46話 呼び捨て(2/2)
新たな武器の購入という本来の目的を終えた後、アリーシャの急な発案で、ふたりは晩御飯を食べてから帰ることになった。
ゲストハウスではパーカスやモカも含めて4人で食卓を囲む毎日が続いていたので、今日のように2人で食事をとるのは久しぶりのこと。
それこそ、アリーシャが食事場所に選んだ店はリベリカが彼女と出会った日に連れだって訪れた食堂だった。
ふたりが満足に食事を終えると、店の外はすっかり黄昏色に染まっていた。
「食った食った美味しかったー! やっぱりこのお店好きー」
「私は夜に食べに来たのは初めてでしたが、ディナーも美味しかったですね」
笑顔を浮かべてお腹を撫でているアリーシャに続いて、リベリカも歩道の石畳へと足を踏み出す。
「でもアリーシャさんはちょっと食べすぎじゃないですか」
「いやぁ、つい食欲が湧いちゃって」
「食欲でどうにかなるレベルじゃなかったですよ……?」
「でもお残ししてないし、食べても太らないし! 何か問題ある?」
お茶目な調子でアリーシャは言っているが、実際にはお茶目では済まされない食事量だった。
あれよあれよという間に注文を重ねていき、見る見るうちにテーブルが皿でいっぱいに埋め尽くされていく光景は驚愕そのもの。
しかも、彼女はその大半をひとりで嬉々として完食していた。
だが、それはそれとして、アリーシャの場合はそもそも一度の食事量が多すぎる。
彼女の口に吸い込まれていった大量の食べ物がその華奢な身体のどこに溜まっているのかは未だに謎だ。
「あとね、今回はおっちゃんの奢りだから! タダ飯だと思うと俄然食欲が湧くんだよね!」
「それを聞くとむしろいろいろ心配になってきました……」
パーカスから渡されていたらしい金貨の袋にはまだ余裕があるように見えるが、そもそもこれは食事のためだけのお小遣いではないはず。
アリーシャに財布の紐を握らせた日の暁には、家計が火の車になっていること間違いなしだ。
地面でゆらゆら揺れている人影を楽しそうに追いかけながら、アリーシャがステップを踏むように前を行く。
その背中を眺めているとなぜだか感傷的な気分になってきて、リベリカはつい言葉を漏らすように呟いた。
「もうこんな時間なんですね」
「だねー。でも楽しかったから良し!」
「はい。楽しかったです」
楽しかった。本当に。
純粋にそう思えるほど、今日は充実した最後の休暇日だった。
生まれは貴族の令嬢。今は男社会に紛れた異端の女狩人。
そんなリベリカにとって、アリーシャは気兼ねなく連れ添える相手であり、同僚であり、仲間であり、同居人でもある不思議な存在。
そんな彼女との関係をなんと名付ければ良いのか。
いまいち判然としないが、これが所謂「友達」なんだろうか、そうだったらいいなと思う反面、そんな言葉で括りたくないとも思ってしまう。
まだこの日の余韻に浸っていたい気持ちとは裏腹に、あっという間に時間は過ぎ、気がつけばゲストハウスの玄関へと帰ってきていた。
明日は朝からギルドの定例会議。今日の夜はもう長くない。
1階の広間で帰りを出迎えてくれたパーカスに挨拶をして、早々にふたりとも自室がある2階の廊下へと上がる。
あとはお互いの部屋の中で寝る準備をして、明日の朝、再び顔を合わせる。
その時にはもう「同僚」に戻っているのだ。
廊下の1番手前でアリーシャが立ち止まり、リベリカはそのひとつ隣の扉の前まで進む。
「じゃ、おやすみ」
「おやすみなさい」
言って自分の部屋のドアノブに手を掛ける。
それを待っていたようにアリーシャも手を伸ばす。
冷たいドアノブを指先でつかみ、捻る。
そこで、リベリカははたと手を止めた。
「アリーシャさん」
「ん、どうかした?」
愛おしむような優しい目でアリーシャが首を傾げてくる。
思わずなんでもないと言いそうになって、リベリカは口を
このタイミングで呼び止めてしまったのは、今が最後のチャンスだったから。
口にするのを逡巡するほど恥ずかさが込み上げてくる。
もうどうにでもなれ。
リベリカは息と一緒に吐き出してしまうつもりで告白した。
「あとで部屋に来てくれませんか」
*
身体を拭いて、寝間着に着替えて、髪も梳かした。
寝る準備はバッチリ終わらせた上で、先に布団には入らずベッドサイドに腰掛けてアリーシャを待つ。
そして、ふと我に返って自問する。
なんでこんなに緊張してる? というか、なんで誘っちゃったの?
ただ同年代の女の子と一緒にベッドに入るだけ。そう、ただ寝るだけ。
なのに、さっきから心臓がバクバク鳴っていて、耳の辺りまでジンジンしている。
もう今更になって「やっぱり1人で寝ます」なんて断ることはできない。
先に布団に入って意識を飛ばしてしまえば……なんて考えもよぎったが、それは余りにも薄情な気がする。
落ち着けわたし。
健全に睡眠を取るだけ。
ベッドは決して広くは無いが二人で寝られる広さはある。
自分でもよく分からない理屈で心を落ち着けようとしていると、ついにドアノブがカチャリと音を立てた。
ノックも無しに扉が開く。
石鹸の匂いと果物のような甘く爽やかな香りを孕んだ空気が流れ込んできて、それが彼女のものだと意識してしまうと胸がかあっと熱くなる。
静かに扉を閉め、足音を立てないようにそおっと近づいてくるアリーシャ。
歩くたびに揺れるブロンドヘアが、
ギシリとベッドが揺れた。
肩が触れそうで触れない近さで並んで座る。
なんと声をかけようか迷っているうちに、アリーシャはまるで内緒話をするような小さな声で
「今日楽しかったね」
「ええ、おかげさまで」
コントロールの利かない緊張のせいで返事がぎこちなくなる。
結果、会話は早々に途切れて沈黙の時間が生まれてしまった。
呼び出したのはこっちだし、彼女は要件を切り出されるのを待っているはず。
けれど実のところ、これといって話すべき事があったわけじゃないので何を話せばいいのかわからない。
そんな沈黙の理由を邪推したのか、アリーシャが遠慮がちな声音で切り出してきた。
「ねぇ……、もしかして、アタシに怒ってたりする?」
「え?」
「なんかここ最近のリベリカ、ちょっとよそよそしかったというか。上手く言えないけど、ちょっとだけ避けられてた気がして」
思いもしなかった彼女の吐露。咄嗟に何も返せない。
その無言をまた肯定と受け取ったらしく、アリーシャは殊更に自虐めいた口調で続けた。
「前のクエストの時、肝心な所でアタシ頼りにならなかったもんね。それでリベリカに無理させて怪我させちゃったし。……ごめん」
「違います、そうじゃないです」
まさかそんな風に自責の念を抱かせてしまっていたなんて。
俄に申し訳なさが込み上げてきて、リベリカは慌てて首を横に振る。
確かにあのクエストの日から彼女との距離を測りかねていた。
けれどその原因は彼女の非でも責でもない。
むしろその逆で、自分の、単純で、矮小な感情の問題だった。
気落ちするように
彼女に罪悪感を抱かせてしまったのは、自分が感情をコントロールしきれていなかったせい。
上手く言葉に纏められる自信はなくても、ここで説明を拒むのはフェアじゃない。
「なんていうか、あらためて実感したんです。私って本当にアリーシャさんと釣り合ってないんだなって」
アリーシャとチームを組んでから初めて挑んだ前回のクエスト。
もちろん自分の実力が彼女の足元にも及んでいないことは分かり切っていたし、自分の任された役割が
ふたりで協力してランドラプターの通常個体を討伐できたのは素直に嬉しかった。
その後はサン・ラモン部隊の救援に向かって、スタミナ切れだった彼女の代わりに時間を稼いだ。これは今でもちょっぴり誇らしいくらいだ。
けれど、負傷者を救護するために一度キャンプに避難したあと。
救援隊を連れて戻って来た時の光景が今も脳裏に焼き付いて離れない。
「私、アリーシャさんがラモン隊長と一緒に戦ってるの見てたんです。あの時のアリーシャさん、すごく活き活きしてました」
息を呑むような連携プレーだった。
自分といる時には見せたことがないような笑顔を浮かべながらモンスターを陽動する彼女と、その超人的な動きに合わせていたサン・ラモン。
息を合わせてモンスターを狩る姿は、まるで舞台上で踊る紳士と淑女のようだった。
「え、アタシ、そんな楽しそうだった?」
「ええ、すごく楽しそうでした」
「すごく?」
「すごく」
あの時、アリーシャと一緒に踊っている相棒が自分だったら良かったのに。
こんな感覚に襲われるのは初めてで、これが何という名の感情なのかも分からない。
とにかく、無性に切なくて、悔しくて、苦しい。
あの光景を思い出すほどに胸がきゅうっと締め付けられていく。
「ってことは、それって……」
だというのに、アリーシャはなぜか肩をふるふると震わせて、
「もうっ、この可愛いやつめーっ!!」
「きゃっ!?」
いきなり弾けるように両手を広げたかと思うと、勢いよく抱き着かれ、そのまま覆い被さられるようにベッドに押し倒されてしまった。
今にも鼻先同士が触れてしまいそうな距離に彼女の顔が迫る。
澄んだ蒼い瞳には自分の顔が映っていて、シルクのような金色の髪が鎖骨をくすぐり、うっすら熱のこもった吐息が頬を撫でてくる。
心臓は相手に聞こえそうなほど激しく音を立てているのに、まるで呼吸の方法を忘れたように息ができない。
「やきもち焼いてくれたんだ?」
「いや、そんなっ……」
そんなはずはない、と否定できない自分に気づいた瞬間、ぶわっと顔が熱くなる。
やきもち。つまり、嫉妬。
抱いていた感情に名前が付いてしまった途端、心の中のわだかまりはなくなって、同時にこの気持ちを無かったことにはできなくなってしまう。
でも、それを素直に認められなくて、口からは言葉にならない声しか出てこない。
「おやおや? 抵抗しないなら
企むような笑みを浮かべたかと思うと、アリーシャが顔を胸にぱふんと押し当ててきた。
双丘を両手で挟んで谷間に顔を埋め、長く深い息を吸い始める。
「ちょっとアリーシャ⁉ 何してるんですか‼」
「リベリカのおっきくて柔らかいから好き~」
「じゃなくて、離れてくださいって!」
やっとのことでアリーシャの身体を押しのける。
ひとまず貞操の危機は脱した。
そのまま並んで仰向けに寝っ転がり、知らず荒くなっていた呼吸をゆっくり整える。
すると、アリーシャがスリスリとすり寄って来て、肩にコテンと頭を乗せてきた。
「ありがと」
「なにがです?」
「アタシに興味を持ってくれてることに?」
「質問に質問で返さないでくださいよ」
「言えてる」
どちらともなくクスリと笑って、アリーシャが続ける。
「でも心配しないで。リベリカはちゃんとアタシのパートナーだから」
「ずっとそう言ってもらえるように、私も早く強くなってアリーシャさんに追いつきます」
「その意気や良し。これからも精進せい」
「はい」
もっと、ずっと、アリーシャと一緒にいたい。
言葉だけだったとしても、彼女がこの想いを受け止めてくれて、背中を押してくれただけで十分に心が満たされた。
「あ、でもさ」
不意に、アリーシャが不満げな声音で顔を横に向ける。
「さっきアタシのこと呼び捨てにしたよね? なのに何で今また『さん』付けなの」
「あ、すみません……。さっきはつい
謝ろうしたのを遮って、アリーシャがフルフルと顔を振る。
「じゃなくて、呼び捨てがいいの。もっと気軽に呼んでほしい」
「そう言われても急には」
「なんか『さん』づけは距離遠く感じてイヤ。ていうか、呼び捨てにしてくれないとパートナー辞めちゃうもん」
「もう……わかりました」
「じゃあさっそくテストね」
互いに天井を向いたままアリーシャの手が自分の手の平に重なる。
「おやすみ、リベリカ」
今夜が終わっても、明日になっても、その次の日も。
きっとふたりの関係は変わらない。
「おやすみなさい、アリーシャ」
夢見心地のまま、リベリカはそっと瞼を閉じた。
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