第七十四話 重なる面影



「うっ……此処は……?」


 気を失っていた蛍が目を覚ませば、そこは暗闇の中だった。


 しかし真っ暗闇にいるはずなのに、何故か自分の手足をはっきりと目視することができる。蛍は不可解な現象に首を傾げながらも、辺りを見渡してみた。けれどやはり、此処に蛍以外の人の気配は感じられない。


 闇に包まれた空間に一人ぼっちであることに気づいた蛍は、恐怖と不安で竦みそうになる足を何とか奮い立たせて立ち上がる。


「あ、あの……っ、誰か、いませんか……?」


 恐る恐る声を上げてみるが、当然返事など返ってくるわけもなくて。


「はぁ、此処はどこなんだろ……これからどうしよう……。それに、朔夜くんたちは無事なのか…「私は、此処にいるよぉ」


 耳元で囁かれた女の声に、蛍は大げさなほどに身体をびくつかせる。


「っ、……!」

「へぇ、アンタの髪も綺麗じゃないか。その髪、私にくれないかい?」


 その姿を視界に捉えた蛍は、まず、頭の中でろくろ首を思い浮かべた。

 着物姿の女の首は長く伸びていて、その顔は蛍の真後ろにあるというのに、身体は数メートル後方に座しているのが見える。口許からは真っ赤な舌がチロリと覗いていて、蛍を見ながら愉しそうに目を細めている。


「ひぇっ……か、かか、髪……?」

「あぁ、そうさ。私は美しい髪が好きなんだ。ほら、見ておくれ。これは私の一番のお気に入りなんだよ」


 女の妖怪は、伸びた首を身体の方に戻したかと思うと、身体ごとこちらに近づいてきた。蛍は腰が抜けてしまい動けない。恐怖で震えながら見上げれば、目の前に立つ妖怪が大切そうに抱えている壺から取り出したのは、長くて艶やかな黒い髪だった。


「ほぅら、美しいだろう? 可笑しな交渉を持ち掛けられた時は何のことかと思ったが……これは上等なもんだ。しかもこんなに良い隠れ場所まで用意してくれたんだから……感謝しないとねぇ」


 妖怪はその髪を恍惚とした目で見つめながら頬ずりしている。その不気味な画に、蛍はプルプルと恐怖で身体を震えさせながらも、何とか声を絞り出した。


「ぁ、あの……ぼ、僕の髪をあげたら……此処から出してくれるんですか……?」

「んー? そうだねぇ……」


 妖怪はニタリと笑いながら、長い首を伸ばして蛍の顔前すれすれまで近づいてくる。


「私は髪集めが趣味だが、若い男の身体も好きでねぇ。アンタ、よく見たら可愛い顔をしているみたいだし……このまま此処に閉じ込めとくのも良いねぇ」

「ひっ……そ、それは困ります……」


 蛍は身体を後ろに倒して、妖怪から少しでも距離をとろうとする。

 必死に逃げようとする蛍の姿を愉しそうに見ていた妖怪は、今思い出したかのように言葉を付け足した。


「あぁ、それから……私はねぇ、捜している童がいるんだよ。長い黒髪を持った、綺麗な顔をした子のこと……アンタ、何か知らないかい?」

「わ、わっぱ……?」

「此処に居るはずだと、話には聞いているんだがねぇ」


 長い黒髪を持った子など、この学校にはたくさんいる。綺麗な顔というワードに、蛍の脳裏に葵の顔が浮かび上がったが……もし葵を捜しているのだとしても、葵のことを正直に妖怪に伝えるつもりもない。そもそも、それが葵であるという確証など一つもないのだ。


「まぁいいさ。まずはアンタの髪を剥ぎ取ってから……「おい、邪魔だ」


 妖怪が蛍に手を伸ばした、その時。

 ――暗闇の中で、鈍いきらめきが、蛍の前を過ぎった。


「な、何だいアンタ! どうやってこの空間に……」


 咄嗟に目を瞑っていた蛍は、そろりと瞼を持ち上げる。


「コイツは返してもらう」


 ――頭上から、聞き慣れない声が聞こえる。たっぷりと艶気を孕んだ低い声だ。


 気づけば蛍は、見知らぬ誰かの腕の中に抱かれていた。

 見上げれば、金色の隻眼がチラリと蛍を見下ろしている。暗闇の中で一等眩しく、美しく見えるその鬼の姿に、蛍は呆けた顔で瞳を瞬かせた。


「それにコイツも……返してもらうぞ」


 鬼へと変化した姿で蛍を片手に担いでいるのは――朔夜だ。

 そしてもう片方の手には、つい先ほどまで女の妖怪が抱えていた骨壺を持っている。


「っ、アンタ、いつの間に……! それは私のモンだよ! 返しなっ!」

「……何言ってんだ。これはテメェのもんじゃねーだろ」

「アンタ、何でそれを……。だがそれは私が譲り受けたものだ。だから私もモンに違いはないね!」

「譲り受けた? ……盗んだの間違いじゃねーのか」

「なっ、何言ってんだ! 私は盗んでなんかいないよ! それは交換条件で貰い受けたのさっ」

「……交換条件?」


 朔夜はこの女妖怪が骨壺を盗んだ犯人だと思っていたが……妖怪の口振りから考えると、それも怪しくなってきた。そもそも狸吉が目にしたという犯人は、朔夜と同じ背格好の男のはずだ。この妖怪の見目とはどう考えても一致しない。


「ふん、まぁいいさ。どうせこの鏡の世界からは逃げられないからね。アンタも綺麗な髪をしているし、その坊やと一緒に私が貰ってやるよ。その綺麗な黒髪諸共、アンタは此処で私と過ごすんだ」


 朔夜は右肩に蛍を担ぎ、左手に壺を持ったまま、不敵に笑って見せる。


「おい、持ってろ」


 朔夜は、いつの間にかこちらの世界に入ってきていた真白に、蛍を軽く投げて渡した。

 宙に投げ出された蛍は「ぅわっ」と驚きの声を漏らしたが、真白にキャッチしてもらえてホッと安堵の息を吐き出す。


「誰かに指図される謂われはねぇ。オレのもんをどうするかは、オレが決める」


 首を長く伸ばした女妖怪をジッと見据えたままニッと口角を持ち上げた朔夜は、腰に差してある刀を抜いて駆け出した。その素早い動きに女の妖怪が動揺している間――決着がついたのは、ほんの一瞬のことだった。


「し、死んじゃったんですか……?」

「……峰打ちだ。死んじゃいねーよ」


 倒れ込んだ妖怪を見て恐々した声で尋ねてくる蛍に、朔夜は落ち着いた声音で返す。


 朔夜が刀を一振りすれば闇夜が晴れて、そこは三階のトイレ近くにある廊下へと変わった。刀を腰に差してこの場に背を向ける朔夜を、蛍は呼びとめる。


「あの! あ、貴方は、あの時、僕を助けてくれた方ですか…!?」


 真白から地面に降ろしてもらった蛍は、珍しく声を大にして尋ねた。


 立ち止まった朔夜は、チラリとその切れ長の目を蛍に向けるが――何も答えることなく視線を逸らして、この場を立ち去ってしまった。


「い、行っちゃった……あっ、ま、真白くんは、今の人のこと知ってるの!?」

「……いや、知らねー」


 真白は多少心苦しく思いながらも嘘を吐く。此処で朔夜の正体をばらすわけにはいかないからだ。


「そっか……」


 蛍は朔夜が去っていた方向をぼうっと見つめながら、自身がまだ小学生だった頃のことを思い出していた。

 あの時助けてくれた妖怪の姿と、先ほど助けてくれた妖怪の姿が重なって見えて――やはり同一人物なのではないかと考え、ずっと会いたいと思っていた妖怪との思わぬ再会に、その胸をじんわり熱くときめかせていた。


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