第75話 『万薬師』
三人の六鬼将を屠った私は残った騎士さん達に向き直ります。
先程の攻防を彼らの《敏捷性》では認識できなかったためか、ぽかんと口を開け、事態が吞み込めないと言った風に佇んでいます。
「まだ、戦いますか?」
将軍さん──騎士達を率いている方です。六鬼将とは別に、こういった管理職も存在します──の前に行き話しかけました。
「あっ、いえっ、その……」
「取りあえず《迷宮》で糧を得ることをお勧めします。あなた方のことはこれからも遠くから見張っていますので、村や町の民を虐げようとしたならば私が来るものと思ってください」
「ひぃっ、はっ、はい……」
「それではさようなら」
それだけ言い残してその場を去りました。
そして武帝さんを追いかけます。
その気になればすぐにでも追い付き追い越し帝都に戻れますが、騎士さん達を監視する必要があるためそれはしません。
武帝さんの後方を同じ速度で付いて行きます。
騎士の皆さんには恐怖が沁み込む気配がしましたが、人間の情動を完璧に予測するのは私にも不可能ですからね。
さて、あれから五日が経ちました。
武帝さん及び私はついに帝都に到着します。
なお騎士さん達は、昨日確認した時には大人しく《迷宮》にもぐっていました。
「ちょうどのタイミングですか。後はヴェルスさん達に任せるとしましょう」
帝都の門をくぐったところで武帝さんとは別れます。
あちらは後ろに私が付いて来ていることを知りませんでしたが。
少し寂しく思いつつ、私が向かうのは宰相さんの工房です。
日程を調整したわけではありませんが、奇しくも今日、例の薬が完成したのです。
「〈アナライズポーション〉……、く、ふふ、、フフフハハハハハッ、遂に完成したぞ!」
「おめでとうございます」
哄笑する宰相さんに拍手を送ります。
使わせられないとは言え、彼の粉骨砕身の努力は賞賛に値します。
「!? 誰ですっ、どこから入ったっ?」
「ヤマヒトと言います。そこの玄関から入ってきましたよ。《魔道具》にばかり頼らず、普通の鍵も付けた方が良いかと」
正直にそう言いましたが、彼の疑念は晴れないようで、眉間に皴を寄せて睨まれています。
《魔道具》が侵入者を感知するはずなのにおかしい、といった風な表情です。
《自然体》を全力で使えば《スキル》や《魔道具》の感知は大体すり抜けられるので、今回もそれで侵入しただけなのですが。
「勝手に入ったことは謝罪します。申し訳ありません。しかし、その薬の散布はどうか考え直していただきたいのです」
「……あなたはこれが何なのか分かっているのですか?」
「ええ。《迷宮王の枢薬》。服用者の心を消す《
帝都に来てからの観察で彼の目指す方向性は分かっていましたし、《天眼通》を使えば直接その情報を見ることができます。
《
「そこまで分かっているのでしたら何故止めるのです? これを使えば誰もがより正しく、より賢く振舞えるのですよ」
あなたがそうであるように、と付け足す宰相さん。
全て分かっていると言いたげな視線も向けて来ます。。
「はて、それはどういう意味でしょう?」
「誤魔化さずとも結構です。私の《
「それは誤解ですよ。私の心が見られないのは《
「おや、そうだったのですか」
すんなりと頷きました。
心底から信じているわけではないようですが、疑義を挟んでも意味がないと判断しているようです。
そこは本題ではありませんからね。
「では、再度問いましょう。あなたは何故私の救済を阻もうとするのです?」
「あなたの力が大きすぎるからですよ。本来ならば個人の行為に口は挟まないのが信条ですが、しかしあなたの力は世界全てに被害を及ぼすほどに強大です。そんなことが行われようとしていればさすがに見過ごせません」
それが私がずっと彼をマークしていた理由でした。
規模が小さければ放置と言う手もあったかもしれませんが、さすがに国家規模でやるとなると話は別です。
「被害、ですか。これは異なことを仰いますね。私がもたらすのは救済ですよ」
「そうでしょうか?」
「ええ。あなたも思ったことがあるのではありませんか? 人々はなんと愚かなのかと。平民のようですし、欲望のままに振舞う貴族を見て考えたことがあるのではないですか? 満たされているのにどうして過分に欲するのかと」
「そのような疑問を抱いたことはありませんよ」
訝るような視線を向けられますが、嘘ではありません。
生物が自分や身内の利益を追求するなど当然のことであり、疑問の余地はありません。
「ほう、それは信じがたいですね」
「納得しやすいよう付け加えると、非合理的であるとは思っていますが」
仕方がない事とは言え、多くの貴族の方々が目先の利益に目が眩んでいることは否定できません。
しかし、私がそれに気付けるのは日本での知識と《自然体》のおかげです。この国で生まれ育った彼らにそれを要求するのは無理筋でしょう。
そう言うと、宰相さんは我が意を得たりとばかりに頷きました。
「そう、そうなのです、人は誰もが本分を全うしていない! 貴族は放蕩に耽り責務を果たさず、民衆は私利に走って国に尽くさず、全くもって非合理です」
「そういう見方もあるかもしれませんね」
「その元凶は心です。醜き欲望に脳を侵され、人は最善を
そこまで聞いて、こちらから問いかけます。
「だから心を無くそうという訳ですか?」
「
自分の行いが正しいと確信している様子で彼はそう言いました。
きっと分かり合えないことは気配で察しつつも、私も意見を口にします。
「それは違うと思いますよ」
「と、言いますと?」
「感情を失くしてしまえば、それは死んでいるも同然だからです。人の主体は心なのです。どれほど利益を得たとしても、それを喜んだり嬉しく思ったりすることができなくては無意味ではありませんか」
「ふふふっ、些末なことに固執するのですね。感情如き、心を視認できる私にしてみれば砂上の楼閣に等しい。些細な態度、口先一つで
「そんなことはありませんよ。我が身に置き換えて──」
「いえ、結構です。あなたと分かり合えないのは理解しました、《海王統水》」
瞬間、四方八方から液体の槍が伸びて来ました。
速度は音速を凌ぎ、数は十本にも上ります。
《ランク7》の毒であるそれらは掠めただけでも常人は即死。
六鬼将であっても激痛に蝕まれることとなるでしょう。
そんな毒槍を私は、
「──残念です」
音より早く動いて回避し、そして宰相さんを斬り付けました。
首と胴が分かたれ、地に落ちます。
こうして最後の六鬼将『万薬師』は呆気なく事切れたのでした。
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