第10話 黒鉄札
ライシュタットの街は、強固な防壁に囲まれた城塞都市だ。
食糧生産を担う畑こそ城壁の外に広がってはいるが、家畜の多くは日没前には壁内の小屋に戻され、街の地下には広大な食糧倉庫があるという。
恐らくは貴族用の脱出路もあるのだろう。水路で逃げるのが一番理に適っていると思うので、隠し通路があるとしたら北側だろうかと、モリアは考えながら歩く。
城壁の影となって薄暗くなっている、街外れの一角。
人通りの少ない場所に、その商会はあった。
「商会長さんは居るかな?」
「なんだあ、お前らは」
入り口に立つ用心棒と思しき男は、モリアよりも後ろに立つレミーを注視した。
当然の反応といえよう。
「……黒鉄札!」
「黒鉄札に、なんか疚しい記憶でもあるの?」
「――――!!」
威嚇と仲間に知らせる合図を兼ねて男は叫ぼうとする。
だが息を吸い込んだ瞬間、みぞおちにモリアの拳が突き刺さった。
白目を剥いて崩れ落ちる男の襟首を掴んで倒れるのを防ぐ。
親切心ではなく、余計な音を立てないようにするためだ。
「おい、商会を調査すると言っていなかったか。これではまるで殴り込み――」
「調査だよ」
気を失った男を地面に降ろすと、モリアは建物に入っていく。
「奥の部屋に三人だけかあ。不用心すぎるね」
「相手は一介の商人だぞ。反乱軍を鎮圧するような奴の襲撃に備えるわけがあるか」
レミーの発言を無視して、更に進む。
中に人の気配がする、奥の部屋の扉を蹴破って開けた。
つい先程までは音を立てないよう行動していたのに、相手に逃げ場がないと分かった途端にこれである。
「…………!?」
「なんだ! 貴様らは!」
「お前は……レミー!?」
奥の机に座り、レミーの名を呼んだのが商会長だろうか。
左右には用心棒が控えている。
「どうも、会長さん。今日はレミーの借金の件で来たんですけど」
「……債権は組合に売った。ウチはもう関係ねえ」
「でしょうね。なので、会長さん代わりに払ってもらえませんか?」
モリアが一歩進むと、ふたりの用心棒が距離を詰めてきた。
しかし後ろにレミーが控えているため迂闊に動けない。
用心棒たちは刃物を抜いた。
瞬間――
用心棒たちの片腕、片脚から血飛沫が上がる。
武器を落とし、その場に立つことすら出来ず崩れ落ちる。
例によって、レミー以外には何が起きたのかすら分からない。
「あ……?」
「う、うぎゃああぁ!」
「な……!?」
「ご心配なく。神殿の治癒師ならそのくらい治せますよ。料金はお高いですけど」
何がご心配ないというのか。
こんなものが調査のわけはないと、世間知らずのレミーでも理解できた。
モリアは組合から命令された任務という名目で、合法的に殴り込みに来ただけなのだ。
当然その責任は後で組合に行くことになるが、この商会とて偽の証文で組合を騙しているのだから強く出ることは出来ないだろう。
後は――暴力の強いほうが勝つ。
「く、黒鉄札が反乱を起こしたと聞いたが、まさか脱走してここまで来やがったのか……」
「だったらどうします?」
「か、金は払う……!」
「かさばっても困るので、金貨でください。今すぐ」
会長は慌てて金庫の中を探り、証文の額と等価の金貨を差し出した。
「確かに……。ところで会長さん」
懐に金貨を仕舞いながら、モリアは告げる。
「もしまた同じような特例開拓者を見つけたら、次はあなたの首を刎ねます。神殿でも、治せるかどうかは分かりませんよ」
治せるわけないだろ……と、言葉に出来る者はこの場には居なかった。
*
「はい。レミーの借金です」
「は……?」
カウンターに座るギルターは、意味が分からないというように差し出された金貨を見る。
「いや、確かにこれで足りるが……お前、商会の調査はどうした?」
「しましたよ。でも偽の借金を証明するのは時間がかかりそうなので、即金で払ってもらいました。任務は失敗しましたけど、原因が無くなったから依頼は取り下げですかね?」
モリアは不正をした商人を捕まえることには、まるで興味が無いようだ。
そんなことは別の人間がやれと言わんばかりである。
ギルターは顔を上げて、後ろに立つレミーを睨む。
レミーはそっと視線を逸らした。
「まあいい……手続きしてくるから待ってろ」
ギルターが戻ってくるまでの間、ふたりはしばらく黙ったままだった。
やがて口をひらいたのはレミーのほうだ。
「何故、俺のためにそこまでする」
「ウェルゲンにはさ、ウェルゲンなりの正しさがあったんだよ」
「…………? なんの話だ」
モリアはぼんやりと窓の外を見ながら話す。
「特例開拓者ってのは、軽度の犯罪者や借金を返せない者の受け皿になっているから、そんなに悪い制度じゃないんだ。でも、そこに収まるべきじゃなかった人も居た。ウェルゲンと、レミーみたいに」
思えば、この少年は最初からレミーのことを気にかけていた。
「お前は俺が、樹海で何か問題を起こすことを危惧していたのか」
「レミーがあのとき第二に残って反乱に参加していたら、そりゃあもう酷い結果になったと思うよ」
反乱鎮圧に向かう前の会話をレミーは思い出していた。
モリアはあのとき、「その気になれば第二拠点の特例を皆殺しに出来る」というようなことを言っていなかったか。
「お前は相手次第では、手段を選ばないのだったな」
「正面から戦って、レミーに勝てるとは思えないからね」
「そうか。お前はどこまでも合理的だな」
溜息をひとつついてから、レミーは続けた。
「お前の敵にならないよう、努力しよう。いつの間にか頭を撃ち砕かれていたりするのは、ご免だからな」
モリアの目的は人探しであり、そのために樹海の奥に進むことであり、そのために合理的な方法を模索し続けている。
レミーを助けたのは、同情とか義侠心のようなものではないのだろう。
いや、彼にもそういった感情はあるのかもしれないが、付き合いの浅いレミーにそこまでは分からない。
今は、まだ――
ふたりが交わす矢鱈と物騒な会話に、聞き耳を立てていた周囲の白鉄札もいつしか静まり返っていた。
いつの間にか戻ってきていたギルターも、黙って話を聞いている。
会話が途切れると、レミーに声をかけた。
「手続きは済んだぞ。すぐ白鉄札に上がれるが、そういや開拓者自体を続けるのかどうか、まだ聞いていなかったな」
レミーはゆっくりと、首を横に振った。
「せっかくだが……俺はしばらく黒鉄札でいい」
「あ?」
「え?」
モリアは思わず振り返ってレミーを見上げる。
その反応を見たレミーは、満足そうにニヤリと笑った。
「モリアと同じ、志願特例扱いにしてくれ」
この男のこんな顔は初めて見たような気がする。
昇格を断り、自分と同じ志願特例の黒鉄札に。
それは自分に対して僅かでも心をひらいたものか、それとも引っ張り回され続けたことに対する意趣返しか。
あるいはその両方かもしれないと、モリアは肩をすくめる。
窓から差し込む光は夕日の朱を纏い、それを気にするようにレミーは言った。
「そろそろ、帰りの船がなくなる時間ではないか? 俺の外出期限は今日限りだ」
「その心配はない。志願特例なら任務が無いときは、街と樹海の行き来は自由だからな」
受付に座る禿頭の大男の声は、心なしかいつもより穏やかだった。
「今日はこの街でゆっくり飲んでいけ。オレが奢ってやる」
レミーに続くように、ギルターも初めて笑顔を見せる。
……その凶悪な笑みに、周囲の白鉄札は震え上がった。
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