第94話 バカップルは斜め上を落ちていく(1)

 イッサクに指輪を奪われたミナは、自らラヴクラフトを求め、抱かれていた。

 昼だろうが夜だろうが構うこと無く声を上げた。

 国政も、選挙も、食事も、睡眠も打ち捨てて、ラヴクラフトを貪った。

 食い殺さんばかりに、ラヴクラフトを抱いた。

 ラヴクラフトも、それに激しく応えた。

 初めて情熱的に求めてくるミナに、支配欲が満たされ有頂天になった。



 ラヴクラフトが激しい睡魔と疲労に屈して、気絶するように眠ると、ミナはやっとベッドから降り、冷蔵庫から水のペットボトルをとりだし、喉を鳴らして飲み干した。

 汗だくで、喉はカラカラで、喘ぎすぎたせいで声が少し枯れている。

 もう丸二日が過ぎていた。



 あふれ出た白い液体が、内股を伝っていく。

 冷たく、ぬめっとした不快さに、ミナは手荒にテッシュでそれを拭き取る。

 あれだけ体を熱くした快楽はもう冷めていて、途端に、イッサク捨てられたという事実が、ミナを凍えさせてきた。



 自分はもう、イッサクの横にはいられない。仰ぎ見ることしかできない。

 イッサクにとって、ミナは他の有象無象と同じになってしまった。

 荒涼とした極寒の砂漠にひとり投げ出されたような絶望感に、ミナはそれを忘れようと快楽を求めた。

 酒に溺れるように、ラヴクラフトとのセックスに溺れ、全てを忘れようとした。



 呪われた体と、ラヴクラフトの性技は、ミナを快楽で焼き尽くしたが、いくら髪を振り乱そうが、涙を流そうが、頭の芯は醒めていた。

 いくら体が燃え、張り裂けんほどに声をあげようとも、心は退屈で、上の空で、気がつくとイッサクのことを考えてしまう。

 ラヴクラフトの上で乱れる自分を、もしイッサクが見ていたらと夢想にふけってしまう。

 


 イッサクの寝室には、二人の汗と愛液と精液の匂いが充満している。

 3ヶ月前とちがうのは、イッサクの血の匂いがないこと。

 あの夜はミナにとって、イッサクを失った痛恨の夜であったが、イッサクを最も感じられた最高の夜でもあった。

 イッサクの肉を破る感触、血の熱さは人生観が変わるような法悦だった。

 イッサクのすべてを手に入れたかのような幸福感に満たされた。 



 だがラヴクラフトとのセックスは法悦には程遠く、安酒ほどにも現実逃避をさせてくれない。

 これまでミナが、ラヴクラフトとの不倫を断ち切れなかったのは、結局のところ、それが心地よかったからだ。

 かつての恋人に抱かれているあいだ、たしかにミナは安らぎを感じ、満たされ、イッサクを忘れることができた。



 ラヴクラフトは強欲で平凡な人間だが、安心、温もり、穏やかな暮らし、平和な家庭を与えてくれる。

 ラヴクラフトは、貴重で手に入り難い、ふつうの幸せというものを約束してくれる。一緒に生活をしていくパートナーとして、これ以上ない男だ。結婚する約束もした。



 だが、イッサクと出会ってミナは変わってしまった。

 ラヴクラフトの腕の中で感じていた安らぎは、イッサクを傷つけているという高揚感に変わった。

 満たされていたのは、イッサクを怒らせているかもという自尊心の裏返しになった。

 イッサクを知って以来、ミナの基準は、ラヴクラフトのふつうから、イッサクの異常に置き換わってしまった。

 だからふつうの安らぎや幸せなんてものにまったく興味がない。

 イッサクに捨てられたいま、ラヴクラフトにはもはやなんの価値も感じない。



 イッサクはミナの太陽だ。

 あの赤く黒い熱と狂気が注がれないと、ミナは暗黒の世界で凍えてしまう。



 ミナは裸のまま、ソファーで頭を抱えた。

 イッサクが欲しい。

 イッサクだけが欲しい。

 トキハはミナのことを、自分だけが幸せならそれでいい女だと言ったが、そのとおりだ。

 春暁の館で抱きしめられたときに、はっきりとわかった。

 あの恐ろしい男のとなりに立てるのならば、ほかのことはどうでもいい。

 あの幸福感が手に入るなら、自分すらどうなろうともかまわない。



 どうすればいい?

 拘束、監禁や薬物で自由を奪っても、意味はない。

 いっそ敵になれば、意識してくれるだろうか?

 周辺国と手を組んでこの国を滅ぼすか、または国民を虐殺すれば、イッサクは怒ってくれるだろうか?



 だがミナは首を横に振った。

 かつてイッサクは、たとえミナが独裁をしても、大陸を滅ぼしても文句は言わないと言っていた。

 そもそもイッサクは、善悪の彼岸でヘラヘラと笑っているような王だ。

 自身の法も、欲望も、常人のそれとは隔絶している。

 ミナごとき、力があるだけのふつうの人間では、敵にすらなれない。



 せめてイッサクの欲望の形がわかれば打つ手もある。

 しかし、あれだけそばにいたのに、ミナはそんなことすら知らない。

 ミナにとって、イッサクはずっと遠くの手の届かない存在だ。

 求めることで精一杯で、イッサクのことを知ろうとしてこなかった。

 いまさらながら、その事に気がついて愕然とする。



 春暁の館で去っていく、イッサクの後ろ姿が目に浮かぶ。

 そのとき、ふと、イッサクが持ち去った邪神像のことが気になった。

 イッサクは邪神像を探していた。

 でもそれはなぜなのか?

 あのイッサクがぼろぼろになってまで、なぜ邪神像を探し求めたのか。



 ミナはスマホを手にとった、あるアドレスをタップした。

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