45話 呼び捨て(1/2)

 クエストの成果報告会を終えてから数日の間、ギルド所属のハンターにとっては束の間の休暇期間となっていた。

 

 だが、これは前もって予告されていたわけではなく、定例会議が急に取りやめになった結果生まれた休暇。

 そうなると兼ねてからの予定や計画があるはずがなく、さりとて1週間では離れて暮らす実家に顔を出す余裕もない。

 そんなわけでリベリカは、ゲストハウスの中で漫然とした時間を過ごしていた。


 一方のアリーシャは毎日狩場に出かけて自主トレーニングに励んでいた。

 せめてそれに同行できればよかったのだが、パーカスから「腕の傷が治るまでは安静にしろ」と釘を刺されてしまって断念。

 もう一人の同居人であるモカは、部屋の扉を固く閉ざしてずっと引き籠っているので面会不能。


 つまるところ、リベリカは自室で自重トレーニングにいそしむか、路地裏まで知り尽くした街中の商店街を当てどなくぶらつくのが関の山だった。



 そんな休暇期間もこの日で最後。

 今朝もゲストハウスで2番目に早くダイニングに降りてきたリベリカは、すっかり”我が家の味”に定着したパーカスお手製の朝食を平らげて食器を片付ける。


 それを終えると、ある意味で唯一の日課になっている包帯の巻きなおしの時間だ。


「さて、そろそろ傷は癒えていると思うが……」


 膝を突き合わせて真向かいに座ったパーカスが包帯の結び目をハラリと解く。

 もはやそういう衣装なのではないか、と思えるほど精細に巻かれた包帯がスルスルと紐解かれていくと、素肌からは傷跡がきれいさっぱりなくなっていた。


「とりあえず傷跡はきれいに治ったようだな。痒みとか違和感はないか?」


「大丈夫そうです」


「そうか、ならよかった」


 まるで陶器のように滑らかで健康的なハリが感じられる腕を擦りながら、リベリカは感嘆の声を漏らした。


「すごい、怪我の前より綺麗になった気がします。こんなに効き目のある薬があるなんて。どこで手に入れたんですか?」


「馴染みの薬師に特注で作ってもらっているんだ。元々はアリーシャの肌に合わせて調合したものだったんだがストックが残っていて良かった」


「そんな貴重な薬だったんですね……。本当にありがとうございました」


「気にするな。そもそも最近はアリーシャに使う機会もめっきり減っていたしな」


 パーカスは机に広げていた薬や包帯一式を箱の中に詰め直すと、少し声のトーンを落として忠告するように続けた。


「だが、ここまで綺麗に治ったのは若さの賜物だ。薬を当てにして怪我を負うような無闇な戦い方は避けるように」


「……はい、すみません」


 奇しくも先日のサン・ラモンと似たような忠告を受けてしまい、リベリカは肩をすぼめてしまう。

 その様子を心配に思ったのか、パーカスの口調が一転して明るくなった。


「まあ、そもそもリベリカに無理強いをさせてるのはアリーシャだろう。ワシからちゃんとアイツにも言い聞かせておこう」


 お大事に、と締めくくって立ち上がったパーカスが医療道具を片付けていると、鈍い足音と共に気だるげに欠伸をかみころす声が聞こえてきた。


 よれよれの寝間着を着たまま階段を下ってきたアリーシャは、ろくに見えていないであろう薄目のままダイニングテーブルに着席する。

 そして、既に焼かれてから時間の経っているトーストを手に取ると、ぽけーっとした間抜けな顔をこちらに向けてきた。


「あれ、リベリカのご飯は?」


「私はとっくに食べましたよ。いま何時だと思ってるんですか……」


「いやぁ今日は何の予定もないからつい二度寝しちゃったんだよねぇ」


 バツの悪そうな表情を浮かべてからパンを食いちぎる。

 冷めてよほど固くなっていたのか、口の中でパンをもきゅもきゅと力強く咀嚼していたが、結局はミルクと一緒に飲み下していた。


「で、モカは?」


「昨日の夜から部屋に籠りっぱなしだ。ギルドに回収されていたモンスターの試料がようやく届いたようでな、解析に没頭しているんだろう」


「道理で隣の部屋から奇声が聞こえてくるわけですね……」


「おぉ、私の部屋離れててよかった。危うく貴重な二度寝が脅かされるところだった」


 苦笑を浮かべて、また固まりきったパンに挑むアリーシャ。

 もしゃもしゃと間抜けな顔でパンを食べている表情を見ていると、狩場で戦っている時の凛々しい彼女ともはや同一人物なのかと疑いたくなってしまう。


「アリーシャさんは、今日は自主トレーニングには行かないんですね?」


「うん、昨日まで連日やってたから身体を休めておこうかなーって。それがどうかした?」


「いや、なんとなく聞いてみただけです。ちゃちゃっと食べちゃってくださいね」


 興味なさげに答え、くるりと背を向ける。

 正直、最後の日くらい一緒にトレーニングが出来たらいいなと期待していた。

 それが出来そうにないと分かって落胆している自分がいるし、それが顔に出ていて、しかも気を遣われたりしたら居たたまれない。


 今日も昨日と変わらず部屋の中で筋トレをするか、いっそアリーシャのように二度寝をするのもたまには良いかもしれない。


 そんなふうに諦めをつけながら階段の1段目に足を乗せたタイミングで、ふいに背中に声を掛けられた。


「そうだリベリカ、渡しておかないといけないものが」


 呼び止めたパーカスが木箱から取り出してきたのは、前回のクエストで酷使したために鍛冶屋に修繕を頼んでいた片手剣。

 だが、パーカスが持っているそれは修繕に出す前の状態とほとんど変わっていないように見える。


「知り合いに頼んでみたんだが、状態があまりにも酷いらしくてな。もしも修理するなら、ほとんど作り直すことになるらしいんだ」


「なるほど、そういうことですか……」


 自分の手に戻ってきた片手剣を改めて見ると、刃がこぼれ落ち、刀身も歪んでいる。

 対となる小楯の方は本来の想定以上の負荷をかけてしまったが故に、全体がひしゃげており、確かにこれでは同じ素材で一から作り直すことになると言われても不思議ではない。


「鍛冶屋の見積りだと、いっそ買い替えた方が安く済むらしいが……」


 そこで言葉を止め、パーカスがこちらの意思を伺うような目を向けてくる。

 この片手剣はハンターの道を歩み始めた自分が初めて手に取った相棒。当然のことながら人並みならぬ思い入れがある。


 けれど一方で、片手剣としては無理な扱い方をしている自覚はあった。

 今までしてきたように、小楯でモンスターの強攻撃を真正面から受け止めて反撃する戦い方は、片手剣には本来想定されていない用途。


 それこそ周囲から「止めろ」と忠告された戦い方であり、この戦い方に頼っているようでは、きっとサン・ラモンのようにアリーシャと肩を並べて共闘する境地には昇れないだろう。


 ならばいっそ、この機会に潔く他の武器に切り替えるのも良いかもしれない。

 

「リベリカ、武器どうするの?」


 じっと片手剣を見つめて思案している姿を見ていたのか、アリーシャが小首を傾げて問いかけてくる。

 そのいかにも何も考えていなさそうな屈託のない表情を見て、リベリカの口からほろりと言葉が漏れ出た。


「アリーシャさん、付き合ってくれませんか」


「ほえ?」


 呆けた顔を浮かべるアリーシャを見て、今しがた自分の発した言葉を思い返す。

 そして、理解が追い付くや否や、瞬く間に頬から耳の先まで熱くなる。


「いや、その違くて‼ 買い物にっ、武器を買い替えるのについてきてほしくて‼」


「え? うん、そういうことだろうと思ったけど。顔赤くない? 大丈夫?」


「気のせいです‼」


「いや、流石に気のせいでは――」


「気・の・せ・い・で・す!」


「あ、はい……」


 どうやら地雷を踏んだのだろうと理解したらしく、アリーシャは苦笑いを浮かべながら素直に首肯した。


「じゃあ先に支度して部屋で待ってますから。ご飯食べ終わったら声かけてくださいね!」


 どうしてこんなに狼狽しているのか。

 自分でも理解の及ばない感情を振り切るように、リベリカは自室に向かって階段を駆け上がっていた。

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