第二十七話「三つの崩壊 ‐ 逃亡」


    一  尾



 ローゼンドーンという最先端だった町が変り果ててしまっても月明かりは変わらずにその様相を照らし続けていた。廃屋同然の町から魔女ミシェルとの戦闘を経て、這う這うの体で逃げ出すところも、ありのまま照らしてしまう。その体を焦げ付かせながら息せき切って低空飛行をするのは三人の魔女ノアであった。

 「もっと早くお飛び!」

 折れた傘の先を馬車の要領で繋げてある鉱虫に鞭の様にしてぶつける。折れた傘は首の皮一枚にもかかわらず、文字通り皮一枚とも言える魔女の腕の力を精一杯虫に伝える。

 「姉様! 姉様!」

 「なんだい? そんなに慌ててみっともない」


――どーん!


 雷鳴と共に地面が少し抉れる。それを中心に二人の魔女が現れる。ノアに繋がれていた鉱虫は驚き何処かに行ってしまった。

 「体が黒焦げじゃないか! だから火遊びもほどほどにしろと……」

 「違うよ姉様! 月の魔女の力を受けたんだよ!」

 「なに?」

 手を左右に振り、焦げた枝から出た小さな黒煙を大げさに払った。

 「まさか。パッヘルベルのが? ケッケッ」

 「私にはわかるよ。この子ノアは嘘を吐くとき鼻の筋から汗がつーっと……」

 鼻の横にできたほうれい線を真っ黒な手袋越しになぞる。燕尾服を着こなし、他の二人と違い背筋が伸びている。

 「アストラ姉様! 茶化さないで頂戴。ほんとなんだから」

 「ふうむ。信じられないけどねェ」

 「どうせトリファのガキから魔力を取り損ねて、アタシらに報告しずらいから嘘をでっち上げたんだろう?」

 「違うわよ! ほら、あの力ならここにちゃあんとあるわよ!」

 「ほーう。ならなぜ?」

 「だから私は帰る途中でパッヘルベルの子せがれがいたから……まあその……遊んでやろうと思って。そしたらあいつ、私の力をやがったのさ!」

 二人の魔女は顔を見合わせた。

 「いいや……いやいや、ノアの言ってることは信用になるか……?」

 「だって、あの少年トリファへの予言もノアだろう?」

 「もう!」

 「アダムス姉様。現に力を回収したのだから、そう無碍にするのも……それに、ノアの予言も現にましたし」

 「ふうむ。しかし現実に力が子せがれに渡ったというならば……事態は予定よりも早いかも、知れないねェ。覚醒の原因は、悪魔との契約かいね?」

 「ケッケケ……姉様、その呼び方、随分とここアウトグランに馴染んでるではないですか」

 「なぁに“郷に入っては郷に従え”だよ。ともかく、の尻尾を掴む良い機会かもしれないねェ」

 「本来の私たちの目的はですからねェ、ケケケ」

 「とはいえ、ノアは黒焦げだ。ここはアストラに行ってもらおうかね」

 「ヒヒッ! 私の出番ですかい。姉様の御期待に応えるとしよう」

 「頼みましたよ、アストラ姉様」

 かん、と杖を叩くと闇が伸びてくる。それがアストラを飲み込むと、自身もその影にすっかり溶け込み薄らいでいった。

 「シュールズマン……」

 「どうしたんですか、アダムス姉様。そんなに子せがれが気になりますかェ?」

 「いいや、そっちじゃないよ。奴の方さ」

 「パッヘルベルの?」

 「はっ、あんなイカレた奴シュールズマンなんざどうでもいいさね。花嫁の方だよ、わからない子だねェ……あの力がなけりゃ、アタシらはいつまで経っても弱いまんま。百年経って頭がさび付いちまったのかい? 今まで完全に隠れちまっていた力。今回収している魔力も欲しいものではあるがね、一番に欲しくて、且つ一番力、それは」

 「それは?」


 「月の力さ」



 「まだ見つからないの?!」

 頭上の冠がシャンデリアの輝きをちらちらと反射する。握った拳は予想よりも大きな音を生み出す。ノッティンガン宮殿の細長い謁見室の玉座に座った老婆クイーンは報告しに来た兵に声を投げつけていた。

 「あいつより早くにを見つけないといけないの、わかってるのかしら!?」

 「はっ」

 「まったく、使えないわね……! 鼻につく奴セイン学長め。あいつより先に見つけないと……! ローゼンドーンなんて捨ておきなさい! あんな吹かずとも消える蝋燭!」

 「エリーベル女王陛下、現地の兵らは……中には薔薇騎士も……」

 「優先順位を考えなさい! 能無し共! シュールズマン邸に早く急ぎ向かいなさい!」

 「い、いえ。それが……」

 「なに! 口答えでもする気? なんの成果も得られず、まんまと法王に死なれたお前たちに『それが』も『でも』もないのよ!」

 「……返す言葉もございません」

 「ふん! もうよい。下がれ!」

 「は、はっ!」


 若い兵士は冷や汗をかきながらその場を去る。より長く感じた謁見室を出ると、すぐに声を掛けられた。

 「ねえねえ。女王様に、何を報告しようとしたの?」

 月明かりでできた影に上手く隠れ、兵士からはその姿が曖昧に見えた。

 「こ、これはこれは、シャルル王女様。ええと、その……不可思議なことですから、到底信じていただけるはずの無いことなのですが」

 「私なら、言えるでしょう?」

 「え、ええ。パッヘルベル・シュールズマンは、その……行方不明でして」

 「行方不明?」

 「はい。シュールズマン邸に向かった調査員の報告によると、その……」

 「消えてしまった……とか?」

 「え、ええ。正に。シュールズマン邸は、跡形もなく消えてしまったのです」

 王女シャルルの口元はほころんだ。


 「それは、奇怪ね」



 時を同じくして今度は女学院聖なる貴き少女ら。その学長室には幾人の星女らが待機していた。月の光は黒いカーテンによって遮られている。

 「道中、言った通りのことはしたかね?」

 「はい。周囲の探索を綿密に」

 「結果は」

 「その……」

 星女は言い淀む。白い眼球が右へ左へ泳ぐ。しばらくの後、見兼ねた学長は助け舟を出した。

 「屋敷はどこにもなかった、かね?」

 「! はい。どこにも見当たりませんでした。本来あるとされる場所以外にその周囲も散策しましたが、そこに最初からなかったかのように、跡形もなく……」

 「そうか。そうか。それは……不思議なことだ」

 「しかし、学長は一体なぜお分かりに?」

 「さて、何の話か。君が言い淀むなんて、余程不可思議なことが起こったに違いない、と思っただけの話だよ」

 「そ、そうでしたか」

 「ふふふ、君たちは私の理想の報告をしてくれた。感謝するよ」

 「は、はあ」

 「君たちには引き続きを続けてくれ。下がって良い。勉学に励み後進の育成、監視を怠ることの無いように」

 「はい。仰せのままに」

 外よりも暗い室内に静寂が訪れた。手元にあるカップから立ち上る湯気すら音を立てているほどの静寂だった。一口飲み、そのカップを置いた。窓際に行き少しだけカーテンを開き、窓を開けた。冷たい風の軌道がカーテンを通じてわかる。

 「見つからない、こそが答え。ついに表れたか。月の力が……!」

 ぎらりと光る眼光はその窪んだ影に隠れてしまった。



    二  失われたものたち



 アウトグランでは所々にその空を覆い隠すように、または見せてはいけないものがあるかのように長く広く伸びた異常な巨木が生えている場所がある。ある時は目印として、またある時は簡易的な休憩場所として活用されている。森の生物たちが自然の恵みを置いておく保管庫としてもしばし活用される場所であった。ミシェルとイフリートはそんな木のうろで身体を休めていたのである。

 「はああ……寝心地は悪いけれど、この暗さといい狭さといい丁度いいわ。そう思わない?」

 イフリートはその腕を犠牲にしてミシェルに腕枕をしていた。

 「犠牲になった人々や亡くなったトリファ法王のことも、憂いる余裕ができるわ」

 「そうだね。僕のこともできれば憂いていて欲しいな」

 ミシェルは地下でランドール元助祭に出会った際に言われた通り、港町ムーナロスティシエに向かう道中であったが、途中で心労が限界に達したために休憩していたのである。

 「ここに果実がたくさんあって良かったわ。誰も来ていないのでしょうね。おかげで喉を潤せたわ。甘くておいしいかった」

 「まだ食べなくていいの?」

 「ええ。次に来た人が困るでしょう? 動物たちの苦労にも申し訳ないし」

 「ふうん。そんなものなのかな」

 「そうよ。まあ、変わっている方だとは思うけれど」

 ミシェルはそう言って目を閉じた。暗かった洞も慣れた目には明るく感じるのだ。

 「寝返り、うつわよ」

 「本格的に寝るつもり!? う、腕がさぁ……」

 「あら、あなたそれでも悪魔でしょう? 契約恋人の特権でしょ。我慢なさいな」

 そういうとミシェルはイフリートの胸の方に寝返りをうつ。イフリートは右側からほのかに甘い香りを感じた。

 「まあ、少しくらいならいいけど」

 そう呟くように言ってからしばらくの沈黙。それはミシェルが眠るのに十分な時間であった。


 「ミシェル様、くれぐれも明かりをつけて読書くださいまし。目に悪うございます故」

 「(この声はモイラ? 懐かしいわね)」

 「ミシェル様? …………入りますよ」


 ——がちゃり


 「もう、こんなところでお休みになって。御父上様がご心配なさいましょう」

 「(父上様は私のことなんて気にしないわよ……)」

 「そんなこと言って。御母上様はもっと心配なさいましょう」

 「(母上には会ったこともないのに)」

 「ミシェル様、お母上様は月の光となってずーっと見守ってくださっていると、申し上げたのをおぼえていらっしゃいますか?」

 「(そういえば、そんなことも言っていたっけね。モイラは私がそんな子供騙しを信じるとでも思ったのかしら)」

 「ミシェル様は聡明なお方です。きっと信じていただくことはないのでしょう。しかし、お母上様がミシェル様を愛していたことは事実なのでございます。それだけはお疑いなさいませんよう、このモイラ、お願い申し上げますよ」

 「(この感じ、もしかして私が荒れてた頃かしら。何でも反発する、自分でもあまり思い返したくない恥ずかしい時期だったわ)」

 「ここで寝てしまっては私が怒られてしまいます。無理やりにでもお運びします」

 「(お節介だったわね。懐かしい。元気にしているかしら)」

 「ほら、この本も閉じてしまいますからね。栞を挟まないとどこまで読んだかわからなくなりますよ。さーん、にー、いーち……」

 「(時間を数える手法も良く使っていたわね。その手によく乗ってしまっていたのだけれど)」

 「はい。ではベッドまでお運びします。少々揺れますよ」

 「むにゃむにゃ、乗り心地の悪い馬車ね。細い腕……もう少し肉を付けた方がいいわよ」

 「うふふ、お気遣い感謝いたします」

 ベッドまで丁寧に降ろしたモイラは布団を丁寧に首まで掛け、蝋燭の明かりを消した。

 カーテンをしっかり閉めてから、部屋を今一度見渡して、ようやっと部屋を出たのであった。

 「(モイラは歩くときも扉を閉める時も足音を極力落としていたのよね。おかげで何度も突然話しかけられて驚いたのは、今思えばいい思い出ね……そういえば、私がよく読んでいた本)」

 先ほどモイラに栞を挟むよう促された本。それは見たことのないミシェルの母から送られたと言われる本であり、ミシェルにとってそれはあながち嘘ではないと思っていた。

 「(そういえば法王の遺言に似た文言と同じことが書いてあったわね。その話をランドールとしたわ。疲れていて忘れかけてた。流石私の記憶……夢で思い出させてくれたのね)」


 「ミシェル」

 「ちょっと待って、今この本を読むから。細部まで記憶しているのよ……たぶん」

 「ミシェル! 寝ぼけてないで、いつまで寝るつもり?」

 「え?」

 イフリートの声で目がぼんやりと開いた。口元から零れ落ちそうになっているものに気が付いてから目がみるみる冴え、すぐさまそれをする。

 「ごご、ごめんなさい。つかなかった?」

 「なにが?」

 「ああ、なんでも……私そんなに寝てた?」

 「うん。もう腕がぱんぱんだよ」

 「寝言とか、聞いた?」

 「あー、まあ。自信に満ちた感じで『流石私の記憶』とか言ってたけど」

 「はは、ああ。まあね」

 「記憶の中はどうだった?」

 右の腕を振りながら上体を起こす。ミシェルが差し出した手に気が付いて、左手を差し出し返した。ミシェルはそれを見て慌てて左手に替える。

 「あんまり覚えていないけれど、懐かしい夢だった。実家にいた時の記憶だったわ。久しぶりに気持ちよかった……もう何日も寝たみたいにすっきりしているわ」

 「そういえば、腕が細い、乗り心地が悪いって言われた気がするんだけど?」

 立ち上がったイフリートはミシェルの長い髪の毛に付いた土を払った。

 「へ!? きき、聞き間違いよ。気持ちよかったわ。その、ふかふかだった」

 「いいよ別に。こっちもまあ、落ち着けたし。そういえば本がどうのって言ってたけどそれはあの(いけ好かない)元助祭と話した時に言ってた『昔読んでた本』ってやつ?」

 「そう、そうよ! その本、あと少しで読めたのに」

 「まだ寝ぼけてるの? 流石に本をまるまる読めるわけないよ。それだと本屋が潰れちゃう」

 「ま、まあそうかしら。一理あるわね」

 「いっそ、ムーナロスティシエに行く前に、ミシェルの実家に行くっていうのは?」

 「ええ!? 魔女として処刑されたのに今更実家になんて……」

 「ミシェルとして、でしょ? ヘイミッシュとして行くとか……まあその時考えればいいよ。とにかく隠れてひっそりは僕たち慣れっこだから、さ」

 「まあどういう風にするかはさておいて、本を取りに行くのはいい提案かもしれないわね」

 「よし、決まり! 動けそう?」

 「ええ。ちょっと寄り道散歩しましょう」



 ミシェルらからは見えない木の上の方の太い枝の一本に一人の燕尾服の尾が影から見え隠れしていた。その実体はすっかり隠れて見えない。握られた折れた杖はまるでその枝の一本かのように擬態している。

 「ほうほうあれが妹をやったミシェルかい。あの力が無ければあいつには勝てないからねぇ。さあて、月の魔女に会わせてもらうよ。はようお行き……ケッケッケ」

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