旅亭にて
屋敷に帰還したシリウスは早速、美心に会えないか秘書室へ向かい聞いてみる。
「美心様ですか? 誰にもお会い出来ないとのことで……昨晩から体調が優れず本日は自室でお休みになっております。この先、1ヶ月間の予定もすべてキャンセルすると今朝連絡があったので調整に大変なんですよ」
シリウスは信濃条の話を聞いて絶望した。
(マスターの体調が優れないですって!? そうか……昨晩、大怪我をなされてしまったんだわ……ああっ、なんてこと! 私たちがあの時マスターを探してさえいれば! 1ヶ月間の予定をキャンセルしたというのも怪我の心配を周囲に負わせないためだわ。なんてことだ、私はなんて大馬鹿者なの! マスターが大きな傷を負ってしまったのも私の責任だわ! 私は初任務を失敗しただけで無くマスターに傷さえ負わせてしまった……)
真面目が過ぎる故に拡大解釈してしまったシリウスであった。
美心に会えなかった時のために書いてきた手紙を信濃条に渡しその場を去る。
もちろん美心は怪我などしていない。
人に会わないのは昨晩、力を解放し若返った姿を誰にも見せたくないためである。
過去にそれで魔女呼ばわりされたことがあり、周囲からとんでもない罵詈雑言を浴びせられたのがコンプレックスになっていた。
この体質を知っているのは比奈乃とその両親、側付きの信濃条、そして昨晩知ってしまった比奈乃の友人の巴と静だけである。
(はぁぁぁ、普段抑えている力を解放するのは気持ちが良いのだがその後がなぁ。比奈乃は元気に友人2人と学校へ行ったが、昨晩夜遅くまで遊んでしまったから途中で居眠りしなければ良いのだが……あー退屈だ!)
退屈な生活を過ごすのが苦手な美心にとって仮病を取り自室に籠もるというのは非常にストレスであった。
この異世界にはゲームやインターネットなどが存在する現代と違い1人で楽しめる娯楽が圧倒に少なかったためである。
スッ……
扉の下から何通か手紙が入ってきた。
美心は自室にいない時の方が多いため、手紙は彼女の部屋の扉の下から滑らせて入れるように知らせてある。
内容は様々でどれも知人からのものだった。
その中で一通、真っ黒な封筒に入った手紙を開封する。
(ほぅ、シリウスからか……)
先程、シリウスが信濃条に渡した手紙である。
美心は椅子に腰掛け手紙を読む。
(何々……昨晩の任務報告? あっ、そう言えばスターズを出動させたんだった)
美心は完全に忘れていた。
比奈乃が攫われたという怒りの方が大きく、その他の自分が放った言葉でさえ記憶になかったのである。
(やっべぇぇぇ……スターズなんて俺の趣味で作った秘密部隊。出動なんてずっと無い予定のはずだったのに)
美心は焦った。
単に秘密部隊が格好良いという理由だけで組織し、あの娘たちに必要な任務など考えていないことがバレると謀反でも起こされかねないかと頭をよぎる。
(いや、落ち着け……今までにも比奈乃のごっこ遊びでエキストラの人数が足りないときに何名か補充に入ってもらっていた。昨晩のことも俺の勘違いで実は比奈乃のごっこ遊びだったようだし、いつもと変わらない)
スターズ隊員らにとっても任務を与えた美心と同様に何処かの男子学生が野良侍と徒党を組んで比奈乃とその友人を攫ったという内容が全てである。
昨晩の出来事の真実を知る者はこの中に誰一人としておらず永遠に闇の中へ葬られたままであった。
(俺から彼女たちに昨晩もごっご遊びだったと伝えて安心させるべきだな。しかし、この姿を見られたくはないしなぁ……講堂にリーダー格の数人だけ呼んでも顔を見られてしまう。比奈乃が帰ってから何か良いアイデアが無いか聞いてみるか。スターズの隊員とも仲が良いし最悪の場合は比奈乃の口から伝えてもらおう)
ぐぅぅぅ……
美心の腹の虫が大きな音を上げる。
16歳の肉体になると細胞が活性化するためエネルギー消費量も多く空腹になりやすい。
「さっき朝食を食べたばかりなのに昼食までまだ3時間もある……やべぇ、こんなの飢え死にしてしまうぞ。腹減ったぁ……」
美心の頭にふと過去のことが頭をよぎる。
「そうだ、この美貌を使ってアレを久しぶりにするか。えっへっへっへ、パパ渇をして、たらふく旨いものを奢ってもらい食べるぞ! ヒャッフゥ!」
パパ渇、パパの財布を枯渇させるという美心のつけた造語だ。
別の名を経済的おやじ狩りとも言う。
美心は若いころ自身の美貌で虜になった男たちが望めば何でも与えてくれるATMと化すことを覚えた。
そして彼女に関わったパパたちは破産寸前まで金を吸い上げられ貢いでしまう。
若かりし頃、チート能力を得た代償で常に空腹に苦しむ美心ならではの処世術であった。
服を綺麗な着物に着替え、窓から誰にも気付かれないように外へ出る。
(やっぱ旨いものと人が多い場所といえば祇園だよな。今の俺が本気で走ると5分もかからねぇ。くっくっく、今日はパパの金でたらふく食うぞぉ!)
そして、あっという間に祇園に到着する。
まだ午前のため仕事で外に出ている者が大半だ。
祇園に到着してからは演技モードに入る美心。
(さて、仕事をしている奴らは駄目だろうし、まずは釣りからやってみるか)
釣り、美心自身を餌に見立て道の端でそっと立ったまま男から声をかけられるのを待つ技である。
「お嬢さん、この辺りでは見ない顔だね?」
早速、1人の白いスーツを身に纏った商人らしきチョビ髭おじさんが声をかける。
(始めて3秒……くっくっく、歴代最速じゃないか。見た感じ金を持っていそうだし、今日はこいつをATMにして旨いものや欲しい物を買い漁るぞぉ)
「え、ええ……その……ここへは始めてきたばかりで」
嘘である。
美心は祇園の屋台には頻繁に通っているためマイナーな屋台のメニューまで知り尽くしている。
だが、知らないふりというのは相手を優位に立たせるのに有効な手段である。
「そうかい、随分と美しい着物だが何処かの武家の娘さんかね? 誰かと待ち合わせでもしているのかい?」
「い、いえ……この綺麗な街並みに見とれてしまって」
ぐぅぅぅ
「やだっ、恥ずかしい……」
お腹を押さえ赤面する美心。
当然ながら演技である。
美心は意図的に腹の虫を鳴らせる技も身に着けていたのだ。
「ほぅ、お腹が空いているのか? ほっほっほ、そこの料亭は24時間やっておる。何か食わせてやろう」
(かかった! うっへへへ、こんな初歩中の初歩にかかってくれちゃって分かりやすいATMだ。しかし、この料亭は値段の割に味がいまいちなんだよな。ま、腹が減っては戦は出来ぬって言うし食わせてもらえるなら何でも良いか)
人の善意を利用した下衆な手段を躊躇わずに選び取れるのもこっちの世界へ転生し、10代で町一番の美少女とチヤホヤされて育った結果である。
そして、商人の横について歩く美心を屋根上からこっそりと見ている者がいた。
(こんな朝早くに可憐な少女に声をかけ料亭に誘い入れる? あの商人、なんだか怪しい匂いがする。綺麗な女の人だったし少し心配ね……)
彼女の名はデネブ、スターズ隊員の1人である。
鞍馬山から帰還したシリウスたちはグループを再編し、再び京都全域で比奈乃の捜索に当たっていたのだ。
そして祇園を担当しているのがデネブと他4名だった。
「デネブちゃん、そっちは? 比奈乃様を見つけた?」
「祇園は料亭が多いわ。一軒ずつ中に侵入して調べないと……」
「そうだよねぇ。はぁ、私もう眠くて眠くて」
「自分はそこの料亭佐民を調べるわ。少し気になることができたの」
「うん、分かった。じゃ、お昼の鐘が鳴ったら一度集合ね」
「了解」
デネブは若かりし頃の美心の顔を当然知らない。
彼女は商人の毒牙にかかり女性が身売りされることを防ぎたかったのだ。
それは彼女の生い立ちにも関係している。
デネブは3歳の頃両親から捨てられ、江戸の町を彷徨っているところを闇商人に囚われ身売りされそうになった経験がある。
狭く汚い小屋に一か所に集められた自分と同じ境遇の者たちと脱走を試みるも失敗し数人の子が翌日には姿を消していた。
身売り先が決まるまで家畜のように扱われる毎日。
衛生的にも最悪で病気にかかる子も多かった。
そして、彼女自身も病気に侵され今にも死にそうな状況に陥る。
だが奇跡は起こった。
ある夜、闇商人の悲痛な叫び声とその配下たちの悲鳴が小屋にまで聞こえた。
そして、ものの数分で悲鳴は静寂と変わり彼女たちがいる檻が設置されている小屋の扉が開く。
扉の前に立つのはとても優しい顔つきをした老婆であった。
「か……神様?」
「うげっ、くせぇな……子どもたちに酷いことをしやがるぜ。お前たちはもう自由だ。遠くへ逃げるも良し何なら俺のところに来るのもいいぜ」
「お館様、この悪環境……あまり長居しないほうが良いですぞ。病人たちは置いていったほうが……お館様!?」
「病人は俺の屋敷へ連れて行く。こりゃ酷い熱だな。もう安心して良いよ」
デネブはそっと抱き上げてくれる美心が神のように思えた。
救ってもらったことに安堵し深い眠りに落ち目を覚ますとスターズ寄宿舎のベッドの上だった。
病気が回復してからは助けてくれた美心の恩義に報いるため必死に訓練や学問を頑張った。
だが、一つだけ戦闘訓練をすることが疑問だった。
ある日、美心にそのことを問いかけてみたことがある。
「お義母様、どうして戦う練習もするの?」
「……この世界は所詮、弱肉強食。強ければ生き弱ければ死ぬからだ」
少しの間を開け美心が放った言葉にデネブの心は大きく揺り動かされた。
(この世は……焼肉定食? えっ、何?……どういう意味なの、お義母様?)
ここで補足しておこう。
デネブは病に侵された時、その影響か聴力が若干悪くなっていた。
美心は厨二病心をくすぐる少年誌の名台詞を何も考えずにただ格好良いという理由で言い放ったが、デネブはその一部を聞き間違えてしまったのだ。
そして、その質問の答えは明確にされないままデネブの中で自己解釈が広がっていく。
(この世は所詮焼肉定食……肉ばかりでなく野菜もご飯も食べなければ力が引き出せない。力が出せないとまた悪い人たちに掴まる。悪い人に掴まると死ぬ目に遭うかもしれない。だから戦闘訓練をして自分の身を守れるように強くなる。お義母様はそれを伝えたかったんだ!)
その言葉は今後のデネブの行動原理の基本となっていた。
「私のように酷い目に遭うのを分かっていて見捨てるなんてことはしない!」
デネブは美心が商人と入っていく旅亭へ侵入し、2人がいる部屋を天井裏から探し始める。
(まだ昼の鐘も鳴っていないし客も少ないようだけれど……何処にいるの?)
「ほっほっ、良い食べっぷりじゃ」
(あの商人の声だ。この下か)
デネブは覗き見れそうな隙間を探す。
「んぐっ!」
(さっきの女性の嗚咽音!? まさか、あの商人……あの女性の口に卑猥な物を!?)
デネブの妄想は破廉恥そのものだった。
そして、当然ながらそれは違っている。
美心は空腹のあまり急いで食べ喉に詰まらせただけである。
「けほっ、けほっ!」
「急いで食わんでも良い。まだ時間はあるのじゃろう?」
隙間を必死に探すデネブに商人の声だけが届く。
(変態商人め! ナニを食わそうとしている!? 自分で楽しんだ後にその女性を売りつけるつもりだろう、絶対に許せない!)
デネブが破廉恥な方向へ妄想を膨らませるのにも原因がある。
スターズ寄宿舎にある図書館の書物の中には美心が転生前の記憶を元に浮世絵師に書かせた漫画が何冊か置かれている。
その中には薄い本も何冊かあり第二次性徴期を迎えるスターズ隊員たちの間で密かに話題となっていた。
そして当然ながらデネブもその薄い本を赤面しつつも読み続け今に至る。
このようなイケナイ知識満載の本を図書館に何の警戒もせず置いている美心にまたしても原因があったのであった。
(隙間が無い……こうなったら天井を突き破って女性を助けるべき? でも、この部屋に2人きりとは限らない。それなら女性だって少しは抵抗して逃げ出そうとするはず。それなのに卑猥な目に遭わされているのは商人の仲間か配下がいるからだ。1対1なら簡単に押さえられるけれど2人以上が相手となると自分には難しい)
デネブが慎重になるのも当然である。
幼い頃、仲間たちと脱走を試み失敗したのも闇商人だけだと思っていた自分の判断力の低さが原因だったためである。
何処か覗き込める場を探し状況確認をするのがデネブにとっても最善の選択であることを自覚していた。
「失礼しまーす。メニューお持ちしました。熱々ミルクシチューと讃岐風ぶっかけうどんでーす」
「ほぉ、これは旨そうじゃな。熱々ミルクシチューにぶっかけうどん……ほれほれ熱々のうちに食べんなさい」
(熱々ミルクをぶっかけですって!? 自分のモノを旨そうって言い包めて女性の口の中に……卑猥よ、卑猥過ぎるわ!)
デネブは赤面しながら必死に部屋が覗ける場を探す。
簡単には見つからず時間だけが過ぎ2時間が経とうとしていた。
「うおっほっほ、沢山食べたのぉ。よほど腹が減っておったんじゃな」
(なんて酷い言い方! 自分だけでなく仲間のモノまで無理矢理、口の中に押し流したのでしょう! ごめんなさい、今回は助けられなかったけれど身売りさせることだけは防いでみせるわ!)
いつの間にかデネブの頭の中では女性が複数の男に弄ばれている展開になっていた。
それもこれも初めに店のメニューを全て注文した美心に原因がある。
店員が次々と食事を運んでくる中、その状況を音でしか判断できないデネブには人数の把握ができなくなっていたためである。
「さて、そろそろ昼の鐘が鳴る頃じゃろう。客が大勢やってくる前に出るとするかね」
「は、はい……」
美心は大人しく淑やかな女性の演技を続けていた。
それが返って状況をややこしくする。
(従順になっている? そうか、周りの配下に刀でも向けられて大きな声が出せない状況なのね。でも、大丈夫! 外に出た時がチャンスだ)
デネブも天井裏からゆっくりと移動し屋根の上から街道を見る。
ガヤガヤガヤ……
(人が多いわね。昼の鐘もそろそろだから仕方がないか。あの卑猥な商人と女性は……な、なんてこと!)
商人と美心を見つけた時にデネブは愕然とした。
女性が商人の腕にがっしりと胸を押し当てしがみついている。
もちろん、美心にとってはパパ渇の技の一つであり商人から再び奢ってもらうための手段である。
だが、それを知らないデネブは誤解釈をしてしまう。
(足腰が立たないほどされたのね! それで嫌でも商人の腕にしがみついて後に付いて行くしか無い。仲間は……ま、まさか周囲に居るお侍さん全員!?)
昼食前で外出している者が非常に増えていた。
人の中をかき分けて進むのも躊躇うほどの多さである。
そして偶然にも美心と商人を囲うように数十人の侍が同じ方向に進んでいた。
(む、無理だ……数えただけで20人以上はいる。仲間を呼んでもわずか5人で20人の侍を相手に出来ない。自分はあの女性を助けられない……マスターが言っていたこの世は焼肉定食の意味を痛感する。もっと栄養を満遍なく取って強くなれなければ目の前の人も助けられないんだ!)
「ごめんなさい……ごめんなさぁぁぁぁい!」
デネブは涙を流しその場を去っていった。
そんな事が起きているとは露知らず
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