第28話 囚われて
連日に渡る拷問は、棍棒や鞭も用いられたし、戦闘魔術による苦痛が取って代わることもあった。
それらがもう何日続いたか分からぬほどに、クラウスの身体を痛め続けていた。
「ぐう、っ……」
仄暗い王宮の地下牢で、クラウスが身を捩りながら呻く。
苦痛が続くほどに、次第に意識は遠ざかり、自分が何をされているかも分からなくなるが、だからといって身体を貫く激痛も失せるわけではない。むしろ、その身を容赦なく嬲られるたびに、クラウスのなかでは、苦痛だけがくっきりと輪郭を帯びて、それが自分の五感全てを支配する。
もはや自分が生きているのかも分からぬほどに意識は混濁しているのに、痛みに身が震える瞬間ごとに、彼はまだ己の生がまだそこにあることを実感するのだ。全くもって皮肉なことに。
彼の耳には殴打の間隙を縫って、たびたび尋問官の冷たい声が降ってくる。
「クラウス・ダウリング。お前は“アシュリン”の何を知っている? 答えよ」
そう問われる度に、クラウスの微かな意識のなかで、誰よりも大切な女性の笑顔が揺れる。
分かっている。尋問官が問うているのは、あの黄金色の薔薇のことであって、自分の主人、アシュリン・エンフィールドのことではない、ということは。
けれど、そうと分かっていても彼の腫れ上がった唇からは、こんな懇願が漏れてしまうのだ。
「どうか……どうか、アシュリンお嬢様だけには……何も、しないでください……」
「アシュリン・エンフィールドのことは聞いていない! その言葉は聞き飽きた!」
結局また、クラウスのその言葉は尋問官の逆鱗に触れ、さらなる暴力に彼の身は晒される。その繰り返しが幾度となく続いていた。クラウスの口からまたどす黒い血が吐き出される。彼は、まだ自分の体内に吐き出す血液が残っていたことに、ぼんやりとした意識のなかで少し驚いた。驚きながら、クラウスはまるで譫言のようにアシュリンの身を案じる言葉を漏らし続ける。
「私は、どうなっても、いいのです……ですから、お嬢様、だ、けには……」
やがて鎖に縛られたクラウスの身は折れ、彼は完全に沈黙した。
尋問官が舌打ちをしながら、クラウスの身体に近づき、彼にまだ息があるかどうかを確認する。それを済ますと尋問官は傍に控えていた部下にこう指示を飛ばした。
「脈が弱まっているな。治癒魔術を使える者を呼んで治療に当たらせろ。こいつはまだ、殺すわけにはいかん」
「はっ。して、体力を回復させたら、その後はどうします?」
「そうしたら、また、自白するまで痛めつけるだけだ」
吐き捨てるように尋問官は残酷な言葉を口にすると、牢の入口に向かって身を翻した。彼は拷問の成果を、責任者に報告する必要があった。とはいっても、報告に値するような自白をいまだ彼は手にしていなかったのだが。
尋問官からの報告を耳にして、ライナルトは眉を顰めざるを得なかった。
「……では、クラウス・ダウリングは“アシュリン”の秘密を、まだ明かそうとしないのだな」
「はい。彼は“アシュリン”の危険な特性のことは承知している、と言っています。また、不法侵入して自ら薔薇を燃やして絶やした、という罪状についても認めております。ですが、それ以上のことは自白しようとしません。自分は何も知らない、としか」
「そのほかには何か、口にしているのか?」
「あとは、自らの主人であるアシュリン・エンフィールドには手を出すな、と繰り返し述べるのみです。それだけですな」
その言葉を聞いて、ライナルトのペリドット色の瞳は暗く翳った。アシュリンの名が報告に躍る度、彼の心は、じくじくと痛んだ。そして、何者にもおもんばかることなくアシュリンの身を案ずるクラウスに、言いようのない嫉妬を覚える。
しかし、ライナルトは煮えたぎる心情が表に出ないように顔を引き締めつつ、極めて事務的に語を継いだ。
「そうか。それで、そのアシュリン・エンフィールドからは何か聞き出せているか?」
「それが、彼女からも、クラウス・ダウリングと同じ自白しか得られておりません。彼女もまた、“アシュリン”の危険性を察知して絶やしたとの罪は認めておりますが、聞き出せたのはそのくらいです」
「ふむ……」
「クルーゲ少尉。あのふたりは、本当に“アシュリン”については自白以上のことは知らないのではないですか。特に、クラウス・ダウリングに関しては、その栽培方法こそ父から口伝されたものの、その開発方法、及び、なぜ父があの薔薇にあんな危険な特性を与えたのかについては、知識がないのではないかと。何しろ、あれほど痛めつけたというのに、何かを隠している素振りが全く感じられません」
尋問官が、申し上げにくいことではありながら、という口調でライナルトに進言する。それに対して、ライナルトは金髪をかき上げながら独り言ともつかぬ呟きを漏らした。
「そうすると、絶えた“アシュリン”を復活させる方法は永遠に失われた、ということだな。あの薔薇を兵器として活用しようとしていた軍のお偉方は、さぞかし落胆するだろうな」
「誠に残念なことですが、そうなりますな。他国に情報が漏れずに済んだだけでよし、と今回の件は終わりにするしかないでしょう」
尋問官が冷静に現実を述べる。その淡々とした口調に、ライナルトは腹を括った。彼は十数秒ほど考えを頭で巡らせた後、大きく息をつき、そして口を開いた。
「よし。分かった。上官たちには私からそう報告しておく。“アシュリン”についての追及は、これ以上は無意味である、と」
「承知しました。では、捕えたふたりの処分はどういたします?」
「機密保持を考えれば、無罪放免は考えられないだろう」
そう言いながらもライナルトの息は、密かに乱れた。その次に続くであろう尋問官の返答も、彼には容易に予想がついたから。
「ならば、秘密裏に殺すしかありません。獄死に見せかけるのが適当でしょう」
「……そうだな、その通りだ」
「では、さっそく、その手はずを整えますか?」
「いや、それは待て」
ライナルトは尋問官を引き止めた。そして、覚悟を持ってゆっくりと、次の言葉を紡ぐ。
「この件は今後、すべて私が引き受ける。この事態は私の提言と失策が招いたものだ。だから、私が責任を取って幕を下ろす」
「……そのご覚悟は、御身の元婚約者の命に関することでもあるからですか?」
ライナルトの決意に対して、尋問官は皮肉めいた問いかけを投げかける。しかし、ライナルトは何も答えなかった。
やがて、何か納得したような顔をした尋問官が敬礼の後、無言で彼の前から去って行く。
部屋にひとり残されたライナルトは、衝動的に左手に嵌めていた結婚指輪を指から引き抜くと、荒々しい仕草で床にたたきつけた。そして、かたーん、と音を立てて木の床に落ちた指輪を睨み付ける。そこに重なるアシュリンの面影からも目をそらさず、ライナルトは転がる指輪を目で追い続ける。
その仕草にいったい何の意味があるのか、まったく彼には理解できなかったが、その時ライナルトはそうすることでしか、己を保てなかった。
その夜、クラウスの地下牢からは遠く離れた独房に閉じ込められていたアシュリンの元を、訪れる影があった。
彼女は拷問さえ受けることはなかったが、その取調はなかなかに過酷なもので、アシュリンの意識は連日の疲労と緊張から朦朧としていた。そのとき彼女は、冷たくじめじめとした牢の床に、赤い髪を乱して倒れ込んでいた。
だから、牢の鍵が、がちゃがちゃ、と音を立て、彼女を閉じ込めていた檻が開いても、アシュリンはすぐに誰が入ってきたか分からなかった。
彼女はぼんやりとした意識のまま、目前に佇む男に視線を投げる。そして仄暗い空間に浮かび上がったその正体を捉えたとき、アシュリンの唇は震えた。
「……ライナルト」
懐かしいペリドット色の瞳が彼女を見下ろしていた。彼の片手には剣が携えられている。
あの夜、愛する父に突き立てられた剣が、いまはアシュリンの目の前で、ゆらゆらと、揺れていた。
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