第57話 イチャつく童貞、キレた元嫁を走らす(5)
「勝ち目なんてあるわけなかろう!?」
「どうせジリ貧だ。それにここなら、いくらあいつでも力を抑えざるを得ないはずだ」
そこは住宅と商店が密集した路地で、夜明け前の暗がりの中に、朝の支度を始めた人々の気配が肌に伝わってきている。
イッサクはこの住民たちを盾にしようというのだ。
デスノスは気色ばむが、イッサクはそれを無視してリリウィに聞いた。
「あいつをさらにキレさせるにはどうしたらいいと思う?」
「はぁ?なんでうちに聞くのよ?」
「俺よりお前の方がよくわかってそうだからだよ」
逃げるのもやっとだと言うのに、これ以上怒らせてどうしようというのか。
だがリリウィは少し考えると、邪な笑みをうかべた。
ミナの感情を逆撫でするのは、なぜかとても面白そうだった。
「だったら、うちと恋人になってよ」
「恋人?お前は俺が憎いんだろ?」
「憎いわよ。うちはあんたと一緒に死ぬ。絶対に逃さない。でもそれって心中する恋人と同じじゃない?」
リリウィはイッサクに冷たく微笑む。
その笑顔にイッサクは、3ヶ月前にミナに殺されかけたことを思い出して苦笑いした。
それにリリウィの言うことも少しわかる気がした。
憎むこととも愛することも、相手の生を我が物にしようとするのは同じだ。
両方とも相手の生を望み、それが手に入らなくて苦しみ、果てに死を願う。
夜明けの直前の、密集地の路地がつながった辻。
ミナの姿は見えないが、貫くかれるような視線をはっきりと感じる。
イッサクは胸いっぱいに息を吸い、暁の鶏鳴よりも響く声を上げた。
「おい、俺はこいつと死ぬまで一緒にいることにした。
だからお前とはサヨナラだ!」
イッサクは抱きかかえているリリウィに口づけをした。
長い口づけを終えると、リリウィが「嬉しい」とだらしなく笑った。
ミナは、白々とやってくる朝に抗うような、一番黒い影の中から姿を表した。
髪を冷たい風になびかせ、表情なく、静かに、イッサクを見ている。
その姿を見ただけでデスノスとヒスイが反射的に構えをとり、リリウィは息を呑んだ。
集まってきて野次馬たちも、ミナが発する重圧に押し黙る。
ミナの発する重圧は圧倒的だった。
そんな中、イッサクだけがヘラヘラと笑っていた。
「もう帰っていいぞ。おまえとは関係ないんだから」
関係がない。
その言葉にミナは目が揺らぎ、イッサクの腕に抱かれているリリウィを睨んだ。
その明確な殺意をリリウィは不敵な笑みで受け止めると、イッサクの胸に密着し、ミナに向かってニタリと笑う。
ミナのこめかみに血管が浮き出る。
「お前もいい性格してるな」
「いいじゃん、向こうは新しい恋人ともっといいことしてたんだし」
イッサクとリリウィはまたキスを交わす。
そんな二人にたまりかねたデスノスが言った。
「お前ら、あのミナを前にして、よくそんなにイチャつけるな!?」
デスノスは構えたまま全身に汗を滲ませていた。
ヒスイもすでに肩で息をするほどに消耗している。
イッサクとリリウィがイチャつくたびに、ミナの重圧が増していっていた。
「大丈夫だって。こんな場所じゃ、あいつもせいぜいお前100人分ぐらいの力しか出せないだろ」
「それのどこが大丈夫なんだっ」
ミナはぐるりと周囲を眺めると、腰に履いた剣を天に向け言った。
「いまより、ここから周囲1キロに非常事態宣言を発令します。住民は直ちに避難しなさい。繰り返します、直ちに避難しなさい!」
イッサクたちの耳に聞こえたそれは、人の声ではなかった。
聞いた者の意識に直接作用する命令概念のエネルギーだった。
ミナの命令が早朝の冷たい空気を震わせると、まだ眠っていた街が不自然にざわめきたった。
最初に、ミナの背後の家屋から、寝間着姿の女が子供を蹴飛ばして逃げ出すのが見えた。
イッサクの右側では、2階の窓から男が飛び降り、強かに打った足を引きずり逃げていた。
左側では老夫婦がお互いを押しのけながら、転がるように走って逃げ出した。
誰も彼も、普通の状態ではない。
あちらこちらから、戸が破られる音、誰かが突き飛ばされる音、地面に叩きつけられる音が聞こえてきている。
なのに、ひとつの悲鳴も、泣き声も、うめき声も聞こえない。
皆、沈む船から逃げ出すネズミのように狂乱した濁流をつくり、逃げ出している。
とても人間の行動には見えない。
「なんだ、これ……」
イッサクが、眉間に深い皺を作って呟くと、リリウィがイッサクの腕から降りて言った。
「精神干渉じゃないかな。人の心を強制的に乗っとるやつ」
「わかるのか?」
「なんとなくね。あんたはなんで不機嫌なのよ?」
イッサクは濁流のようになって意思なく逃げていく住人たちを見て言う。
「こんな裏技、あいつが使っていいもんじゃねーよ」
そう吐いて、イッサクはミナを睨む。
リリウィは「ふーん」とつまらなそうに、その顔を見上げていた。
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いつも読んでくださり、ありがとうございます。
作品のフォローが300を超えました。
また一日あたりのPVが2000を超えるようになりました。
みなさま本当にありがとうございます。
コメントもいただき、励みにしております。
コメントのほとんどがミナへのブーイングなのですが、書き手としてこんなに嬉しいことはありません。
ネタバレなどを防ぐため、個々の返信は行っておりませんが、大変喜んでおります。
今後ともお付き合いいただけますよう、よろしくおねがいします。
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