汚れたマリーゴールド

琥珀 忘私

汚れたマリーゴールド

雨が降る水曜日の駅。

 エントランスの床には、入ってくる人々にへばりついていた雨水たちがいたるところに散らばっている。

 週の真ん中の水曜日。疲れているのかうつむき気味に歩く人や、まだまだこれから! とでも言っているようにハキハキと顔を上げて歩く人。何も考えずにただ前を向いて歩いている人。多種多様な歩き方をしている人々が見受けられる。

 僕もその中の一人だ。すべてに怯え、すべてを蔑み、すべてがどうでもいい。自分の足を眺めながら歩くことにもとっくに慣れてしまった。

 八番線に停まっている電車に乗り、車両の端っこで立ったまま本を読む。そんな毎日をただ茫然と繰り返していた。今日までは。

 電車が発車する、三十秒ほど前。閉まるドアをギリギリかわし、入って来た一人の女性。秋に着るにはまだ早いであろう厚手のトレンチコートを身にまとい、かかとが高く上がったヒールを履いた、長い黒髪が印象的な女性。読んでいる本のことなど忘れ、その女性のことをじっと見つめてしまっている自分がいた。

 そして、彼女と目が合ってしまった。黒曜石のように黒く、水晶のように透き通った瞳と。

 僕はとっさに本を開きなおし、読んでいるふりをした。しかし、僕の目は文章を追うよりも、彼女の一挙手一投足を追っていた。顔にかかる髪を耳にかける。スマホを取り出し指を画面になぞらせる。時折、顔を上に持ち上げ何かを考える。彼女の動きは『美』そのものだった。

 駅を二、三過ぎたころだろうか。彼女が電車を降りた。そして、僕も。

 本来であれば僕が電車を降りるのはまだまだ先だった。なのに、彼女と同じ駅で降りてしまった。自分でもどうしてか分からなかった。これではまるでストーカーのようではないか。

 そんなことを考えながらも、僕は彼女の後ろをついて行った。

 階段を上り、改札を通り、外に出る。そして、彼女は傘もささずに歩いて行った。まだ雨がザーザーと降る、暗い、灰色の空の下を。

 僕は急いで鞄から折り畳み傘を取り出し、差し、追いかけた。

 右に行ったり、左に行ったり。見失わないよう、バレないよう少し距離をあけて追いかけた。

 彼女は段々人通りの少ない方へと歩いて行った。人が少なくなり始めるにつれ、僕の中で波打つ鼓動は段々と大きくなっていった。

 そして、とうとう道には僕と彼女しかいなくなってしまった。車道を走る車は無し。反対側の歩道を歩く人も無し。二人の人間が歩く音と、激しく降る雨の音しか聞こえてこない。

 三十分ほど歩いたころ、彼女はぽつんと建っているコンビニの中へと入っていった。さすがに中に入っていってはバレると思った僕は、物陰で彼女が出てくるのを待つ。

 しばらくすると、彼女は出てきた。一人の若い男と一緒に。

 僕は呆然としてしまった。危うく、差している傘を落としそうになってしまった。

 男が差す傘の中に入り、笑顔で話す彼女を見て。僕の中で何かがはじけた。

 気づいたとき、僕はカバンの中からカッターを取り出し、走り出していた。傘を放り投げて。楽しそうに話す二人を追いかけて。幸せそうに歩く二人を追いかけて。




[昨夜、十九時ごろ。××市〇〇において、同市内に住む△△さんが何者かに刃物で刺され、無くなっているのが発見されました。現場には△△さんとは別の血痕も見つかっており、昨夜から行方不明の、△△さんの妻□□さんのものではないかと警察は……]

 テレビからそんなニュースが聞こえてくる。

「怖い事件だなぁ」

 僕はテレビを消し、朝食を食べ始めた。

「そんなに怯えなくても大丈夫だよ、僕が付いているからね」

 僕はそう目の前にいる傷だらけの女性に向かって言った。

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