第七十一話 怪奇現象



「おぉ、ちゃんと活動してるみたいだな!」


 放課後、第二社会科準備室にて。

 “妖怪研究同好会”の活動で、蛍の個人サイトに寄せられている妖怪の目撃情報を見ていた一同のもとに、珍しく来客者が訪れた。


「あ、鈴木先生」


 蛍がポツリとその名を呟く。


 社会科担当の教師である鈴木道雄、二十九歳。彼は、この準備室の使用許可を出してくれた張本人である。

 某バスケットボール漫画が愛読書らしく、「諦めたらそこで試合終了だ!」は彼の口癖のようなものでもあった。少し熱血な部分もあるが、明るくノリもいいため、大多数の生徒たちからも慕われている。


「今日はお前たちに、頼みたいことがあるんだよ」

「頼みたいこと、ですか?」


 鈴木は端に立てかけてあったパイプ椅子を開いてそこに腰掛けると、神妙そうな顔を作って話し始める。


「最近この学校で噂になってる怪奇現象のことは……知ってるか?」

「あ、し、知ってます!」


 蛍がコクコクと首を縦に振る。


「噂? 僕は聞いたことないけど……真白は知ってた?」

「……知らね」

「ボクも初めて聞いたな。葵は知ってた?」

「私も初めて聞いたわ」

「僕も聞いたことがないよ。怪奇現象とは何だい?」


 蛍以外のメンバーは誰一人として怪奇現象のことを知らなかったため、鈴木はがっくりと大げさに肩を落とした。


「そうか、知らなかったのか……よし、それなら! 俺が詳しいことを話してやろう!」


 それは蛍が知っているのだし、蛍から聞いた方が早そうだと思った葵だったが……口を挟むと余計に面倒そうだと察して、開きかけた口をそっと閉じた。


「実はな、この校舎で不思議なことが起きていると、教師陣の間でも噂になっているんだ」


 鈴木の話を纏めると、ここ最近夜の時間帯になると、この校舎で様々な怪奇現象が起こっているらしい。

 校舎の見回りをしている教師が、後ろから足音を感じて振り返ってもそこには誰もいなかったり、お手洗いを済ませてトイレから出た後、自分以外には誰もいなかったはずのトイレから水を流す音が聞こえてきたり……エトセトラ。


「そ、それは何とも、不気味ですね……」

「だろう?」


 口許を引き攣らせている瑞樹に、鈴木は腕を組みながらウンウンと大きく頷く。


「鈴木先生も、何か不思議な現象を目の当たりにしたんですか?」


 朔夜が尋ねれば、鈴木は首を横に振った。


「いや、俺は今のところ何も見てはいない。だが昨晩、佐藤先生も怖い思いをしたらしくてな。誰かの悪戯なら許せん話だが……本当に霊的なものだったら、対処方法がよく分からないだろう? そこで、そういうことに詳しそうなお前たちなら何か知っているかと思って、話を聞きにきたんだよ」


 鈴木が言う佐藤先生とは、現国を担当している女性教師だ。鈴木が佐藤に気があるのではないかと言う噂は、生徒たちの間では有名な話だ。


「だが、お前たちも何も知らないようだしな……また何か分かったら、話を聞かせてくれ」

「は、はい。分かりました……!」


 蛍の返事にニッと白い歯を見せて笑った鈴木は、その頭をぽんぽんと軽く撫でて、資料室を後にしたのだった。



 ***


 同好会の活動を終えた朔夜と真白は、二人並んで帰路に就いていた。

 七月も半ばを過ぎていることもあって、辺りを漂う空気はじんわりした熱を纏っており、吹き抜ける風も生温く感じる。


 暑さに弱い真白は、首元のワイシャツをパタパタと煽りながら、不快そうに眉を顰めている。

 一方朔夜は、茜色に染まった夕焼け空を見上げながら、先程鈴木に聞いた怪奇現象について考えていた。


「さっき言ってた怪奇現象って、やっぱり妖怪の仕業なのかな」

「……さぁな」

「でも、あと二週間もしないうちに夏休みに入っちゃうし……それまでに解決できたらいいよね」

「別に、誰かに害を為すような事件が起きてるわけでもないんだし……放っといても問題ないねーだろ」


 誰かが怪我をしたり、それこそ死者が出たともなれば話は別かもしれないが、聞いた話のどれもが大したことのない、小さな悪戯レベルの現象だった。

 真白は怪奇現象について、そう深刻に捉えてはいなかったが、朔夜はそうではなかった。


「でも、夜の校舎で後ろから気配を感じるとか……それで怖い思いをしている先生もいるだろうしさ」


 朔夜が悩まし気な表情をしていることに気づいた真白は、自分が何を言ったところで、どの道この怪奇現象を解決することになるのだろうと、そう遠くない未来を悟ってしまう。


 そこに、朔夜のものでも真白のものでもない、第三者の声が響いた。


「貴方様が朔夜様ですね!」


 声は、朔夜たちの足元から聞こえてくる。

 朔夜と真白が同時に視線を下ろせば、朔夜の膝丈くらいの背丈をした小さな妖怪が立っていた。


 パッと見は人間の男児のようにも見えるが、頭には茶色の耳が、臀部からは尻尾が生えており、その顔も狸を思わせる相貌をしている。人間に化け切れていない狸、といった感じだ。


「えっ、と、うん。僕が朔夜だけど……」


 初めて見る顔に朔夜が首を傾げる一方、妖怪はその顔をパッと明るくして、朔夜に詰め寄ってくる。


「噂を聞きつけて参りました! どうか私めの話を聞いていただき、その手腕で、事件を解決していただけないでしょうか!」

「噂? ……事件?」


 小妖怪の謎の発言に、朔夜はますます首をひねる。


 小妖怪と朔夜、二人の顔を順に見遣った真白は、また面倒事に巻き込まれそうな気配を察知してしまい――グッと眉根を寄せながら、痛そうにこめかみの辺りを抑えていた。


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