強い存在に勝てない」
師匠であるベルティスの言葉を反復。
その瞬間、セシリアの冰力が強く剣身に纏わりついた。
美しい氷の、蒼の輝きでもって剣の硬度が増す。
「やぁ!!」
渾身の力で振りぬき、いま自分の邪魔をしている獣を叩き伏せる。
そこから体の向きを90度回転。
驚くべき加速力で、ブレイクに襲い掛からんとするラフマニノフに向かった。
──『素直すぎる動きは素人にしか通じない』
ラフマニノフは、向かってきたセシリアに後ろ蹴りを放つ。
けれど、ヤツの足に少女の体はあたらなかった。
「これで、リアの勝ちっ!!」
驚異の反射神経と脚力で、ラフマニノフの頭上をとるセシリア。
今日一番の気合で、かつての貧弱エルフはラフマニノフに勝利した。
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