第95話 二度はない
マリアナ嬢とエーベルハルトのことを気にしつつ、俺はリーノスの後を追う。
部屋を出てから黙って歩く彼は、振り返ることなく帝城の通路を進み続けていた。
火急の要件なのだろうか。
あの会談を差し置いてまで、彼は俺を呼び出した。
あの場所に俺が来ることを知っていて、敢えてあの場所に彼は待ち構えていた。
「あの、リーノス卿」
「黙って歩け」
「…………」
普段通りの冷たい口調でリーノスは吐き捨てる。
言われた通り、俺はそのまま口を開かずにリーノスの背後をピタリと付けて歩いた。
先程の部屋とはかなり離れた人気のない離れの休憩所まで辿り着く。
ここにはほとんどの者が足を踏み入れない。
時々清掃をするために使用人が姿を表すことがあるものの、今の時間帯は清掃の時刻でもなく、完全に俺とリーノスだけであった。
リーノスはようやく足を止め、こちらに振り返る。
そして、近くにあった段差に腰を掛けた。
「はぁ……貴様も座れ」
「はい」
言われるがまま、俺はリーノスと少し離れた場所に座る。
「何故呼ばれたか分かるか?」
開口一番に彼はそう告げてきた。
残念ながら、俺に呼び出しを喰らうような覚えはない。
「ありませんが」
そう返事を返すとリーノスは気にせずに話し始めた。
「アルディア=グレーツ。あの時の白蛇……覚えているな」
「もちろん」
「今回はそれの話だ」
ディルスト地方を防衛した時に戦ったスヴェル教団の怪物。
リーノスがアレに関する話題を出してくるとは思わなかった。
撃退は成功した。
脅威は過ぎ去った。
しかし確かに、またアレが攻め込んでくる可能性は十分ある。
「それで、白蛇がどうかしましたか?」
「実は、あの後白蛇の所在について独自の伝手で調べたんだ。ディルスト地方への執着の仕方が異常だったからな」
彼にとってはかなり驚異に感じた相手。
再来があるのなら、先に向こうの手札を探りたいというのは自然な流れである。
「それで、何か分かったんですか?」
リーノスは首を横に振った。
「何もなかった。不気味なほどに、な」
「そうですか」
「ああ……スヴェル教団に潜り込ませた者によれば、話を聞いた教団員の中にあの白蛇がどこにいるのかを知るものは誰一人として存在していない。それどころか、白蛇がディルスト地方に現れたことすら把握していない」
妙だな……あれは確かにスヴェル教団の信仰している神の眷属そのもの。
知性の高さから見ても、それはほぼ間違いないはずだ。
スヴェル教団と無関係?
いや、だとしたら都合良くあの場に姿を現すはずがない。
「スヴェル教団とは無関係……ということで合ってますか?」
リーノスは眉を顰め、深々とため息を吐いた。
彼自身も、納得のいっていないという顔をしている。
「スヴェル教団の中では、聖女レシアが大怪我をしているという話題で持ち切りだ。教団上層部は、戦場の恐ろしさも知らずにノコノコ出てきた頭の弱い聖女の面倒を四六時中見ているらしい。詳しい情報はそこら辺の位の高い連中が握っていそうだが……当分聞き出すのは、無理だろうな」
つまりあの白蛇は存在の証拠は掴めなかった。
強大な力を宿し、ディルスト地方での戦いにおいてこちらに大損害を被らせたアレは……幻であったかのように姿を消した。
またいつ攻めてくるかも分からないあの化け物。
「それで、あの白蛇を警戒すべきと……リーノス卿はそう言いたいわけですね」
彼の言いたそうなことを尋ね返す。
しかし、リーノスの瞳はスッと細められ、それが本題ではないという意思表示を打ち返された。
「それもあるが……今回貴様に言いたいことはそんなありきたりな話じゃない」
「では、なんでしょうか?」
「貴様……何故、あの時。白蛇の息の根を止めなかった?」
「…………」
「ずっと疑問に思っていた。常日頃から見ている限り、貴様の取るスタンスとして、あの方の敵となる者に対しては執拗なまでの殺意を示してきた。今回の白蛇に対しても、それが該当する……そのはずだった」
確かに俺はヴァルトルーネ皇女の敵はとことん潰してしまいたいという考えを持っている。
謀反の意思を少しでも感じれば、その者を徹底的に調べ上げ、黒だと分かれば始末する。
道を塞ぐ存在は綺麗さっぱり消し去りたい。
彼女の不利益になりうる存在は生かしておくべきではない。
少々過激な考え方だが、リーノスの言っている通り俺はとことんヴァルトルーネ皇女のために敵対者を倒すことを考えている。
「だが貴様はあの日、あの白蛇を見逃した。確かにあれはかなり手練れの怪物だった。それでも、アルディア=グレーツ……貴様はそれ以上に残忍でアレを凌ぐくらいの化け物だ。殺すことも容易かったはずだ」
リーノスは核心を突くようなことを告げてくる。
「あれを意図して……逃したな? どういうつもりだ」
俺を責め立てるように、彼の言葉遣いは普段以上に荒い。
気が付けば、俺はリーノスに胸ぐらを掴まれていた。
意図していない……と言えば嘘になる。
確かにあの白蛇を逃したのは俺の意志だった。
「仕方のない措置でした」
「何?」
「貴方の言う通り、あの白蛇を殺そうと思えば殺せた……と思います。ですが、リスクも大きかった。目先の強敵を排除するよりも、俺は継戦するための安全策を取った。それだけのことです」
リーノスに「分かるだろ?」という視線を送る。
彼自身、あの白蛇の強さを直に知っている。
ここまで言えば、流石に言い返してくることもないだろう。
リスク、リターンを瞬時に判断し、撃退するのが最も効果的であると判断した……それだけのこと。
「……そうか」
「はい、そうです」
納得はしていなそうであった。
けれども、これ以上の追求もなさそうである。
「はぁ……そういうことにしておいてやる」
俺の首元にあったリーノスの手はゆっくりと離れる。
やや、着崩れた服を軽く直しつつ、俺はリーノスに告げた。
「次は撃退などでは済ましません。ご安心ください」
「当たり前だ。次逃したら、専属騎士なんて辞めさせてやる」
なんとも怖いことを言う。
「譲歩してやっただけだぞ」という雰囲気がリーノスから溢れ出ていた。
「肝に銘じておきます」
「ふん」
とはいえ、もう撃退などという甘い措置を取ることはないだろう。
あの白蛇……不思議と殺意が湧かなかった。
偶然だろうか。
だが、感情の起伏が一気に削がれたような感覚もあった。
冷静さを欠かないのはもちろんのことであるが、あの時の白蛇の追撃を行わなかったのには、そういう事情も絡んでいる。
殺すべき時ではないと……そう言われているような気がして。
不思議な強制力でも働いているかのような感じであった。そのことをリーノスに伝えることは決してないけども。
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