第六十九話 《閑話》 行方知れずの彼の者は、
時刻は深夜の三時をとうに過ぎている。
朔夜に空き部屋まで案内してもらった時雨は、それから十分も経たぬうちに一人で部屋から抜け出し、長い廊下を歩いていた。
その足は目的地があるかのように止まることなく、何処かに向かって真っ直ぐに進んでいく。そしてその足が止まったのは、一つの部屋の前だった。
部屋の前には、一人の男が座っている。まるで時雨がやってくることを予期していたかのように。
「よぅ、坊主」
煙管を吹かしながらチラリと時雨に視線を投げたのは、この家の現頭首である酒呑童子だ。
「お久しぶりです、酒呑童子さん。今晩は泊めていただき、ありがとうございます」
「別に俺は何もしてねーよ。礼なら朔夜に言いな」
ふぅ、と白い煙を吐き出した呑童子は、視線で、隣に座るよう促した。
時雨は小さく頭を下げてから、少し距離を開けて、酒吞童子の隣に腰を下ろす。
「この前坊主と会った時、何処かで見た顔だと思ってたが……お前、あの時の妖だったんだな」
「はい。あの時は、ありがとうございました」
「……否。あの時も、俺は何もしてねーよ」
頭を下げる時雨を見下ろしながら、酒吞童子は、過去に時雨と出会った時のことを思い出した。
妖怪は人間よりもずっと長寿であるため、その見た目は何ら変わっていないが――纏う雰囲気がずいぶん柔らかくなったと、酒呑童子はそう感じた。
「坊主は、アイツが今何処で何やってんのか……知ってんのか」
「……いいえ、分かりません」
「……そうか」
酒呑童子が話題に出した“アイツ”が誰なのか、直ぐに察した時雨だったが、その質問には首を横に振って返した。
酒呑童子が言うその青年は、ある日突然、時雨たちの前から姿を消してしまい、それ以来消息不明となっているからだ。
「ったく、あの馬鹿は……何処まで探しに行っちまったのかねぇ」
酒吞童子は誰に言うでもなく呟きながら、緩く首を持ち上げて空を仰いだ。
気づけば、先程までは雲に覆われていた月が顔を出している。夜空にぽっかりと浮かんでいるのは、まぁるい形をした満月だった。
酒吞童子は、こうして満月を見る度に思い出す。
今も尚、鮮明に思い出すことのできる一人の青年の笑顔を瞼の裏に描きながら――その安否を憂い、無事を願った。
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