第98話

 これは……ヤバい。

 そこは前回と同じ部屋だった。けれど同じではなかった。

 白い糸に囲まれて、由香里は部屋の真ん中に立ちくしていた。

 糸、糸、糸、白い糸。天井、壁、床、部屋中が、白い糸におおわれていた。蜘蛛くもの巣みたいな白い糸。部屋のすみから四方しほうから、白くて細い無数の糸が部屋の中、四方八方はっぽうに張りめぐらされていた。糸の上を蜘蛛くもではなく、黒いナマコが移動する。

 ぬらぬらした黒い体表たいひょうに青と赤の斑点模様はんてんもよう、血の臭い。毒々しい、ナマコとイモムシをあわせたようなナマコムシが一匹。口から糸を吐きながら、もぞりもぞりと糸の上、巣の中をい回る。ナマコムシのサイズはちょうど大人が一人うずくまったぐらいのおおきさだな、と思って由香里はぞっとした。

 足の裏に、かたく冷たい石の感触。由香里の足もとにはまだかろうじて糸が張られていなかった。薄緑色のTシャツがあわく光って由香里の体を包み込む。由香里はあたりを見回した。

 これは……マズい。

 完全に囲まれた。糸に包囲ほういされている。ナマコムシの吐く糸がジワジワと足もとにせまっている。

 ナマコムシには目も耳も鼻も触覚しょっかくも見あたらない。……由香里に気づいてなさそうだった。だとしたら、この糸は何のため? 何をしようとしてるんだ? 壁、床、天井に張り付いた糸は、何だかまるで……菌糸きんしのように石の中へ入り込み、を張り巡らせて宮殿を乗っ取ろうとしているような……嫌な感じがする。足の裏から宮殿の、白い石の抵抗ていこうを感じるのは、気のせいだろうか。

 ナマコムシが動きを止めた。ぬめりと光る体表が、つやを失いかわいてゆく……。石化? ……いや、違う。これは……さなぎだ。ナマコムシの蛹の中で、何かが形をしてゆく……。

 ピリッ。

 ナマコムシの背に亀裂きれつが入った。由香里はぞわりとした。うなじの毛が逆立さかだつ。

「由香里」

 下から小声で名前を呼ばれた。見ると足もとの床から大型犬ツッチーが、上半身を出していた⁉ えっ、ツッチー? 下半身は石の中⁉ 目を丸くする由香里のTシャツのすそをくわえてツッチーがささやいた。

「ここから脱出します。イチ、ニのサンで体の力を抜いて下さい。いきますよ。イチ、ニのサンッ」

 グイッ、と体が下に引っ張られ、由香里は白い床の中、落ちてガクンと目が覚めた。

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