第60話 雨の中の白と赤

「あ! あそこなら人がいませんよっ」


 目抜き通りの露店から少し離れた、人通りの少ない道。誰もいない建物の軒先に私とアリスは飛び込んだ。


「凄い雨ですね……」


 アリスが帽子を取って空を見上げる。ぱさりと髪が揺れて、いつものアリスがそこにいた。

 これではこの国の国民ならすぐにアリスの正体がバレてしまうだろう。運良く人のいないところが見つかって良かった。


 ほっと息をつくと、アリスがその瞳に私を映した。そしてすっと頬に手を伸ばすと、顔に張り付いた髪を直してくれる。


「空も、すっかり濡れてしまいましたね。すいません、何か拭くものがあればよかったのですが……」


 眉を下げるアリスとの距離は近い。アリスの髪も服も全て濡れてしまっているせいで、いつもより扇情的に見えてしまう。

 それに、さっきあんな雰囲気になったせいで余計に……!


「えとえと……わ、私、向こうのお店で拭くもの借りれないか聞いてきます!」

「えっ!? 空っ!」


 たまらず、私は軒先から飛び出した。だってあのままあそこにいたら、またアリスにぽーっとなることになっていたかも知れない。

 それは避けたいというか心臓がもたないというか!


 ばしゃばしゃと雨の中を一目散に露店に向かって走る。大雨で視界は悪いけど、露天は角を曲がったらすぐ見える位置にあるので問題ない。


 でも不意に、出かける前の神様の言葉を思い出した。


『……まあ、いい。それより、気をつけて行けよ。お前は街に出る度に何かに巻き込まれて帰ってくるからな』


『アリスから離れるなよ。アレは何があっても空を守るだろうよ』


 ……私は、今のところ街に出るとよく何かが起こるわけで。そして今私は、アリスから離れているわけで。


 ぞくりとして、足がピタリと止まった。

 後ろを振り返る。とっくに角を曲がったので、アリスの姿は当然見えない。でも前方を見れば、雨のせいで視界は悪いけど、露店と雨宿りしている人達が見える。


 さっさと行って、アリスのところに戻ろう。

 そう決めて、また走り出そうとした。


「むぐっ!?」


 突然、横から腕が伸びてきて、私の口を塞いだ。体も捕まえられて、ずるずると路地裏に引き込まれる。私は抵抗するどころか声もあげられないままされるがままだ。でも必死に目だけは動かした。


 後ろから、私の口を塞いでるやつが一人。前から私の両腕を掴んでるやつが一人。多分、どちらも男だ。後ろの方は姿は見えないけれど、聞きたくもない声が聞こえてくるからよく分かった。


「おい、布かなんかねえのか、口塞げ」

「今離したら暴れるか声あげられるだろうが。このまま人のいないとこまで行くぞ」

「ったく、めんどくせぇ……」

「だがまあ、これなら高く売れるだろ。黒髪黒目はそんないねえし、顔も良い」

「向こうの商人に言い値で売れるな」

「それに、船が出るまでは俺達で楽しめる」


 男たちが笑う。全身が総毛立った。確実に、売られる。何が何でも逃げなければ。


「うっー! むっんん!」

「おい! 暴れるな!」


 必死に顔を動かして、両腕にも力を込める。脚もでたらめに蹴り動かした。すると雨で手が滑ったのか、男の手が私の腕から離れた。

 やった、と思ったけれど、口を塞いでいる男に腕を取られた上、私の腕を離した男が苛立った様子で舌打ちした。


「ちっ……めんどくせぇなあっ!」

「っ!!」


 男の手が振り上げられる。殴られる。咄嗟に目を瞑ったけれど、すぐに絶叫が聞こえて、目を開けた。


「ぎゃああああ!」

「な、」


 男の手が、無くなっていた。

 正確には、私に向かって振り上げられていた手が、スパッと切り落とされていた。

 男の腕から鮮血が飛び散り、地面に転がっている手に雨ととも降り注ぐ。


 私を捕まえている男も、私も、何が起きたのか全く分からず呆然とする。ただ手が無くなった男だけが叫び続けている。

 と、路地の奥からコツコツと足音がして、やがてその姿が現れた。


「早くその手を拾った方が良い。魔法でもくっつかなくなってしまうよ?」


 歌うように軽やかな声。深くフードを被った真っ白な出で立ちの美女。


「ヴィラ……」


 驚きと恐怖がないまぜになっているのか、声が震えた。ヴィラは私を見てにこりと微笑む。


「ああ、空。少し待っていて。こいつらを斬り刻むから」

「てめぇら知り合いっ…………は?」


 私を拘束していた男がヴィラを怒鳴りつけようとして、呆けた声を出した。いつの間にか私の拘束が解かれている。

 男の腕が、地面に落ちていた。

 耳をつんざぐような男の悲鳴に、私は転がるようにして離れた。血がどばどばと流れて雨とともに混ざる。その光景に、吐き気がした。


「その汚い手で彼女に触れないでもらおうか」


 ヴィラはにこりと、挨拶をするように男に言う。


 ヴィラは男達と一定の距離を保っていて、尚且つ剣のような武器どころか、両手には何も持っていない。

 どうやって攻撃しているのか、そんなもの、この世界であれば魔法以外にない。


 ヴィラの手元で風が渦巻いているように見える。恐らく、風の魔法だ。それが鎌鼬かまいたちのように男達を襲っているのだろう。


 男達はもう絶叫することも出来ないようで、唸りながら地面に這いつくばっている。

 そんな彼等に向かって、ヴィラがとどめとばかりに手を動かそうとした。

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