Ⅶ 正体

 湿り気を含んだねばつく夜だった。ザッ、ザクッと冷たい地面を掘り返す音が聞こえる。

 デビッキは黒羽の主を取引相手と言った。彼の業界で取引と言えば、死体だ。黒羽の主は医学者で、研究のために新鮮な死体を欲している。それをデビッキが密かに融通しているのだろう。


「だから黒羽の館を訪ねるより、ここなら確実に会えると思ってね。はじめまして、僕はフラン」

 顔全体を覆う、カラスの嘴のように前に突き出たマスクを被った男が全部で四人。カンテラの灯りに浮かぶ姿はさながら死神で、足先から手先まで全身真っ黒だ。一人は闇に溶けるような長い黒髪で、明らかな敵意をこちらに向けている。


「ここへ来るとは、用件によっては口を封じなければならないと分かっているのか?」

 男の声は低く冷たいながら、ガラスの引っ掻き音と同じ類の不快さがある。

「遺体を盗むのを咎めるのは僕の役目じゃないよ。それよりあなたに聞きたいことがあってね。スヴァルト・ストーンのことだけど」

 しかしその言葉を口にした途端、敵意と警戒に満ちていた男の空気が一変した。


「どれだけ探しても出てこないので、誰かが持ち出したのではと思っておりましたが。ええ、あなたでしたか。申し遅れました、私はゾハールといいます。ええ、もちろんタダでとは申しませんよ、相応の価格で買い取らせていただきましょう」

 思わず耳を疑う。変わったのは態度だけではない。最初の冷えた不快な声から、柔和で耳に馴染む声に変わっていたのだ。まるで別人だ。


「持ち出したんじゃないけどね。一つ困ったことがあって」

「石の呪いですね?」

「うん。スヴァルト・ストーンを手にした者は全員、一週間以内に謎の死を遂げる。この言い伝えは本当なのかな」

「本当です。と申し上げたところで納得されないでしょうね。ええ、ではなぜ私は生きているのか」


 すると男はマスクを外した。カンテラを掲げて素顔を照らすと、声のイメージ通り温和な中年紳士で、医学者らしい知的で緩みのない顔立ちだ。茶色の瞳を向けて、にっこりとゾハールは笑う。

「呪いの正体をお教えしたら、金額は少し抑えていただけると幸いなのですが」


「二十二個のうち、いくつまで集まっているの?」

「二十個です」

「僕が持っているのと、あと一つで揃うんだね。解読も進んでいるのかな?」

「ええ。ですので是非とも譲っていただきたく」

「どんな内容が書かれているのかな。全世界が知りたがっていると思うよ」


「良くも悪くも、使い手を選ぶ内容と申し上げておきましょう。あなたにも関係——、ぐっ、うるさい! 黙っていろ、お前は出てくるな!」

 急に男は頭を抱えてこめかみを打つ。しかし次にはケロッとして、また人の良い笑顔を見せたので、あっけに取られる。


「失礼しました。白き炎のフラン殿。石の謎は、あなたにも関係することですよ」

「良くも悪くもか。あなたが悪の方じゃないのを祈るよ」

 石で何をしようとしているのかは測りかねるが、今の奇妙な様子といい、良い予感はしない。


 フランは掘り返された遺体を照らした。カンテラの頼りない灯りの中でも、見るに堪えない惨殺体だ。まるで鋭利な鱗を持つ大蛇がのたうったがごとく、一度だけでなく何度も斬撃に見舞われたのだろう。これは新聞に書かれていた通り、確かに人間技ではない。


「フラン殿、もしお差支えなければ、どのように石を入手されたのか教えていただけませんか?」

「女性の体内にあったんだよ。僕は火葬屋でね」

「体内に。そうでしたか、それはずっと見つからないはずです、ええ。彼女はイレーヌといって、石を所持しているのは存じていました。譲ってもらえないか交渉していたのですがね、ええ」


「交渉には荒っぽいことも含まれていたのかな?」

「それは、私が事件の犯人だと仰りたいのですかな」

 デビッキは黒羽の主を犯人だと疑っているようだが、もしそうなら後から遺体を掘り返して石を探すような手間はかけないし、新鮮な遺体が欲しいなら殺害後そのまま持ち帰るはずだ。


「だから考えられるのは、あの時、あなたですら予想しえなかった何かが起こった。違うかな」

「……なるほど。ええ、興味深いです。館で是非お聞かせ願いたい」

 はっと気付いた時には、カラスの面の男たちに囲まれていた。指先を合わせて念じるが、間に合わない。


「っ!」

 背後から組みつかれて鼻と口に布を押し当てられる。刺激臭がしたと思うと、ぐらりと視界が揺れた。力が抜けて、手から落ちたカンテラがガシャンと音をたてる。


「実験に協力してもらおう」

 冷たく刺すような声。最後に捉えたゾハールの姿は、茶色だったはずの瞳は赤くひび割れ、温和な中年紳士の面影などどこにもなかった。



 □■


「次に目が覚めたら火葬場の前にいたんだ。そして胸にこれがつけられていた」

 パジャマのボタンを開けて左胸をはだけると、昨夜見たカブト虫のようなものがへばり付いている。


「ふぅーん。どぅーして一人で行ったりしたんだろうねぇ? 死体が一つ増えてもおかしくなかったし、これだけ色んな人に迷惑かけまくって。軽率にも程があるんじゃないの。黒羽の主は得体が知れないって話したばかりじゃん」

「デビッキ司教、それは言いすぎ——」

「面目ないよ。よりによってルゥまで傷つけるなんて最低だ」

 うなだれるフラン。


「それで、実験っていうのは?」

「うん……、あの時はずっと心臓がバクバクして、全身に熱い血が駆け巡っていた。普段の僕からは考えられないほど体が軽くて、何の不調もないみたいで。魔物の体が頑健で病さえ得ないというのは、こういうことなんだろうと分かったよ。きっと僕の半端な魔物の血を、この装置で増幅させたんだと思う」

 ボタンを閉めて、パジャマの上から胸を押さえる。


「体の中から熱がどんどん湧いてきて、放出せずにはいられなくて。コントロール不能の蒸気機関になった感じだった。けれどデビッキの術が解けた後は、その反動なのかな。頭と体に何千本も杭を打ちつけられたみたいに痛くて苦しくて。自分ではどうすることもできずに、このまま全身の血が沸騰して死ぬんだろうって思ったよ」


「装置を作ってお前で人体実験をしたわけか。クソだな」

 真っ先に吐き捨てたのはライザだ。

「悪魔が本性現しやがったな」

 光の御子デビッキも、糞を踏んだような顔をしている。


「得体の知れないものを黙ってつけられたから僕もちょっと腹が立ってさ、だから競売ではスヴァルト・ストーンを渡したくなかったんだ」

「じゃあ、あいつがオークションに参加すると、フランさんは最初から分かっていたんですね?」

「あと二つで揃うのなら、必ず来ると思ってたよ」

 だったら先に言ってくれればよかったのに。そう言いたいのをルゥは我慢した。


 カナンさんは『オーナーはルゥさんのこととっても頼りにしてますよ』と言ってくれたが、実際はちっともそうじゃなかった。頼ってもらえなかった己の未熟さが悔しいし、フランに失望する気持ちも少しある。


「一つ、分かったことがあるんだ」

 フランはサイドテーブルに手を伸ばし、引き出しから片方だけの黒い革手袋を取り出した。

「火葬場の前で目覚めた時、これが落ちていたんだ。ゾハールさんが着けていたものだと思う」


 関節部分にはしわが寄り、手の形に丸みを帯びている。はめたり、裏返したり、嗅いでみたりしてデビッキが確かめた。

「仔羊かな、いい革だ。日常的に使ってる感じだし、何の変哲もなさそう。これが何か関係あるの?」


「うん、これはヒントだよ。石を見ただけでは呪いにはかからない。そして手袋をして素手で触らなければいいと考えると、呪いの正体は金属に含まれる毒だ」

「金属が中毒症状を引き起こすのは聞いたことがあるよ。表面の金色が毒で、素手で触ると皮膚から吸収されるわけか。なるほどね、さすがフラン君」


「だとすると、ご遺体は体内にずっと猛毒を抱えていたわけですか? 魔物だからそんな状態で生きていられたと?」

「その通りだよ、モノリ」

「では魔物の血を持たない我々には、呪いの回避は不可能ということですか?」


「ううん、ゾハールさんがヒントにしたのは、直前まで自分がはめていた手袋なんだよ。これは、手袋をしていないと彼自身も被毒するという意味だと思う。つまり魔物だから無条件に呪いにかからないわけじゃないんだ」

「もしかして、ご遺体が腐食しないのはその為なのでしょうか?」

「それだよ! ご遺体に解毒の秘密があるんだ。体の組織か、血かどこかに」

 それを聞いたモノリが顔を引きつらせる。


「オーナーまさか、ご遺体の肉を食すとか血を飲むということはないですよね?」

「そ、そうだね、うん……、自分で言ってて僕もちょっと……」

「それやったらおれ、さすがに破門だよ」

 しゅんとなる三人。その時ルゥの頭の中でひらめいたのだ。


「あるじゃないですか! 血のソーセージですよ。豚肉と混ぜて作ればきっといけますって!」

「おぉ、黒いソーセージか。あれは美味そうだったな!」

 笑顔のルゥとライザに、今度はフランの顔が引きつった。

「そっ、それはもうちょっと考えてからにしようね……お願いだから!」

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