Ⅲ 闇オークションへ
外に出ようとしたルゥの足が、思わず止まる。
「うわ、
環境汚染の影響で、赤い雨が降ることがある。大雨になると肌がピリピリしたり息苦しくなるほどで、子供の頃は当たると禿げるとか体が錆びるとか脅されたものだ。
二ヶ月前にルゥの目の前でフランが倒れたあの日は、土砂降りの緋雨だった。びしょ濡れになりひどく疲れていたフランの髪や肌が、血塗られたように染まっていたのが忘れられない。
「……似合ってないですよね、これ」
オークション会場というのは、ドレスコードがあるそうなのだ。連れて行ってと頼んでみたものの、ルゥがそんな服など持ち合わせるはずもなく、フランが私物を着せてくれた。フリルが華やかな白ブラウスはシルクでうっとりする肌触りだし、黒ジャケットの複雑な織目と金刺繍はこれだけで芸術品だ。細いのにだぶつくスラックスの裾は、カナンさんに大急ぎで上げてもらった。
「いや、馬子にも衣装だぞ。どちらまでですか? 車を出しましょう」
「もう帰るところでしょ? いいよ歩いて行くから」
「いいえ、風邪など召されてはいけませんので。新市街のオークション場ですか?」
「じゃあお願い。いつも悪いね」
「私のことはお気になさらず。どうせ暇ですから」
二週間後に三十五歳になるというモノリは独り身で、鉄肺病はまだ発症していないそうだ。
霊柩車に乗り込むと、雨で見通しが悪い道をゆっくりと進んでいく。
「ブラッドサッカーさんは先に行ってるんですよね?」
「そうだよ。四時から実際の品物と最低価格が公開されて、オークションが始まる夜八時までの間に参加者が積算するんだ。ライバルたちをどう出し抜くかってね」
時刻は午後五時。もう戦いは始まっているのだろう。
「飛び交う金額を聞いたら、きっとルゥはぶっ飛ぶでしょうね」
モノリが笑う。
「えぇ⁉ そんなになんですか?」
「ふふふっ、公にされない闇オークションだからね。参加者も特殊な人たちばかりなんだよ」
「それにオーナーが出品されるオークションは、最も格式が高いのだよ。それだけ支配人の審査は厳しいし、参加者の審美眼も肥えているから、自ずと金額はうなぎ上りになる」
「へぇぇ……すごいや」
「それもこれもブラッドサッカーのおかげなんだよ。彼の人脈こそ魔物級だね」
そこに今夜はベルジェモンドだけでなく、スヴァルト・ストーンが出品されるという。
「呪いの石が。まさかオーナー、競り落とすつもりですか?」
「どうかな。一つだけじゃ解けない謎も、二つあったら何か分かるかもしれないね」
街の中心部のエルター橋付近は、雨で混んでいると踏んだのだろう。モノリは少し遠回りをしながらこの間とは別の橋を渡り、新市街へ入る。いくつかブロックを通り過ぎて曲がった先は、英雄通りという大きな道だ。新市街を東西に貫き、道の左右にはピンク色のガス式街灯が
オークション会場の車停めに並ぶ蒸気車は、どれもぴかぴかで雨粒を弾いている。そんな中に黒塗りの霊柩車はちょっと異様だが、一番大きくて高級だ。
「行ってらっしゃい。ご健闘を、オーナー」
「ありがとう。先に帰ってていいよ」
「いえ、ここで往来の人間観察でもしています。暇なので」
「過保護だなぁ」
と、羽根飾りのついたキャプリーヌハットで隠した顔がちょっと嬉しそうなのは、モノリも分かっているのだろう。
闇オークションというから地下墓地のようなおどろおどろしいのを想像していたが、会場は明るく、クリーム色を基調とした上品な部屋だった。手回し式蓄音機がヴァイオリン協奏曲を奏でている。
「ようこそフラン様。それにお連れ様一名ですね。どうぞ」
受付紳士の筋骨隆々たるや、タキシードを上品に着こなしていても分かる。特殊な人対応なのだろう。
椅子がたくさん並んだ部屋の周囲にはガラスケースに入った宝石や美術品が展示され、どれもゼロの数え間違いではないかという金額が書かれている。中には密輸と書かれていたり、軍用の銃もある。
「あったよ、あれだ」
ガラスケースの中のスヴァルト・ストーンは、確かに昨日取り出したものとは別物だった。
「うえっ、せ、せんにひゃくまんもするんですか⁉」
「違うよ。1200万からスタートって意味だよ」
「家より高い値段なんて。おれたちもサッサと売っちゃった方が!」
「こうして、ガラスケース越しに見ているだけでも呪いにかかると思う?」
「それは……、でもその場合、この会場にいる全員が呪われることにならないですか?」
今いるだけでも五十名は下らない。
「そうなんだよ。例えばあそこにいる眼鏡の恰幅のいい男性、あれは北のエタンゼル市を支配するマフィアのボスだ」
「うぉ! 特殊な人!」
「そういう有力者が他にもたくさん来ている。スヴァルト・ストーンが出品されたのは、これが初めてじゃないはずだよね。けれど、裏社会で影響力を持つ大人数が連続死というのは聞いたことがない」
「つまり、ガラスケースに入ったものを見ただけでは呪いにかからないってことですね」
「そう。そして文字を読んだだけでも呪いにはかからない。デビッキは文献で読んだというから、あの古代文字を紙で目にしているはず。けれど今まで呪いにはかかっていないでしょ」
「じゃあ呪いというのはただの噂なんでしょうか」
「でも発見者の社長は急死したというね。掘り出した作業員も亡くなったのかな?」
「調べてみる必要がありそうですね」
「うん。でも呪いは古代人の黒歴史なんかじゃなく、ちゃんと正体がある気がしてきたよ」
「はいっ」
呪いを凌駕してみせるという言葉通り、着実に進んでいる。
会場を一周した後は食事にしようと、近くのデリに連れて行ってくれた。石造りの建物にわざわざ木目を貼ったオシャレすぎる店で、ルゥ一人では気後れして絶対に入れない。
「うわぁぁ! すごい! すごいですねフランさぁん!」
さすがは新市街の高級デリだ。シックな店内では中央の大きなテーブルに、肉や野菜の煮込みにソーセージ、テリーヌにパテ、色とりどりの野菜を使ったサラダがぎっしりと並んでいる。
「これ何ですか? パイの中にキノコと栗のクリーム煮? 一個900
「欲しい分だけ自分で取っていくスタイルだから、好きなのを食べなよ」
「いいんですか⁉ うわー、迷っちゃいますね。これはトマトと挽肉とお米? 巻いてあるんだ。不思議な料理だなぁ。あ、アーティチョークのサラダだ。今高いんですよ。フランさんが好きな赤カブの酢漬けもあるじゃないですか」
「あれはね、君の方がおいしい。ここのはちょっと酸っぱくて」
「えっ……嘘ですよね?」
「嘘なもんか」
どうしよう、キュンしてしまったじゃないか。
「あっ、この黒いのは血のソーセージですって。豚の内臓と血と脂と色々入って栄養たっぷりですから食べたほうがいいですよ。血肉になるって感じしますね」
「悪魔っぽいね君」
そんなこんなで会計してみたら、ルゥ一人で7500L分も皿に乗せていた。
「すみません、調子に乗りすぎました」
「いいよ。いっぱい食べなよ」
カウンター席の隣で笑ってくれる天使は、ブラウンソースがいい匂いの鴨モモ肉の煮込みに、鴨肉のパテを盛りつけている。モノリへの土産にと、さっきの一つ900Lのパイと豚のテリーヌ、キャビアとオイルサーディンのサンドイッチを持ち帰り用に包んでもらった。
「野菜は⁉ ていうか鴨しか食べてないじゃないですか。せっかく来たのに」
「ルゥの手作りだから野菜も食べられるんだよ。他のは無理なの」
「くぅぉ!」
再び天使にハートを撃ち抜かれた。
帳面を取り出し、一品ずつ簡単な絵を描いて味付けを記録しながら口に運ぶ。途中で鉛筆の芯を折ってしまうと、紅茶を飲んでいたフランが内ポケットからペンを取り出して貸してくれた。
「時間かかってすみません。こんなお店、自分じゃ来られないのでつい」
「感心してたよ。まだ時間はあるからゆっくりするといい。おや?」
通りに面した大きなガラスは温度差で曇っているが、写ったゴージャスボディのシルエットはライザ署長で間違いないだろう。外からこちらをのぞき込んで確かめているようで、フランが手を振った。
「似ていると思ったが、やはり間違いではなかったか」
外は雨が降り寒いのだが、熱気ムンムンで店に入って来たライザ署長は、警ら中だという。
「あの黒いソーセージ、美味そうだな。豚の血か。精がつくな」
「さすがだね。おごろうか?」
「職務中なので遠慮する。それよりご遺体のことだが、旧市街の住民ではなかった。楽団殺害事件の被害者だろう」
周囲に聞かれぬよう、ライザが声のトーンをグッと落とす。
「すると、ナユさんの身内なんだね」
言いながらフランは表情を
「うむ、これを見ろ」
ポケットから取り出した手帳をめくり、該当ページを開いて見せる。
「死亡した楽団員は十六名。元々は全部で十七名いたのが確認されているから、死亡者に含まれていないイレーヌという人が遺体の女性になるな」
するとフランが手帳の名前を指でたどりながら数え直す。
「ライザ署長、これって」
「そうだ。死者十六名の内のナユというのは、あの少女で間違いないな?」
しっかりした筆圧で書かれた『ナユ』の文字に、ルゥは息を飲んだ。
殺害されたのは、死んだことになっているナユを含んだ十六名。
「じゃあ、十六人目の遺体は一体誰なんですか?」
死人に口なし。フランとライザにも答えられるはずがない。
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