第16話 修行
「それでは始めましょうか」
「はい、師匠!」
脱獄事件から一夜が明けました。
早朝、村長に相談して死体の処理や牢屋の修復を済ませ、現在は近所の空き地でヴェルスさんと向かい合っています。
休日だという彼に、剣の指導をするためです。
「私が教えられるのは体の動かし方だけです。改善点を逐一指摘しますので、まずは素振りをしてみてください」
「了解です!」
言って、ヴェルスさんは鉄の直剣を振るいます。
垂直に振り下ろされたその太刀筋は、何とも真っ直ぐなものでした。
軌道だけでなく、全般として。
重心移動にブレはほぼなく、動きに迷いやズレもない、基礎をきちんと押さえた剣です。
堅実かつ実直なその一太刀からは、毎日欠かさず繰り返したであろう修練の跡が窺えました。
師の教えが良かったのか悪いクセも少なく、彼の年齢からは考えられないほど洗練されています。
「素晴らしいです、ヴェルスさんのこれまでの頑張りが目に浮かぶようでした」
「あ、ありがとうございます!」
「ですが、少し肩に力を入れ過ぎていますね。一度深呼吸してみましょう。それから腰も──」
とはいえいくら習熟していようとも、それはあくまで人間の範疇。
細胞単位での人体理解を可能とする《自然体》で視れば、改善の余地はいくつもあります。
問題点を
「こうでしょうか」
「重心移動はかなり良くなりました。脱力の方は……急には難しいでしょうから、練習あるのみですね。取りあえずは十回、先程言った事を意識して振ってみてください」
私は指導するのが特別得意なわけではありませんし、一度聞いただけで剣の術理を掴める麒麟児などはそうはいません。
目の前で手本を実践して見せたり、力や体の原理について説明してみたり、理解しやすいよう表現の仕方を変えてみたり。
そんな風に伝え方を工夫して行きます。
動きを体に馴染ませる時間も必要なので焦らず丁寧に、けれど時間を無駄にしないようひたむきに。
そのようにして二人で稽古を続けて行くのでした。
そんなこんなでヴェルスさんに指導し始めてから数日が経ちました。
「それでは始めましょうか」
「「「はい、師匠!」」」
いつもの挨拶に、五人分の元気な声が返ってきました。
どうしてこうなったのだろうと高速で思考を巡らせます。
事の起こりは稽古をつけ始めてから二日目のこと。
あの日、ヴェルスさんは狩りの仕事があったため、朝と夕方の二回に分けて訓練しました。
朝はそれまで通りにヴェルスさんと二人でした。
しかし、昼間の狩りの最中にパーティーメンバーのロンさんから、どうして急に剣技が上達したのかと訊ねられたそうです。
それでこの特訓のことを話し、興味を持ったロンさんがその日の夕方から参加したいとやって来ました。槍使いなのに。
とはいえ、彼とも知らぬ中ではありません。
加えて、《自然体》ならば自然な動き、つまりロスのない滑らかな体捌きをくらいは教えられたので、その申し入れは受諾しました。
そしてその次の日の夕方。
どこからか私のことが広まり、狩人二人とタチエナさんが訪ねて来ました。
狩人の一人が弓使いと知った時は少し
蝶の羽ばたき一往復より短い時間で回想を終えた私は、目の前の五人へ意識を向け直します。
「今日は異種の武器と戦ってみましょう。ヴェルスさんはシェドさんと、ロンさんはタチエナさんと模擬戦をしてください。チヅさんはいつものように的当てで」
ヴェルスさん達は早速二組に別れ空き地の両端に移動し、模擬戦を始めました。
ちなみに、ロンさんの実家である金物屋さんが支援してくださったため、刃を潰した鉄製の武器を使えています。
ありがたいことです。
「では、チヅさんも」
「今日もご指導お願いしやす」
チヅさんは小柄な中年男性です。
狩りでは弓を扱うそうで、その腕前は村でも上位に食い込みます。
そんな彼が、愛用の弓に矢を番え、放ちました。
「昨日よりも格段に上達していますね」
「へっへ、褒められると恥ずかしいっす」
空き地の両脇から聞こえる戦闘音で集中が阻害されるにもかかわらず、チヅさんは的の中心に矢を当てました。
二十メートルも離れていないとはいえ、彼の技量の高さは疑いようがありません。
……なのですが、やはり《自然体》の描く理想像には届いていないようです。
その中でも精神、意識の面での揺らぎや乱れに焦点を当ててアドバイスを行っていきます。
これはチヅさん自身の意向によるものです。
どうやら盗賊達に襲われたあの日、村を燃やされたショックで弓の精度が著しく下がってしまい、何人もの盗賊を取り逃がしたことを悔いておられるようなのです。
心の弱さの克服を重視したいと打診されました。
弓の精度自体もまだまだ改善の余地はありますが、これ以上の技量が必要となる場面は考えづらかったため、私も彼の方針に沿って指導しています。
そうして、チヅさんや模擬戦中の弟子達にアドバイスを
「おはようございます。可愛らしいリボンですね」
「アーラの奴にもらっての。
腰まで伸びる黒髪が、青いリボンで括られています。
彼女は村の人達の中ではアーラさんと特に打ち解けており、よく一緒に居るのです。
「これから狩りですか?」
「そうじゃ。いつも通り昼には戻るがの」
ゆったりと歩き去るドリスさんは、狩人のような活動をしています。
初めは
魔物の脅威が身近なため強者が喜ばれること、それと獣人やエルフなどがいるため《人間種》の許容範囲が広がっていたことも後押しになったようです。
不和の火種が一つ減ったことで、私も一安心しています。
一応、人を殺してはいけないと何度も言い含めていますが、彼女の寛大さにのみ頼りたくはありません。
それに、彼女には居心地悪い思いなどせず、快適な人間ライフを送って欲しいですしね。
さて、そんなドリスさんを見送ってからしばらくして。
模擬戦組の体力が尽きたため小休止を挟んでいると、何やら強力な気配が空き地に向かって駆けて来ました。
強力な気配は空き地の前に来ると大声を上げます。
「ご無事でしたかっ、ヴェルス殿!」
そこには、武骨な矛を担いだ大男が立っていました。
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