第2話 私の記憶

 私は自分の中に一気に何か大きな波が流れ込んでくるようなそんな感覚に陥り、頭が混乱した。


「え?! え?! なに?!! なにこれ?!!」


 自分自身が何者であるかわからなくなり、目をぱちくりさせてきょろきょろとしながら挙動不審な様子になってしまう。

 そんな自分自身を落ち着かせるように、ひとまず倒れた無様な状態から起き上がって近くにある椅子に腰かけると、手で口元を隠すように当てて私は考え始めた。


「落ち着きなさい、わたくし」


 そう言いながら少しの間だけ目をつぶって、ふっと一息吐いて呼吸を整える。



 わたくしはリーディア。

 リーディア・クドルナよね?

 クルドナ侯爵家の令嬢として生まれて、両親にそれはそれは大切に育てられた。

 それからリリアナお母様とよく庭でお花を楽しんで……いや? お母様? 何言ってるのよ。

 私、お母様なんて呼んだことないし、第一リリアナお母様? 私のお母さんの名前って政子まさこじゃない……え?


「なんで母親が二人なの?」


 いや、お待ちなさい。

 わたくしのお母様は王妃様と仲が良くて、それでお茶会をよくしていてそれでエリクさまにも出会った。

 いや、私は団地に住む子供で紅茶なんておしゃれなもの嗜んでなかったし、それにまきちゃんといつも放課後まで学校で遊んでた。


 いやいや、わたくしはエリクさまと婚約して王太子妃教育を受けていて、王妃のアンジェラさまとお茶をいつもご一緒していて……。

 そんなわけないっ! だって、一生懸命勉強頑張って入った高校の卒業式に幼馴染のまきちゃんと写真撮って、それからそのまま家に帰る途中に……あ……れ?

 家に帰る途中に猫を見かけて、それで神社に入ってから……それから……

 私はゆっくりと隣にあった大きな姿見を見つめて呟く。


「黒髪に茶色の目……私に間違いない」


 私は間違いなく『神崎かんざき友里恵《ゆりえ》』だ。

 でも、確かに『リーディア・クドルナ』でもある。


 あ……思い出した……。

 私は卒業式の日に神社で白い光に包まれて、気づいたら暗いじめじめとした鉄格子で囲われた部屋にいた。

 ハロウィーンの仮装でしか見ないような黒いフードを深くかぶった魔術師みたいな人がぼそぼそと何か呟いたら、ぱたりと現代の記憶がなくなった。

 代わりにあったのはここで18年間『リーディア』として過ごしたという『偽りの記憶』。

 侯爵家の生まれも、王妃とのお茶会も、エリク様との出会いも、そしてあの墓石に誓った婚約も嘘……。


 そうか、私は何者かに現代から異世界であるここに転移させられ、偽りの記憶を埋め込まれて「わたくし」になって一年を過ごしたんだ──



 すると、トントンと部屋のドアをノックする音が聞こえ、私はびくりと肩を揺らして驚く。


「リーディア様。 ディナーのお時間です」

「え、ええ。今からいきますわ」


 思っているよりも長い時間考え込んでいたようですでに外は夕方を過ぎて薄暗くなっていた。

 世話役のメイドが私にいつものようにディナーの時間を知らせると、私は部屋のドアを開けに向かう途中で足を止める。


(ディナーってことは王妃様とエリク様がいる。この二人が偽りの記憶を植え付けた犯人?)


 私は止めた足を再び動かしてドアを開けると、何事もなかったかのようにメイドに笑顔を振りまきいてダイニングへと向かい始める。


(要するに周りの人間は誰が敵か、誰が味方かわからない。ひとまず記憶が戻ったことは隠しながら見極めるしかない)


 いつもなんてことない廊下が今日はやけに短く感じた──



 ダイニングに到着してディナーの席に座ると、テーブルの奥には王妃様がいて私の隣にエリク様がいる。

 私はいつものように前菜のテリーヌにゆっくりとナイフを入れると、この一年で培ったテーブルマナーを使って上品に食べ始めた。


「今日は皆揃ってよかったわ」

「ああ、母上。こうして三人揃うのも久々だからね」

「それはあなたが公務公務と忙しいからでしょう?」

「実際に忙しいのだから仕方ありませんよ。王は床に伏せられていますし」


(そう、王は床に伏せっているということはずっと言われ続けていた。しかし、私は一度もその姿を拝見したことがない。床に伏せっている理由も知らない)


 メイドが私の飲み干したグラスに水を注いで、さっと後ろに下がる。


(それに私はこの”二人”のことを最も怪しんでいる)


 私はスープをそっと手前からすくうと、そのまま口元へと運んで飲み込んだ。


(この二人を怪しむ理由は最も私に近い存在だから。彼らが犯人だとしたら、現代から来た私と普通に接しているのも説明がつくし、彼らが犯人でない場合18年間の婚約生活の説明がつかない。ただ、私と同じように魔術師に記憶を改ざんされている被害者の可能性もまだ否定できない)


「そういえば、リーディアちゃん。エリクは優しくしてるかしら?」

「ええ、とても優しくしていただいております。先ほどもオルゴールという素敵なものをいただきまして」

「まあっ! あれいいわよね! わたくしもエリクに見せていただいたときはなんて美しい音色かしらと感心したわ」

「とても上品で王妃様の好みに合いそうでしたわ」

「エリク、今度わたくしにもいただけるかしら?」

「今度手に入ったらお渡ししますよ」

「待っているわ」


 私はそっとメインのお肉にナイフを入れると、口に運ぶ。

 なんて美味しいんだろうかと現代の生活を思い出したからこそ肉の質の違いがわかってしまうこの悲しさ……。


 しっかりとデザートまで堪能して口を布で拭うと、二人に続いてディナーの席を立った。

 相変わらずなんか落ち着かない廊下だな~と豪華絢爛に飾られた絵画の数々を眺めながら自室に戻って歩く。

 廊下だけで何メートル走できるんだろう、なんてことを思いながら自分の部屋のドアを開けた。



「あ~疲れたあ~」


 ようやく緊張から解放されたという安心感からリーディア人格ではありえないほどのだらしない言葉が部屋に響き渡った。

 ベッドに身体を預けると、そっと目を閉じながら考え始める。


(今の段階では王妃様とエリク様が怪しいのは確かだけれど、彼らだけで記憶を操作したのなら他の使用人や王宮で会う人々もわかるはず。まさか、全員グル? そんなことは……いやありえるか。私に会う人はいつも同じ世話役メイド、宰相、騎士団長。外の人にもあったことないし、せいぜい10人もいない)


 ベッド脇のテーブルにあったコップに水を注いでそれをごくりと飲み干すと、顎に手を当てて考えてみる。


(どこから確かめる?)


 そう考えて、頭の中に容疑者を思い浮かべるとその中で最もボロが出そうな性格をしている人物にたどり着いた。


(やはりここはいつも話しているメイドのリアか)


 メイドに最初の探りを入れることを決めた私は、そっとベッドの中で目を閉じて眠った──



***


【ちょっと一言コーナー】

今日のディナーのスープはコーンスープだったそうですよ。

お肉はもちろんビーフ!


【次回予告】

私の記憶がよみがえったユリエ。

誰が敵でだれが味方かわからない彼女はメイドから少しずつ切り崩していくことに。

そして新たな事実も判明して……!

次回、『第3話 調査』

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