第六十七話 家出の少年



 花散里から帰宅した朔夜は、明日店で出す和菓子の仕込みをするために、長い石段を下りて店の方に向かっていた。今日は組の半数近くの妖怪が出払っていた為、店は休業にしていたのだ。


 時刻はすでに日を跨いでいる。真夜中だ。当然ながら、店前の通りに人の姿は見られない。だというのに、小料理屋の前に誰かが座りこんでいる。


「あれ、時雨くん?」


 近づいてみれば、そこに居たのは時雨だった。

 朔夜の声に顔を持ち上げた時雨は、ニコリと笑って立ち上がる。


「こんな時間にこんな所に座りこんで、どうしたの? 何かあった?」

「実はね……ボク、家出してきたんだ。だから朔夜くん、今晩泊めてくれないかな?」

「……えーっと、それってどういう…「却下」


 時雨の急なお願いに、朔夜は困惑する。

 家出の理由を尋ねようとしたが、しかし即座にそれを突っぱねたのは、真白だった。いつの間にか朔夜の後を付けてきていたらしい。


「……ボク、真白くんには聞いてないんだけどなぁ」

「うるせぇ。お前なんかをウチに泊めさせられるわけねーだろ」

「へぇ、真白くんってば、行く当てのない友人を見捨てる気なんだ? 薄情だなぁ」

「別に、お前にどう思われようが関係ねーよ。勝手に野垂れ死んでろ」

「ねぇ朔夜くん、今の言葉聞いた? 真白くんってば酷いよね? むしろ真白くんを追い出した方がいいんじゃないかな?」

「……おい。その口二度と開けないように、縫い付けてやろうか?」

「……何、ボクと殺る気?」

「あぁ、いいぜ。殺ってやるよ」


 いつもは温厚な時雨だが、どうやら今はかなり虫の居所が悪いようだ。

 バチバチと睨み合う二人を見ながら、朔夜は瞳をぱちりと瞬いて――スマホを取り出す。


「……あ、もしもし、茨木童子? 友達が急遽ウチに泊まることになったから、部屋の用意をお願いしてもいいかな? ……うんそう、今から。……分かった。ありがとう」


 朔夜は早々に家への連絡を済ませると、未だにいがみ合っている二人をやれやれといった様子で見つめて、仕込みをするために一人で店の中へと入って行ったのだった。



 ***


「うん、美味しい! やっぱり朔夜くんは料理上手だねぇ」

「ありがとう。遠慮しないでいっぱい食べてね」


 朔夜は仕込みついでに、おにぎりと簡単な汁物を作った。

 誰も居ない小料理屋の席でそれを盆に載せて出せば、時雨は嬉しそうに頬張りながら朔夜に礼を告げる。


 一つ離れた席では、真白も朔夜の作ったおにぎりを頬張っているが、その顔は依然として納得がいっていないというように不機嫌な色を宿している。


 時刻は深夜の二時近く。普段の朔夜ならとっくに就寝している時間だ。

 今日が土曜日で、明日は学校が休みであることが救いだった。


 ただでさえ妖宴の会に参加して疲弊しているというのに、突然の来訪者に、真白は辟易していた。今すぐにでも時雨を追い出したいところだが、朔夜が認めてしまえばそれも出来ないため、真白はいつも以上に苛々とした様子だ。

 そんな真白には気づかない(否、気づいてはいるのだが、いつものことだとスルーしているという表現が正しい)朔夜は、食後のお茶を飲んでいる時雨を心配そうに見つめる。


「でも、ウチに泊まるってこと、東雲さんに連絡しなくても大丈夫なの?」

「うん、一日くらいなら平気だよ。……まぁ、護衛のボクが側を離れてるって東雲の人間に知られたら、大目玉を食らっちゃうだろうけどね」

「……要は、職務怠慢ってことだろ。密告すれば、これでお前もお役御免ってことか」

「こらっ、真白」


 先ほどからチクチクと嫌味ばかり口にしている真白を、朔夜は軽く窘める。

 けれど真白に反省している様子は見られず、ふんっ、とそっぽを向いてしまった。完全に不貞腐れモードに入っているようだ。


「いいよ、朔夜くん。まぁ真白くんが言うことも事実だからね。それに……守るべき人の側に、何を考えているのか分からない不審な奴がいたら、警戒するのは護衛として当然のことだしね」


 時雨は当然のように、自分自身のことを“信用ならない不審な人物”として話す。

 けれど朔夜は、その言葉が分からないといった顔をして首を傾げる。


「え、だって時雨くんは友達なんだから……警戒することなんて何もないよ」


 さも当然のように言われた“友達”の言葉に、時雨は一瞬目を瞠って、けれど直ぐにその瞳を細めて優しく笑う。


「……やっぱり朔夜くんって、似てるなぁ」

「似てるって……誰に?」

「昔、東雲家にね、葵が実の兄みたいに慕っていた人がいたんだ。どこまでもお人好しで、本当に優しい人でさ。……朔夜くんを見てると、たまにその人のことを思い出すんだよね」


 時雨は葵が実の兄のように慕っていた、と口にしたが、時雨自身も、その青年のことを心から慕っていたのだろうことが、その穏やかな声音から伝わってくる。


「……そっか。その人は、今もご実家の方にいるの?」

「ううん。別れの挨拶もなしに、ある日突然いなくなっちゃたんだ」

「そうなんだ。……その人に、また会えるといいね」

「……うん。そうだね」


 時雨は、目の前で微笑んでいる朔夜に、自身と葵を引き合わせてくれた青年を重ね合わせながら――“また会いたい”、と。


 祈りを込めて、噛みしめるように、胸中で呟いた。


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