第九十八話 もふもふは正義



「い、犬?」

「にしては、大き過ぎないかい?」


 恐々とした声で言う蛍に、続けた瑞樹が最もな突っ込みを入れる。

 朔夜たちの前に姿を現したのは、真っ白な毛並みをした、犬のような見目をした生物だった。

 蛍の言うように、外見は犬のように見えるのだが、その体躯は通常の柴犬などの四倍以上はありそうなほどに大きい。よく見れば額には、花のような形をした不思議な紋様が描かれている。


「あ、オマエ……!」


 不知火が焦った声を漏らす。


「もしかして、不知火がこの河原に足を運んでいたわけって……」


 不知火の様子を見て合点がいった朔夜が訳を聞こうとするが、不知火は気まずそうに視線を逸らしてしまう。


「ど、どういうことでしょう?」

「主君は、何故此処に足を運んでいたのですか?」


 未だにその訳を理解できていないらしい小妖怪たちは、つぶらな瞳で朔夜と不知火を見上げている。


「つまり君たちの主様は、この妖怪を放っておけなくて、河原までコソコソ足を運んでは、甲斐甲斐しく世話を焼いてたってことじゃないのかな?」

「はぁ!? 別にオレは、コソコソなんてしてねーよ!」


 時雨の言葉に、不知火はすかさず反論しているが――この反応を見るに、強ちそれも間違ってはいないのだろう。


「でも、こんなに大きいのに……どうして今までバレずにいたんだろう?」


 ここまで大きな妖怪が河原にいるとなれば、直ぐに見つかりそうなものだし、ちょっとした騒ぎにもなっているだろう。蛍たちの目にも見えているということは、人の目には見えない類の妖怪というわけでもなさそうだ。


「コイツは気配を絶つのが上手いらしいぜ」


 否定することを諦めたらしい不知火が、身を屈めて懐から何かを取り出した。すると犬のような妖怪は、尻尾をブンブン揺らしながら不知火のもとへと歩み寄り、その手元に顔を埋めている。どうやら不知火は、この妖怪のためにと餌を持ってきていたらしい。


「不知火は、ずっとこの子のお世話をしてたんだよね。……やっぱり不知火は、優しいね」

「別に、放っといて野垂れ死んでても、寝覚めが悪ぃからな。散歩のついでだよ、ついで」


 朔夜のストレートな誉め言葉に、不知火はぶっきらぼうに言葉を返す。

 けれど、口ではそんなことを言っていても、不知火がこの犬の身を案じて足繫く通っていたことは――不知火に懐いている妖怪を見れば、誰の目から見ても一目瞭然だった。


「さすが主君です……! 強いだけでなく、お優しい!」

「我ら、何処までも主君に付いて行きます……!」


 不知火の優しさに胸を打たれたらしい小妖怪たちは、瞳をウルウルさせながら、不知火の周りでぴょんぴょん嬉しそうに飛び跳ねている。


「ですが主君、それでしたらわざわざ此処まで足を運ばなくても、この者を神社まで連れ帰ればいいのではないですか?」


 小妖怪からの指摘に、眉間に皺を寄せた不知火は再び気まずそうな顔をする、


「ジイさんの所には、一応は世話になってる身だからな。これ以上食い扶持を増やすのも……何か、あれだろーが。それに、オレにはオマエらもいるしな。オマエらの面倒見るので手一杯なんだよ」

「「しゅ、主君~……‼」」


 小妖怪たちを見下ろした不知火は、仕方ねぇな、とでも言いたげに鼻を鳴らしながら、ニヤリとほくそ笑んでいる。そんな不知火の言葉に、感極まった小妖怪たちは大号泣だ。


「誤解も無事に解けたみたいだし、良かったね」

「……おい、もう終わったんだろ。サッサと帰ろうぜ」


 のほほんと笑っている朔夜のもとに、これまで傍観を決め込んでいた真白が歩み寄る。そして、これで用は済んだだろうと言わんばかりに、朔夜の腕を引いて帰宅を促そうとする。


「え、待ってよ真白。まだこの子をどうするか決まって……あ、そうだ」


 不知火から貰った餌を食べ終えた妖怪は、ふさふさの尻尾をフリフリと揺らしながら、大人しくお座りをして朔夜たちを見上げている。腰を曲げて妖怪と目線を合わせた朔夜は、ニコリと微笑んだ。


「おい、朔夜。お前まさか、またろくでもないこと考えてるんじゃ…「この子、僕の家で面倒を見るっていうのはどうかな?」


 真白の発した声は、朔夜の提案によって綺麗に遮られてしまった。予想通りの展開になってしまったと、真白は眉根を寄せて不満げな顔をする。


「やっぱりこうなんのか……おい、朔夜」


 真白が咎めるような声音で名を呼ぶが、朔夜は何てことはないといった顔をして、朗らかな笑みを返すだけだ。


「朔夜に任せられんなら、オレも安心だぜ。な、シロ太」

「ワン!」


 不知火は朔夜の提案に特に異論もないようで、自身の腰元にある妖怪の頭をガシガシと撫でている。


「シロ太って……まさかそれ、ソイツの名前か?」

「あ? そうに決まってんだろ。白いからシロ太。分かりやすいだろーが」


 真白が尋ねれば、不知火は当然だろと言いたげに大きく頷いた。

 静観していた葵が、小さな声で「クソダセェ」と悪態を吐いていたが、その言葉は不知火の耳には入らなかったようで、依然としてご機嫌な様子でシロ太の頭を撫で続けている。


「ね、真白。いいでしょ?」


 朔夜は、隣で黙り込んだままの真白に伺いを立てるようなまなざしを向ける。


 真白は依然として納得のいっていない表情をしていたが、朔夜から目を逸らして視線を下げれば、くりくりとした愛らしい瞳にジッと見上げられていることに気づいて――ウッと声を詰まらせた。


「……。……はぁ、分かったよ」


 ――勝者、シロ太。


 朔夜以外の者には冷血漢だ鬼だ(真白は正真正銘本物の鬼ではあるけれど)などと組の者からブーイングを受けることも多い真白でも、妖怪わんこの愛くるしさには、勝てなかったらしい。

 帰れば茨木童子からのお小言が待っていることは確実だろうが、何だかんだ言って、結局のところは茨木童子も朔夜に甘いのだ。最終的には絆されて、家で面倒を見ることになるのだろうと、早々に察した真白だった。


「本当に!? よかった~!」

「さ、朔夜くん、よかったね!」

「これから朔夜くんの家に遊びに行けば、いつでもシロ太に会えるということだね」

「うん! 皆も、勿論不知火も、いつでも遊びにきてね」

「おぅ! 任せとけ!」


 真白が諦めたのを皮きりに、蛍や瑞樹が嬉々とした声を上げる。これまで面倒を見ていた不知火は勿論、シロ太本人も嬉しそうに尻尾を振っている。もしかしたら、朔夜たちの言葉を理解しているのかもしれない。


 和気あいあいとした雰囲気が流れる中、嬉しそうに笑い合う朔夜たちを静かに見つめていた葵が、突然、ひどく真剣な面持ちで開口した。


「皆に伝えたいことがあるの。私ね……今日で同好会を、辞めようと思ってるの」

「……え?」


 葵からの予期せぬ一声に、辺りは一瞬で静まり返る。和やかな空気は、一瞬で崩れ去ってしまった。


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