第二十八話「陽のあった頃」

    一  シュールズマンおかしな人


 アウトグランの今は存在しない街の中央広場。狭く暗い通りの突き当りにある廃材捨て場に横たわる賢い男。そこはこの町の中でも比較的暖かい場所で、男にとってはそれだけで天国だった。濡れてしまった新聞紙の乾いた部分を肌に付け、それ以外は空き瓶に巻き付けて頭を乗せるのに使っていた。

 「はあ……はー……くっしゅッ」

 そこは丁度暖炉の真裏まうらで、の熱暖房となっていた。ここは彼にとってただ一つの家であり、ひねり出した最適解のひとつであった。

 しかし同時に最悪の解でもあった。それは毎週金曜の夜のことである。

 「うぃーっく、ひっ……おお? おい、またここに貧乏人がいるぞぉ?」

 貧乏人は酷く不快な顔を浮かべる。いつものように反対側に寝返りをした。

 「ちょ、ちょっくら、あそんでやっか……」

 「(うっ、ここまで臭いが……貴族のクソ野郎!)」

 「ひひ、ここに、き、金貨があるだろぃ、それを……っひ……今から投げるから表か裏か、あ、当てて見ろよ」

 「(早くどこかにいってくれないか……口臭で酔いそうだ)」

 「じゃ、い、いくぜ……よ!」


――がじゃん!


 「(……っくふぅ……ぐぐ、ふう)」

 硬貨は彼の細びた体に直撃した。

 「ひいいひい、ひっひ……ばぁか! やっぱ起きてやがったか、この私を、む、無視するなんて、ふ、不敬だ! そんなやつはこうだーぃ!」


――どがっ! どごっ!!


 「はぁ、はぁ……はあ、気持ちいぃぃいい! いい運動だ、ひっく」

 「(こいつ、毎度、めんどくせぇ。そろそろぶっ潰すぞ……)」

 「ああ? まだ寝たふりするのかぁ? 死んでるのかぁあ? はあ、やっちまったか? ……まあいい、こんなやつ……い、いなくなったってだぁれもこまりゃしねえさ、ひっく! むしろ酒場の大将から、一杯……いや、ボトル一本の褒美があるかもしれねええ、えぇへっへっへへ」

 「……」

 「……」

 「(ん? そこにいるよな、早くどっかいけよ……うわっ!)」


――じょぼぼぼ…… 


 「(しょんべっ!? 嘘だろ、おいおいおいおいおい……最悪だ!)」

 「ふうう、すっきりした。じゃ、帰るかな、来週までに死体になってなかったらまた遊べやぁ貧乏人様よ。よい祝夜を」

 「(どの口が……うえぇ……最低な臭いがする。くせぇ……ちくしょう! ああ、脱ぐにしても寒い。でもこの生温なまぬりぃのは嫌だな……くそ)」

 「……脱ぐか……しっかし流石に寒いな……くそ!」

 男はなるべく陰に隠れるようにして小さくまとまった。背中を石にべたりとくっつけて、息を静かに殺した。瞼を落とす音も聞こえるほどに。


――すー……すー……


 「(ん? なんだこの音は。寝すぎたか……いや、芯は冷えていない。としたらなんだ?)」

 恐る恐る目を開ける。瞬間、目の隙間から優しい光が射してきた。

 「すー……すー……」

 「なな、なんだ?」

 そこには黄色っぽいドレスを着た女性が寝息を立てていた。手には金色に縁取られたランタンを持っており、燃料の香りが周囲に漂っていた。

 男はその暖かさに近づくために身じろいだ。きりっとした眉に高い鼻筋を眺めた。彫刻のようにきりっとした顔を見入った。

 「んん・・・・・・……あら、もう起きたの?」

 「それはこっちの台詞だ。何をしているんだ?」

 「寒そうだから温めてあげようかと思って」

 「変わった奴」

 「裸で小さく丸まっているあなたに、言われたくはなくってよ」

 「ふん」

 「あなた、寒くないの?」

 「寒くないと思うか? 今にも凍ってしまいそうだ」

 「服は?」

 「あったら着ているさ。いや、そこにあるはあるんだが……まあその、察してくれ」

 「くんくん……ああ。そういうことね。じゃあ……これ、どうぞ」

 その女性はドレスを脱ぎ始めた。男は突然の出来事に目を逸らす。

 「お、おい! 何をしている。凍死するぞ!?」

 「ふふふ、あなたうぶなのね。女っていうのはこれでもかという程、服を着込むのよ」

 女性はパニエのみの状態になった。ドレスを豪快に男に巻くと、ランタンを置いてさっと素早く立った。

 「っとと……」

 「急に立つと、視界が歪むぞ」

 立ち眩んだ女性を男は支えた。はたから見ればドレスを纏った男に支えられる奇妙な構図となってしまっているが、男には確かに小さな星が降り注いでいた。

 「あら、ご忠告どうも。あなた、名前はなんていうのかしら?」

 「名前は……ないさ。ないとも」

 「そうなの。ま、名前なんて些細なことよね」

 「そうだな。もう行くのか?」

 「ええ」

 「ちょっと、ああ、その。名前は?」

 「名前?」

 少し間をおいてからパニエの背中越しに僅かにうわずった口角が見えた。

 「ないわ。好きなようにお呼びになってくださいな。シュールズマンおかしな人さん」



※パニエ:女性がドレスの下に着る、スカートを広げる役割を持つ籠のような形の下着。



    二  点描


 昼間。そういった概念がまだあった頃の話。それは丁度百年前にさかのぼる。

 真上にかんかんに光る宝石が見下ろす小さな教会の中庭。その内外には芋と牛乳の煮だした香ばしい匂いが充満している。炊き出しである。

 「で、どうやって二週目の炊き出しに並ぶんだ? 見せてもらおうか」

 「ふ。俺は道化師をやってるんだ。喋りだけには自信があるからね」

 枢機卿であるトリファ・チャズリックは男に向かってそう煽った。鼻を鳴らして意気揚々と炊き出しに並ぶ。

 「おいおい、君は二回目だろう? なぜ並ぶんだい?」

 「ん? 可笑しいな。僕は正真正銘、初めて並ぶよ。記憶力には自信があるんだ」

 「おいおい、そんな嘘は通用するわけないだろう?」

 「いや。君の顔は忘れるわけがない」

 「ははっ、まあちょっと面白いかな。でも僕の気は変わらないよ。並び直してくれ」

 「まてまて、君は気が変わるはずだよ。僕の勘が正しければね」

 「ないね」

 「ない? やっぱり。記憶力以外はあんまり自信がなくてね」

 「は! いいね。もう一押し必要かな」

 「もう一押し? 初めて知ったよ。シチューの入れ方」

 「ああ、しょうがない。これっきり。三回目は無いよ」

 炊き出しの担当員は男にシチューを注いだ。

 「オーケー。じゃあ、四回目と五回目にも呼んでくれたら助かる」


 「な?」

 そういう男を尻目にトリファは紅茶を味わっていた。トリファと男は対角に座り、お互いに向き合ってはいない。しかし、その声は確かに互いに届いていた。

 「よかったじゃないか」

 少し詰まらなさそうな声色で持っていたやや小ぶりの本をめくった。男はシチューを隅々まで堪能していた。

 「それで、なにかあったのかね」

 「それはこの二杯目のシチューのことか?」

 「はっ、道化はもういい。私がわからないとでも思ったのかね?」

 「数来の友人の目は鋭いな。天文学者にでもなったらどうだ?」

 「あまり波風を立てるようなことは言わんでくれ」

 「すまないすまない。人と話したのはちょっとぶりだったもんでね」

 「『ちょっとぶり』ね。久しくない辺りの話を茶請けにしたいものだ」

 「それなら最適なものがここにある。ちょっとばかりがな」

 「これは……カンテラか? いやに豪華だな。盗んだのか」

 「馬鹿いうな。貰ったんだよ」

 「おいおい、冗談はまだ続いているのか?」

 「はあ。少し前にな……名のある貴族と、その……まあなんだ。すこしがあってな」

 「お近づきになりたいと」

 「端的に言えば、そうなるな」

 「名のある貴族ってのの名前は」

 「……」

 「そういうことだろうと思ったよ。お前は昔からやり直しの効かないものの博打に度胸がないからな……しかし、このカンテラ、よく見れば……お前、これが誰のものか知っているのか?」

 「さあ」

 「これは王族のものだ。よく見つからなかったな……知る人が知れば、どうなっていたか」

 「それは……冗談が上手くなったな」

 男はそのカンテラをさっと奪い、自身のみすぼらしい懐に仕舞った。

 「ふん。まあいい。王族が相手、且つ名前を知らないとなると、相手が多すぎる」

 「そんなに多いのか?」

 「いくつもの家が取り入っている上に複雑に絡み合っているからな。こういった事に対しては私もあまり知見がな……教会に出入りするものなら大体把握しているが、王族位になると。どうしたものか……あいつに話を聞いてみるか」

 「あいつ?」

 「幼馴染みたいなもんでな。人心に取り入る術を心得ている賢人だよ」

 「賢人ねぇ。私よりか?」

 「少なくとも。とりあえず、連絡してみよう」

 「名前はなんていうんだ?」

 「セインだよ」

 トリファは本を閉じ、わざとらしく一礼をしてからその場を離れていく。男はシチューの残りをかき込み、まだ口に頬張ったまま、その場所から逃げるように去って行った。


 「今日は炊き出し無し、か」

 「しょうがないだろ。いつも炊き出し中心に生活が回っている誰かとは違うんだから」

 二人は先日と同じ場所に同じように座っていた。しかし、前回とは違い朝が少しばかり早く、陽が真っ先に射す。トリファは日影に丁度隠れているが男は体温を上げるために、全身でそれを浴びていた。

 「いつ来るんだ? もう少し後でもいいんだが」

 「日光浴と洒落こんでいるところ申し訳ないが、じきに来る」

 「『もう来た』に訂正して頂こうトリファ・チャズリック」

 日傘を差した黒いロングコートをなびかせたな紳士が深くかぶった帽子を少し浮かせながらやや上体を折った。

 「どうも、初めまして。私がセインだ」

 「よろしく」

 「……名前は?」

 「あー、その……シュールズマンだ」

 「おかしな人シュールズマン? それはそれは。よろしく頼むよ。気に入った」

 にやにやしながらトリファと同じ長椅子の隣に座った。トリファは口元を緩く握った拳で押さえ、ふふふと笑っていた。セインと名乗る紳士は日傘を閉じ、さっそくと言わんばかりに手を合わせて視覚の中心にシュールズマンを据えた。

 「で、話はあらかた聞いている。君は王族のカンテラを持っているそうだな。君が良ければ見せてくれるかな?」

 「はいよ」

 「……ん? その懐にしまってある布は、君に似つかわしくないように見えるが?」

 「よく見ているな……その、これは……その人がくれた……」

 「ごにょごにょ話すのはよしてくれ。私はそういうのが苦手でね」

 「ああ、すまない。その……カンテラと一緒にくれたんだ」

 「脱いでか?」

 「脱いで」

 「なるほど。ではそれも貸してもらおう」

 「なんでだ? これは、いいだろう別に」

 「いいや、その体格を知るのには最適だ。だいぶ絞り込める。こういうのは特注品だから当人の趣味趣向が反映されるんだ。これでいいか?」

 「はあ……わかったよ。降参だ。大切にな」

 「少なくとも君よりは扱いに心当たりがあるさ」

 紳士は下から念入りに見る。それはどこか怖さを覚えるほどに執拗に。手触りから生地を確認し、その幅や色合いを文字通り照らしながらしっかりと見ていた。

 「絞り込めることは分かった。ただ『会うこと』はわかった。相手は王族だろう?」

 いつの間にか眼鏡を取り出していた紳士はその眼だけをシュールズマンに向けた。やれやれと言わんばかりに眼鏡を外す。

 「茶会があるのをご存じか?」

 「茶会?」

 「王族が定期的に伴侶やそれ以外と愉しみ、情報を集める為の大人の茶会。仮装茶会マスカレードだ」

 「へえ」

 「なんだその間の抜けた相槌あいづちは。それに潜入するんだよ。君は」

 「ええ」

 「君は面白いやつだな。反応が」

 「セイン、こいつは見ての通り貧乏に花冠はなかんむりを被せたようなやつだ。外見を見繕ってやったとしても拭えない汚れもあるぞ」

 「酷いぞトリファ!」

 「はっはっは! トリファの言い分も一理ある。だから信頼しているお前にも手伝ってもらうんだ」

 「うげー、やめてくれ。君は信じて、頼るなんてそんなこととは縁遠いだろうに」

 「それは傷付くな。まあいいさ。仮装茶会マスカレードは王族の中でもさらにいくつかの名家がバラバラに開催しているものだ。その中でも誰が開催するかが重要だ……このドレスが似合う御令嬢はさぞ美人だろう。紋や装飾から察するに……よほど上位の階級と見た」

 「セインがそこまで言うのなら、きっとそうなんだろうな。それで、私は何を手伝えばいい」

 「トリファ、君は変装してシュールズマンと同行してくれ。一人では拭えない汚れも、二人いればそういう模様になるだろう」

 「まて、私も汚れているみたいに言うんじゃない」

 「何か違ったことを言ったか?」

 三人はまるで学生の猥談でも話しているかのようにげらげらと笑った。


 くして、おかしな人シュールズマンとトリファ・チャズリックは賢人セインの作戦にのっとって、茶会に潜入する作戦を実行する。それは明るい夜のこと。満月が魔力を発する魅惑の時間に、それは決行されるのであった。


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