第17話 迷宮石

「樹海そのものが……北の迷宮」

「今まで誰も気付かなかったのは、色々と理由がある」


 グルイーザはローブの内側に手を突っ込むと、小さな石を取り出してテーブルの上に置く。

 何の変哲も無い石だ。その上に両手をかざして影を作る。

 しなやかな指の間から覗く石は、薄っすらと光を放っているように見えた。


「それ、ひょっとして迷宮石?」

「そうだ。地下迷宮の石壁にも使われている、最もありふれたやつだな。別名を発光石」


 光の届かない地下迷宮でも、壁自体がぼんやりと発光して通路を照らすという。

 ただし、壁を削って外に持ち出しても効果は消えてしまい、ただの石と変わらなくなる。

 迷宮石は迷宮の中だけでしか効果を発揮しないのだ。

 それが、ここでも光っているということは。


 彼女の言うことを信じるならば、この場所は既に迷宮化しているということだ。


 モリアにはその真贋は分からないが、確認する方法についてはすぐに思い付いた。

 その方法をいったん心に留め置き、話の続きを聞く。


「例外はあるだろうが、この石は迷宮に持ち込むことで僅かに光を放つ。樹海を歩いてこの石が光った場所は迷宮の一部、ってわけだ」

「すごく簡単に見つかるね?」


 アニーが素直な感想をもらした。


「結論だけ見ればな。でも迷宮ってのはだいたいが地下迷宮、たまに塔のような建造物、という先入観を持たれている」

「加えてセプテントリオンといえば、樹海を抜けた先の北の果て――北壁山脈の付近にある迷宮というのが伝承上の定説だからね」


 洞窟や塔といった、具体的な形で迷宮は外界と隔てられている。

 他の迷宮はそうなのだ。

 発光石を確認しながら、樹海を歩き回るなどという発想自体が普通は出てこない。


「それに樹海全域が迷宮化しているわけでもない。範囲が凄く狭い」

「どんなふうに?」

「細いんだよ。一歩にも満たない幅の迷宮化空間が、北に向けて伸びている。樹海を東西に進むと、そういった空間を何本か見つけることが出来る」


 そんなものが、迷宮と呼べるのだろうか?


「迷宮って本来、盗賊とかが宝物庫に辿り着けないように、壁とかを複雑に造るものなんじゃ……ああ、そんなことする必要がないのか」

「樹海がその役割を果たすからな。天然の洞窟を利用した迷宮なんかも、自然の空間と迷宮が混ざっていることがある。棲息している生物も中途半端に魔物化したものが多い。セプテントリオンはそのタイプの迷宮だ」


 モリアはそんな迷宮の存在は知らなかった。

 そういった前例を知っているからこそ、グルイーザは北の迷宮の正体に思い当たったのだろう。

 迷宮活動期の今は、従来より発見しやすくなっているとも思われる。


「その細い迷宮を辿っていけば、迷宮の一番奥に辿り着けるのかな」

「伝承通り北壁山脈に迷宮の本体があるのなら、そこに行くのがまず難しいな。それに多分、北に行くほど迷宮の密度は高くなる。いずれは樹海全体を塗り潰す程に迷宮化しているんじゃないかと、あたしは思う」

「それはまたどうして?」

「迷宮化空間に沿って、ある程度進んでみて気が付いた。細い空間は木の根のように蛇行し、北から枝分かれしている。この迷宮は、樹木の根を模した形をしているんだ」


 そうだとすれば北に進むほど迷宮の範囲は太く広くなり、また根と根が合わさるように一体化することで、全ての空間が迷宮化するということか。


 アニーが少し難しそうな顔をして、グルイーザに問う。


「ねえグルイーザ。迷宮になった樹海は普通の樹海とどう違うの?」

「迷宮の中ってのは一体の生き物のように、ある程度それだけで完結した世界なんだ。そこでは迷宮石や魔物の力の発現のように、外の世界では起こらない現象が起こる。例えば――」


 グルイーザは一度言葉を切ってモリアを見た。

 答えを促され、モリアは自分の考えを述べる。


「例えば、地形の場所が入れ替わったりとか?」


 しかし、ライシュタットの街は元々迷宮化などしていなかったはずだ。

 重ねてその疑問を口にする。


「でも、根のように伸ばされた迷宮の先端が河の下を通って街に到達したとして、街全体が迷宮化していたわけじゃないよね。それでもそんなことが可能なのかな」

「根ってのは元々養分を吸収するためのもんだぜ。それに見立てた迷宮の機能なんだろ」

「東の迷宮の話が事実なら、その機能はセプテントリオン以外にも……?」


 だが、そんな遠い地の心配をしている場合ではないだろう。

 ライシュタットの街は今、


「そうなるよな。でもそういった話を聞かないってことは、極めて珍しい現象なのかもな」


 ところがそういった話はつい最近聞いている。

 レミーの一族は、百年前の迷宮活動期に消え去った。

 記録に残っていないのは、王国との関わりが薄い異民族だったから、というだけのことである。


 それだけではない。


 旧帝国時代に比べ、王国の異民族、あるいは異種族の数は急激に減っている。

 王国が苛烈な圧政を敷いたとか、そういう背景があるわけではない。

 自然と、そうなっていったのだ。


 薄っすらと陰謀めいたものすら想像してしまう。

 しかしそれは理屈が通らない。

 歴史上、古代帝国末期には迷宮を制御する技術は失われている。

 王国が迷宮を利用して何かをしたという可能性は限りなく薄い。

 そもそも、ライシュタットは王国の都市だ。

 今回の件は、迷宮によって引き起こされた事故と考えるべきだろう。


「これから君はどうするつもりなの?」

「さっきも言ったが、まずは外の調査だ。しかし単独で行くのは無謀だな。そこで――」

「僕で良ければ、一緒に来るかい?」


 ジロリと睨まれた。

 発言の内容というより、先に言われたことが少し気に食わなかったらしい。

 先に言ったほうが主導権を握れる、とでも思ったのかもしれない。

 実のところ、モリアも少しそう思ったので先に言ったのである。


「フン……。まあ、あたしからもそう申し出るつもりだった。探索の方針はその都度協議で決める。どっちが上とかはえ。探索にせよ戦闘にせよ、お前のほうが上だと思えば従う。思わなければ従わない」

「分かった。それでいい。もうひとり連れて行きたい人がいるんだけど」


 想定外の申し出だったのか、グルイーザは一瞬考え込む。


「そいつ、信用できんのか?」

「会ってそんなに経ってないんだけど、人柄と剣の腕は保証する。目つきは悪い。それと、今回の現象に少し縁があるかもね」

「ふうん? あと、治癒師に知り合いとかいねえ?」

「……探しとくよ」


 意外と注文が多い。

 治癒師は確かに欲しいが、魔術師と合わせて護衛対象がふたりに増えてしまう。

 自分で自分の身を守れる治癒師とかがいればいいのだが。


「それからもうひとつ。街の防衛についてだ。これはあたしひとりじゃどうにも出来ない」

「街のお偉いさんに今の状況を伝えて、適切な対処をしてもらえばいいのかな?」

「そうだ。出来るか?」

「発光石が余ってたら、ふたつ貰えないかな。ひとつは僕用だけど」


 グルイーザは袖に手を突っ込むと、石をもうひとつ出してテーブルに追加で置いた。

 さっきは懐から出していたような気がするが、どう仕舞っているのだろうか?


 ――まあ、余計な詮索はすまい。


「グルイーザ」

「なんだ?」

「上に掛け合うにあたって、君の存在を完全に隠すのは難しいと思う」

「何をするつもりなんだよ……」


 胡散臭いものを見るような目で、そう問われた。


「この街で一番有名な魔術師に頼めば、上にも話が通りやすくなると思ってね」

「《グリフォンアイ》ベルーアか。知り合いなのか?」

「いや全然。でもなんとかするよ。どう?」


 モリアは魔術師の少女の目を真っ直ぐに見返す。

 グルイーザは面倒臭そうに視線を逸らした。


「正直、お前のことはよく分からない。だが、少なくともお前は縁者でもないアニーを助け、アニーとおっさんの保護をあたしに依頼した。……人でなしってわけでもなさそうだ」


 話を打ち切るように、彼女はその手をひらひらと振るう。


「だから、今はお前を信用するよ。モリア」

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