第九十九話 巻き込みたくない、理由はそれだけで



「や、辞めるって、どうして……?」


 真っ先に反応を示したのは、蛍だった。長い前髪の下で、丸い瞳は戸惑いに揺れている。

 一拍遅れて、瑞樹も慌てた声色でその訳を尋ねる。


「そうだよ、何故突然? 何か辞めなければならない事情でもあるのかい?」

「それは……」


 葵が開口したのと同じタイミングで、「ふあぁ」と空気を震わせる、気の抜けた音が漏れ聞こえてきた。

 音の発信源は、話の内容がさっぱり分からずに暇を持て余していた不知火だった。不思議そうに首を傾げながら、空気を読まずに大欠伸を漏らしている。


「ま、何だかよく分かんねーけど、オレはもう帰るからな。朔夜、シロ太のこと、頼んだぞ」

「あ、うん! またね」


 後ろ手にひらりと手を振った不知火は、そのまま行ってしまった。小妖怪たちも、チラチラと心配そうに朔夜たちの方を振り返りながら、不知火の後を追いかけて行く。

 そして残されたのは、妖怪研究同好会のメンバー六人と、シロ太だけになった。


「辞めることは、前から考えていたのよ」


 誰も言葉を発せぬまま不知火たちを見送っていれば、葵がポツリと、静かな声音で話し始める。


「その理由を、聞いてもいい?」

「……妖怪について調べるのは自由だと思うわ。でも、貴方たちのような普通の人間が……まぁ、魁くんは除くにしても、妖怪と関わり合うのは危険なのよ。だから……」


 真っ直ぐなまなざしで今一度理由を問う朔夜に、葵がつらつらと言葉を並べ立てていけば、そこに瑞樹が待ったをかける。


「ねぇ、東雲さん。それってもしかして……僕のせい、じゃないのかい? 僕が東雲さんを危険な目に遭わせてしまったから、嫌になって、それで……でも、東雲さんが辞める必要はないよ。だったら僕が、同好会を辞める」

「そ、そんな、瑞樹くんまで……!」


 この前の学校での騒動に巻き込んでしまったせいだと考えたらしい瑞樹は、葵が辞めるなら自分が辞めると、意志のこもった声できっぱりと宣言する。


 蛍が一人狼狽える中、朔夜も真白も、やけに落ち着いた様子で葵たちの話を聞いている。シロ太は、何か大事な話をしているのだと理解しているらしく、大人しくジッとお座りをしたままだ。


「……違うわ。逆よ」

「逆って、どういうこと?」


 葵の否定的な言葉に、朔夜はその先を促す。


「皆を巻き込んだのは、私の方なの。私が陰陽師の血筋だって話はしていたと思うけど、その血筋のこともあって、私は生まれた時から、妖怪が寄ってくる体質なのよ」

「「妖怪が寄ってくる体質……?」」


 その事実を知らなかった蛍と瑞樹は、揃って首を傾げる。


「えぇ、そうよ。西園寺くんを唆したあの妖怪も、元を辿れば、私を狙って西園寺くんに近づいたんだと思うわ。だから、巻き込んだのは私の方。全部私のせいなのよ。……ごめんなさい」


 頭を下げる葵に、瑞樹は慌てて頭を上げるように促す。ゆっくりと顔を持ち上げた葵は、そのままこの場に背を向けて立ち去ろうとする。どうやら、これ以上話をするつもりはないらしい。


「東雲さん」


 朔夜が名を呼べば、その足はピタリと止まる。けれど、それでも……葵が振り向くことはなかった。胸に燻ぶる迷いを断ち切るように、直ぐに一歩二歩と足を踏みだし――この場を後にしたのだった。



 ***


「葵、本当に良かったの?」

「……何がだよ」


 帰り道。数歩先を歩く葵に問いかける時雨は、葵が同好会を辞めようと考えているのだろうと、数日前から察していた。伊達に長年一緒に過ごしてはいないのだ。

 だからこそ、葵が本心では同好会を辞めたくないのだと――朔夜たちと共に過ごす時間を心地良く思っていることにも、当然気づいていた。


「此処に越してきたばかりの頃は、利用できるものは何でも利用してやるとか言ってなかったっけ?」

「……」

「このまま同好会にいれば、妖怪に遭遇できる機会だって増えると思うけど……本当にいいの?」

「別に……同好会に入ってなくても、悪しき妖怪を滅するっつー目的を果たすことはできるだろ」

「まぁね。つまり葵は、利用価値を見出していた皆に、情が湧いちゃったってことでしょ? だから、皆を巻き込まないために…「ちげぇよ。あんなの、ただの辞めるための口実だ。別に……アイツらがどうなろうが、知ったこっちゃねーよ」

「ふーん」


 自分の気持ちを誤魔化すように、本心を悟られないように、葵は矢継ぎ早に言葉を吐き出した。

 けれど、勿論時雨は、そんな葵の言葉が偽りのものだということには、直ぐに気づいた。


 ――口では正反対な言葉ばかり並べ立てていても、葵という人間は、結局は優しいのだ。優しくて、非道にはなれなくて、だから、他者を見捨てることなどできやしない。

 それならいっそ、離れてしまった方が楽だと。守るべき存在など、側に置かなければいいと……そうやって、他者との間に一線を引いてしまう。独りでいる選択をしてしまう。そういう、不器用にしか生きられない人間なのだ。


「別に、お前は同好会に残ったっていいんだぞ」


 葵は、時雨から目を逸らしたまま、フンと吐き捨てるように言う。

 その言葉を耳にした時雨は、パチリと目を瞬かせたかと思えば、仕方ないなぁとでも言いたげな、優しい笑みを浮かべた。足を一歩二歩と踏み出して、葵の隣に並び立つ。


「何言ってるのさ。ボクは葵の護衛なんだよ? 葵の側にいるに決まってるでしょ。それに、ボクが側にいなかったら……葵が悪い妖怪に攫われちゃうかもしれないからね。そしたら、ボクの首も飛んじゃうよ」

「……別に、守ってもらわなきゃならねーほど柔じゃねーよ」

「はいはい」


 温かな茜色の光が滲む中、舗道に二つの影が長く伸びている。

 時雨は、我が子をなだめる時の母親のような、何もかもを見透かすような優しくてまろいまなざしで、葵の横顔を見つめていた。


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