第86話 白き眷属




「おい、どこまで走る?」


 進めど進めど、敵の姿は見えてこない。

 騎竜を飛ばすリーノスと同速で走りながら、俺は周囲を見回した。

 死体が……ない?


 追撃戦を行っていたはずの特設新鋭軍の者たちもいない。

 そして、教団兵も……人の気配すらないのだ。

 おかしい。

 忠告を素直に聞いて正解であった。


 教団兵が引き上げ切ったのなら、特設新鋭軍の者たちも戻ってくるはず。にも関わらず、誰一人として戻っていないということは、つまり。


「警戒しておくか」


「おい、アルディア=グレーツ。俺にも分かるような説明しろ!」


「死体が一つもない。血痕は至る所にあるのに……これは異常事態だ」


 波乱の幕開け……か。

 どちらにせよ、厄介ごとが目の前に待ち受けているのは間違いなさそうだ。


「異常事態……敵は既に退いたんじゃないのか?」


「そうだとしても、敗走の際に多少の被害が出るはず……その形跡すら残っていないのは不自然でしかない」


 勢いでリーノスと二人でこんなところまで来てしまったが、少し不安だ。

 もちろん、誰にも負ける気はない。

 死ぬ気もないが……この先に進めば、苦しい戦いが待っているような予感がする。


「リーノス卿、引き返すなら今のうちですよ?」


 死の香りがする。

 だからこそ、俺はリーノスに確認した。

 進む覚悟はあるかと。

 しかし、彼はその確認を面倒くさそうに一蹴した。


「ふん、ここで引き返したところで孤立するだけ。なら、貴様と行動を共にしていた方が……まあ、マシな判断だと思う」


「死ぬかもしれませんよ?」


 嫌味な男ではあるが、彼はまだ若いし優秀な騎竜兵。

 未来ある若者が死に急ぐ必要はない。


「侮るなよ。この地に立つ以上、覚悟はしている。俺の心配は無用だ。お前は、あの方の……ヴァルトルーネ皇女殿下の専属騎士として、問題に対処することだけを考えればいい」


 最後までついて来てくれるらしい。

 頼もしいが、少し申し訳ない気もする。

 これは俺のリサーチ不足が招いた事態。


 あらゆる可能性を発見して、それに備えていれば……未知の脅威に怯えずに済んだのだ。


 そんなことを考えつつも、先に進む。

 すると、大きな地震が襲ってきた。


「────!」


「おい、これは何だ?」


「分かりませんが……何かが来ます」


 自然発生したものじゃない。

 木々がへし折れる音、巨大なものがこちらに接近してくると言うことだけが理解できた。


「鬼が出るか、蛇が出るか……」


 この時……俺は今しがたの発言に大きな後悔をすることになる。

 不用意なことを口にするものではない。

 それが現実と化すとは夢にも思わなかったのだから。


 ズルズルと地面を這う音。

 硬く白い鱗がその強硬さをより引き立てる。


「……どうやら、蛇が出たみたいだな。アルディア=グレーツ」


 はぁ、最悪だ。

 兵士を相手にするのは慣れているが、この手の化け物と戦う経験はまだあまりない。

 真っ白な大蛇。

 それがこの戦いのイレギュラーとして登場した新たな敵である。


 騎竜なんかよりも遥かに大きい。

 馬をも丸呑みにしてしまいそうな巨大な口からは、誰のものか分からない血が滴っていた。


「あれが、付近の人間を食い荒らしていたらしい……」


「ふん、見れば分かる。だが、ディルスト地方にこんな害獣が棲みついていると言う話は聞かないな」


「だろうな」


 あれは、ディルスト地方に連れてこられたものだ。

 スヴェル教団は白い蛇を神獣として崇めている。

 神の遣いなどと言われ、彼らの掲げる旗にも白い蛇が刻まれていた。


「スヴェル教団の差金だ」


「なるほど、神々の眷属……と言ったところか。こちらの国に蛇を崇め奉る習慣がないから、些か理解に苦しむが」


「もう、リーノス卿を逃してやるのも難しい」


「ふっ、いらん気遣いだ。帝国の地を踏み荒らすのなら、人でも化け物でも容赦はしない。それに、ここで貴様を残して逃げたとあっては、帝国貴族の恥だ」


 こちらは二人。

 敵は真っ白で見るからに凶悪そうな大蛇。

 付近の人間を食い荒らしていたような怪物との戦いにしては、戦力不足は明らかであった。


 救援なんて期待できないしな。

 本軍は今頃レシュフェルト王国軍と戦っている。

 リツィアレイテが指揮を取り、優勢を保っていると聞いたが、こちらに戦力を割いている余裕は多分ない。


「この蛇は二人で対処するしかなさそうです」


「だろうな……足を引っ張るなよアルディア=グレーツ」


「引っ張りませんよ」


 味方がどれだけいようと。

 味方がゼロで一人だったとしても。


 ヴァルトルーネ皇女の前に立ち塞がる障害は全て破壊すると決めている。


「ジャマ、ヲ……スルナ!」


 蛇が喋った。

 なるほど、スヴェル教団が信仰している蛇だからだろうか。

 知能が相当高そうだ。


「喋れるのなら、和解を試みましょうか?」


「それが可能なら、そいつの腹に収まる者はいなかっただろうな……」


 まあ、その通り。

 一応言ってみただけである。

 直後、蛇の尾が風を切り唸りを上げながら振り下ろされた。


 地面が抉れ、その衝撃で付近に砂が舞い散る。

 俺とリーノスは左右に飛び、なんとか攻撃を回避した。


「くそ、想像以上に攻撃速度が速いぞ」


 見切るだけでギリギリってところか。

 リーノスは優秀な騎竜兵ではあるが、強力な人外相手は厳しそうである。

 そんなことを考えている俺も、この手の蛇と戦った経験は未だかつてない。


「蛇の尾に注意しつつ、頭を叩きましょう」


「それが一番手っ取り早いか。いいだろう」


 両サイドから回り込み、俺とリーノスは隙を見計らって攻撃を入れる。

 俺の剣は蛇の尾に弾かれ、リーノスの戦斧は硬い鱗を貫通出来なかった。


「手詰まりだぞ……」


 リーノスに有効打はない。

 俺の方は……何故か白い蛇に警戒されており、尻尾に剣が弾かれてしまう。


「リーノス卿、やはり援軍を呼んできてください。この手の敵は数で押さえつけた方が良さそうです」


 これは方便。

 彼はこの場に相応しくない。


「この俺に逃げろと?」


「増援を呼んでほしいのです」


「そんな戯言に俺が騙されるとでも思ったか?」


「…………」


 リーノスは勘が鋭い。

 しかし、彼がいては存分に暴れるのは難しい。


「……俺は今から、醜態を晒します」


 だからだろう。

 余裕もない今は、素直にそれを告げるしか選択肢がなかった。


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