第九十六話 河原で○○?



「あ、あれって不知火じゃない?」


 和葛氷菓子に舌鼓を打った朔夜たち一行は、不知火のもとへと向かうべく、陽光が照り付ける舗道を歩いていた。

 朔夜が指さす方には、確かに、不知火らしき真っ赤な髪をした妖怪が見えた。こちらに背中を向けている不知火は、朔夜たちに気づくことなく、何処かに向かって歩いていく。


「主君、何処へ向かわれているのでしょうか?」

「もしかして、我らを置いて、そのまま何処かへ……」


 不安そうな声を漏らす小妖怪たちに、朔夜は明るい声でその可能性を否定する。


「大丈夫だよ! 不知火は、君たちを置いて一人で遠くへ行っちゃうようなことは、絶対にしないよ」

「そう、でしょうか……?」

「うん、絶対にそうだよ。とりあえず、このまま後を追ってみよう」


 不知火が一人で何処か遠くへ行ってしまうことはない、なんて。そんな根拠、どこにもないはずなのに――朔夜に“大丈夫”だと言ってもらえると、不思議と本当にそう思えるのだから、不思議だ。


 小妖怪たちの表情に、少しだけ明るさが戻ってきた。朔夜はそれを目にして安心したように笑いながら、蛍や瑞樹に「あそこに居るのが不知火って言って、この子たちの主君にあたる妖怪なんだ」と簡単に説明をする。


 そのまま皆で距離を取ったまま後を付いて行けば、不知火は河川敷の方に下りていった。


「主君、あんな所で何をしているのでしょうか?」

「うーん……とりあえず、行ってみようよ」


 小妖怪たちに笑いかけた朔夜は、先頭に立って河川敷を下りていく。

 一人で河川敷に降り立った不知火は、何かを捜している様子で、きょろきょろと視線を彷徨わせていた。


「不知火」

「っ、……何だ、朔夜かよ。驚かせんなよな」


 朔夜が声を掛ければ、ビクリと身体を揺らした不知火は、勢いよく振り返った。

 朔夜の姿を視界に入れると、少しだけ慌てた様子を見せながらも、ホッと安堵した様子で肩を落としている。


「一人でこんな所でコソコソと……何か可笑しなことでも企んでいたんじゃないわよね?」


 朔夜の後からやってきた葵が声を掛ければ、不知火の眉間にグッと深い皺が寄せられる。


「あぁ? 別に、何も企んじゃいねーよ。つーか……何だよその喋り方。まるで女みてーな……」


 不知火の言葉は、そこで途切れた。何故なら、葵に勢いよく口許を塞がれたからだ。葵の掌は、バチーンッ‼ と、それは良い音を立てて辺りに響いた。


「いっ、……てーな! 何すんだテメェ!」

「あら、ごめんなさい。虫が止まっていたから、つい」


 葵はニコリと上品に微笑む。

 対する不知火の口許はヒクヒクと引き攣り、今にも声を荒げて暴れ出しそうな雰囲気だ。


「オマエ、このオレと殺る気か? あぁ?」

「あら、謝ってるじゃない。それなのに何で一人でキレてるのかしら? もしかして……暑さで頭もやられちゃったの?」

「よーし、分かった。望み通り、今すぐ相手になってやるよ。後で泣いても許してやらねーからな」


 頭の中を占めている考え事や暑さのせいもあって気が立っていた葵は、いつにも増して饒舌で、不知火をおちょくるようなことを口にする。売られた喧嘩は即購入タイプの不知火の堪忍袋の緒も、ここでとうとう切れてしまったようだ。


「さ、朔夜くん、あの妖怪、朔夜くんの知り合いなんだよね!? 早く止めないと、東雲さんが危ないよ……!」

「そうだね。女性に乱暴するだなんて、いくら妖怪とはいえ、男として最低だよ」


 二人のやりとりを見て、慌てふためいている蛍と、静かに憤っているらしい瑞樹の言葉に、朔夜は「うーん……」と考え込むようなそぶりを見せる。そして、何か名案を閃いたような顔つきで、弾んだ声を上げた。


「あ! 僕、良いことを思いついたよ!」



 ***


「……で、何でこんなことになってんだよ」


 ポツリと小さな声で呟いたのは、葵だ。その表情は、朔夜に被らされたキャップの下に隠れて周りには見えていないが、呆れと苛立ちが前面に押し出されている。


「時雨くん、頑張れー!」

「任せといてよ」


 朔夜の声援を受けて木製のバットを構えている時雨は、軽い調子で返しながら、今まさに白球を放り投げようとしている不知火を楽しげに見据えている。


 ――っていうか、何でアイツはノリノリなんだよ。


 葵は心の中で突っ込んだ。顔を上げたその相貌には笑みを湛え、決して胸中を渦まく悪態を晒すだなんてへまは見せないが。


 朔夜が提案した“良いこと”とは、皆で野球をしようという、突拍子のないものだった。


 ここ最近テレビで甲子園を見て、野球をやってみたいと思っていたらしい。

 何故このクソ暑い中で野球をしなければならないのだと葵は文句を言おうとしたが、それよりも早くに、賛成の声が上がってしまった。


「へぇ、野球かい。僕はキャッチボールくらいしかしたことがないのだけど……それでも大丈夫かな?」

「ぼ、ぼくも、運動神経はよくないんだけど……それでも良ければ……! な、殴り合いの喧嘩になるより、ずっといいと思うし……!」

「……え?」


 瑞樹と蛍の返しに、葵は思わず疑問の声を漏らした。――何故即決で乗り気になっているのか、と。


「野球って、球を投げて、それを吹っ飛ばすスポーツでしょ? 面白そうだよね」


 そして、まさかの時雨まで賛同の声を上げたものだから、葵はますます反対だと言いづらくなってしまった。


「ねぇ、不知火もどうかな?」

「あぁ? 何だかよく分かんねーけど……いいぜ。そのやきゅうってやつで、決着を付けようじゃねーか」

「「……はぁ」」


 ニッと勝気な笑みで言い放った不知火の言葉に、葵が小さく溜息を吐き出せば、斜め後ろから同じ類の吐息が吐き出されたのを感じた。

 葵がチラリと視線を向ければ、同じくこちらに視線を寄越していた真白と目が合って――互いの胸中を察し合った二人は、また小さく溜息を漏らしていたのだった。


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