第三十一話「ゆめ」

    一  魔術師



 照りつける、という事象が消え去るまであと幾日。しかしながら、そんなこととは露知らぬアウトグラン王国は素知らぬ顔で、日常という円状の道をただただ走り回っていた。

 「呑気のんきなものだな」

 書類の上を印鑑が跳ね回る。手際よく文字の書かれた大量の紙ぺらを一枚一枚正確にめくっては別の山へと乗せていく。

 「セイン書記長。この書籍らも追加処分の対象となりました」

 「……」

 一瞥いちべつするもその手は止まらない。返事の代わりにまるで馬の癇癪かんしゃくのようにしてその印鑑を押した。

 「時に、夜は好きかね?」

 「わわ、私ですか?」

 「君以外に誰がいる?」

 「そうですよね! はは……ええと、そうですね……私は怖いのが嫌いなのであまり好きではありません」

 「そうかね」

 「ええ…………あははぁ」

 「……君。カーテンを閉めてくれるか? 明るくてかなわん」

 「は、はい。ただいま」

 「御苦労ごくろう生憎あいにくチップは出ないんだが?」

 「ととと、とんでもございません! し、失礼します」

 薄暗くなった部屋に不気味な笑みを落とした。

 「紅茶でも頂くか……」


――ちりん、りん


 小ぶりの手鐘ハンドベルを鳴らす。しばらくして扉を優しく叩かれる。

 「セイン・トルトットおぼっちゃま。失礼します」

 「ご用意しておりましてよ。お坊ちゃまのお好きなお銘柄のものですよ。ご一緒に甘味ケーキもいかがです?」

 「ありがとう……その、お坊ちゃまというのはやめてくれと言っているだろう。もう私は……随分と前からそんな歳柄じゃない」

 「あらあら、私にとってはいつまでもお坊ちゃまはお坊ちゃまですよ。おっほっほ……」

 「君にはかなわないよ。アレンデール」

 「では私はこれで、失礼します」

 「おいおい、つれないな。少し話でもしようじゃないか」

 「あら珍しい。いいでしょう。しがない老婆でよければお話し相手になりましょう。ええ座っても? ああご丁寧に椅子を……ありがとう。それでどんな楽しいお話を?」

 「そう焦らずに。時間なら

 「おや、それは間違いです。おぼっちゃまと私とでは、来る年月にも差がございます」

 「ん? そうだったな……そんなことより、アレンデールはこの所業をどう思う?」

 「所業というのは……書物の廃棄処分のことですか? そうですねぇ……あまり喜ばれることではないでしょう。どれもこれも人が一生涯を賭けたものですから。加えて、全ての書物を破棄することはできようはずがありません。隠された一冊があれば、その労力は無にすでしょう」

 「ふむ……アレンデールの意見にはいつも助かっている。もしこれが大義の為であったら?」 

 「大義ですか。そうですね、それはそれは大層な義なのでしょうね。私はそのような義を果たせるような立場ではございませんので、差しはかることはできかねます。ただ……お坊ちゃまのを痛めてまで、あるいはお坊ちゃま自身をしてまで成すものに、意義があるとは思えません! どうか、ほどほどに、大義でなくとも、小義くらいで済ませては……お坊ちゃまの言葉をお借りするなら『そう焦らず、時間ならいくらでもある』」

 「はっ! やはり君にはかなわない……時に、アレンデール。君は働きすぎだ」

 「あなたもですが」

 「私はいいんだ……少々、旅行に行く気はないか、遠くに。そこは港でね。あまり発展している場所ではないが潮風と波の行き交いが」

 「ええ、よろしいですわ。どこへなりとも行きましょう……ふふ、お坊ちゃまはいつもはぐらかそうとすると、その港町をお奨めしてきますものね」

 「そうだったか?」

 「どれほど行けばよろしいでしょうか? お婆なりにも荷造りがございますので」

 「二週間。その日に馬車で、ゆっくりと帰ってくると良い。行きも帰りも手配済みだ」

 「ええ、わかりました……長話が過ぎましたね。たのしゅうございました」

 老婆はゆっくりと扉へ向かう。セインは少し早足になり取っ手を捻り、先んじて扉を開けた。

 「マダムアレンデール。その……怒っているか?」

 「ふふふ、さあ、どうでしょう。なあんて、ちっとも怒っていませんよ。慣れっこですもの。お坊ちゃま。お身体をどうかご自愛なさってくださいね。紅茶は淹れられますか? もう鈴を鳴らしてもしばらくはすぐにお渡しすることはかないませんよ。いらいらなさらないように」

 「わかった。わかったから、どうぞ。馬車が舞っているぞ。アレンデール嬢」

 「ふっふっふ……では、二週間後を楽しみにしていわ」


――ぎぃぃ……がちぃゃり


 丁寧にしまった扉、それをしっかりと確認するかのように手で何度か扉を静かに押し付ける。

 「(二週間後が楽しみだ。さて、それまでにはこれらを片付けなければな)」

 再び彼は印鑑を手に持った。とんとんとんとん、子気味よい馬の駆け足のように軽快に押していく。その印は寸分の狂い無く押されていた。



    二  懐妊



 「うーん……」

 重くなった頭を手で押さえ、火照る頬に手の甲をぴたりとつける。天井をうすぼんやりと眺めつつ、耳に入るくぐもったような声を虚ろな表情で聞いていた。

 「クラークお嬢様。体温が高うございますね……最近のお遊びが祟ったとしか言えませんよ。これを機に、改めてくださると、執事一同大変に助かります」

 「退屈な王宮の制度を変えてくれれば、考えてあげるわ」

 「それはどちらかと言えばあなたのお役目です!」

 「うう、耳が痛いわ。あまり大きな声で叫ばないで……」

 「はぁ……残念ですよ。あなたのその美貌はいたずらに男どもを誑かし遊ぶためにあるわけではないということをしっかりと頭に入れ頂かなければ……」

 「耳が痛いってぇ……」

 「いいえ黙りません。黙りませんとも。クラークお嬢様はそういう甘ったるい言葉でよく私、いいえ、この屋敷の執事も使用人も、料理長も他の貴族でさえ言いくるめてしまう。あなたが何と言われているかわかりますか? 『小悪魔』です! 皆ついつい懐を許してしまう。私のような女にも大変に人気なのです! あなたは! ……その天性の美貌をいたずらに振りまいて、みんなあなたの虜になってしまう。あなたの行動一つで、王族の品位すら落ちてしまいかねないのです。しばらくは私がしっかり体調の管理をいたしますので、どうかしばらくは安静になさってください、ね! ね!」

 「うう、いぢわるねえ……ん~メイ……おみず、持ってきて」

 「くー! し、しょうがないですね。しばらくお待ちくださいここから離れないでくださいね! 私はまだ『体調が悪いと見せかけて脱出する作戦』かもしれないという疑いを持っておりますので……私の目の黒いうちはしっかりとご教育する所存で……」

 「はーやーくー」

 「あーもう! お待ちになって!」


―――かつかつかつ……


 「(はぁ……う、気分が悪いわ……)」

 明らかな体調不良にクラークはお腹をさする。背中には冷や汗が垂れており、それはじっとりともう一人のクラークを作り出していた。

 「まさか、ね……」

 伏した目を月に向ける。輝く月は痛みを和らげているようだった。

 「(うう……母が良く『月は痛みを和らげる力を持っているの』と言っていたわね。全然信じていなかったけれど、今ならその言葉の意味が分かるわ。ああ、お母さん。私はどうなってしまうのかしら……私はただこの心を満たしたかっただけなのに……それがダメだったというの?)」

 遠くから使用人の靴音が嫌でも聞こえてくる。クラークには耳に手をやることもできないほど疲弊していた。


 夢を見ていた。幼いころ、それは部屋に入ろうとした時に中から聞こえた会話の夢だ。

 「フランツェ王国にクラーク嬢を?」

 執事や使用人らが話をしている。それはいつもいつでも王国だの権利だのの話であった。下町などと違い、常に地に足のついた話をしている。

 「何を、王は血迷ったのか?」

 「し! 聞こえるよ、誰かが聞いてるかもしれない!」

 「誰かが聞いているだって? ああ聞かせてやりたいよ……王の判断は間違えておられる! あの天方てんほうの美女を血の風呂に入らせようとでもいうのか? 礼節の無い野蛮人共にくれてやるくらいならば艶やかなカラスか血統の良い牡馬ぼばにでもやったらどうだ!」

 「確かに、フランツェとイリタリアでは宗教の分裂もささやかれている。何が起きてもおかしくはない。聖なる名の下に罰が下るなどと言い張る暗殺があるとも限らん! 今はアウトグランの国防をだな……」


――がたん!


 「(……!)」

 クラークは手をドアノブにぶつけてしまった。震える手を片手で押さえながら、後ずさる。

 「(私は、カラスさんやお馬さんよりもずっとずっと酷い人のところへお嫁さんに行くの?)」

 走っている内に震えや恐怖は消えていきやがて場面が切り替わる。そこは父や母がおり、中央で催しものをしている様子であった。

 「(わあ!)」

 おさなながらに感じたものは少女のちっぽけな世界を打ちこわしてしまうほど鮮烈であった。飛び回る人や獣と一糸乱れぬ連携をする人、魔法使いの放った小規模な花火や泡の予言師、様々な人々が次から次へと現れては見たことのない技術を披露していった。後にそれは王をはじめとする人々を楽しませる目的ではなくその国への出資をどうするかの自国紹介だということを知ったが、それでもそこには確かに夢があった。

 「(私もあんな魔術師になりたい……!)」

 漠然とした夢が小さな芽を出した。それを密かに育ててゆこうと決心した矢先、その夢は打ち砕かれる。

 勉強に次ぐ勉強。意味のあるのかないのかわからない稽古けいこに些細な部分まで決められた礼儀作法。寝食すら自由にできないありさまに少女はすっかり囚われてしまっていた。

 俯くクラークに月光が射す。それは夢であり希望であり願いであった。

 「(誰か私を連れて行って欲しい。どこか遠くへと)」

 太陽の元には恵まれていなくとも、せめて月の光を与えてほしい。小さな芽はそんな願いを込めながら涙を葉に垂らした。


―――じょうさま……お嬢様……クラークお嬢様!


 「……ん……」

 「大丈夫ですか? 随分とうなされていたようですが……」

 「大丈夫。もうさっきより、気分が良くなったわ」

 「先ほどなにやら『シュールズマン』と仰っていたのを聞いてしまったのですが、なんのことです?」

 「き、気にしないで! うっ……」

 「クラークお嬢様。あまりご無理をなさらないでください。一人で抱えなくても私がいます。何なりとお申し付けください。まだ眠れそうですか?」

 「ううん。もう少しここにいてほしい。何か楽しいお話もして」

 「なにを子供みたいなことを……しょうがないですね。これはここだけの話ですが、実は、これは私の後輩なのですが……」

 日は射さずとも、月の淡い光はその芽を緩やかに、穏やかに育んでいたのであった。



    三  ゆめ



 運命輪うんめいりん。それはこの世のことわりにして絶対的な原理である。

 太陽と月を主とする星々の回転力、そこから魔法の抽出を算出し用いた初めての人物。名をマーゼンという。彼は魔法のあらゆる基礎を構築し、またその祖として君臨し続ける偉大な魔法使いである。

 弟子が数多くおり、師から離れた弟子らはその魔法という概念を広めるべく各地に散っていった。この拓かれていった「魔法理論」はあらゆる文化に寄り添って成長していた。

 しかし、基礎から飛躍した魔法の理論というものは、まだはじける前の花火玉のようなもので弾けるまではどの方向にどのようにして爆ぜるかはわからないものであった。

 魔法が魅せる可能性に関して、マーゼンすらも知らない未知の魔法が多分に含まれている。そういう意味ではマーゼンは保守的だったのかもしれない。この先を憂い、あえて基礎分野のみの研究をしていたともいえる。


 やがてマーゼンの危惧は的中してしまう。各国でがあることが明るみになったのはすぐの事だった。人口、国に在住する人々の知能、土地や文化、教育……あらゆるものが「魔法」というものの可能性のあらゆるもの関与し、良くも悪くも成長速度はその国々で事細かに違ったのだ。

 暮らしを豊かに、また楽しくすることができてもそれは一抹の出来事である。国はその力を武力として利用することを推進する。

 運命輪の研究は疎かになり、基礎ではなく、応用のみを研究する国々は瞬く間に発展していった……その恐ろしさを知ることもなく。

 

 アウトグランもまたそのうちの一つである。

 移民族が十把一絡じっぱひとからげに暮らし煩雑としていた中で、それはそれでうまいこと共存していた。異文化や各地で発展した魔法が入り込み、非常に雑然としていた町に、権力が生まれ、宗教が入り込み、奇跡的に今のような状況が作り出されていった。

 もともと日陰の多い国であったが為に王都を含め様々な街が高く高く作られていたが、それを可能にしたのは魔法の存在に寄るところが大きい。町々は大きく発展していき、その度に権力の差は開いていった。

 巧みに統治していた人々はいつしか王族を名乗り、いつの間にか国となっていた。それに反発する者はいなかった。王族らは人々を操るのが上手かったのである。

 彼らが反発するのは自身らの置かれた境遇以外の事象全てだ。戦争の話がちらつき、船と火薬と魔法の研究が大きく進歩し、島国であったアウトグランには文字通り追い風が吹いていた。


 だが彼らの目指すべき場所は遠く暗い場所にあった。何処かもわからない程に。

 宗教内部分裂、反戦争派閥による揺動、学問と経済の天秤……あらゆるものがその体制を崩し始めており、美や礼節の外面の様相とは裏腹にいつ崩壊してもおかしくはなかった。


 誰かが願った……「争いが無くなってほしい」

 誰かが願った……「自由に歩きまわりたい」

 誰かが願った……「勉学を阻むものを無くしたい」

 誰かが願った……「好きな人と一緒に暮らしたい」


 そんな願いは誰もが思っていたことだろう。

 誰しもが描いていた「ゆめ」……それが成長し美しい花が開いたら、きっとそれは理想を越えた素晴らしいものになるに違いない。


 そう疑わない四人の愚か者が「それ」を始めてしまったのである。


 それは「ゆめ」を育むためだけに運命輪世界の根幹を犠牲にする極めて愚かな行為である。

 太陽の「暴く力」と月の「隠す力」……これらの相反する性質を持つそれらをぶつけ合い分散させ、その力をおのがものとする愚行にして最大級の禁忌。

 その儀式の名を……


――日喰の儀

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