第百四十二話 おそうざい食堂に集う者たち➀
朝食の席で、
「だいじょうぶか香織? なんか目の下が黒いぞ」
「うん、なんだか疲れた顔してる。ちゃんと寝てるか?」
香織は慌ててお味噌汁をすすってにっこり笑う。
「だ、だいじょうぶよ! ほら、王様にお料理を作るなんてやっぱり緊張するじゃない?」
華老師や小英、青嵐にも、今いろいろと作っている試作品については胡蝶たちと同じ説明をしてあった。
「だからちょっと疲れてるっていうか……でもちゃんと寝てるからだいじょうぶよ!」
「わしが夜明け前、厠へ起きたときは厨からこうこうと灯りがもれていたがのう」
と心で叫ぶが、もう遅い。
「だじょうぶじゃないじゃん!」
「やっぱり寝てないんじゃないか!」
「は、はは……」
両脇から二人に詰め寄られ、香織は言い返す言葉もない。
華老師が箸を置いた。
「香織。がんばりたい気持ちもわかるが、よい仕事をするには睡眠も大事じゃぞ」
「はい……」
しゅんとする香織の肩を、華老師はぽんぽんと叩いた。
「もう少し自分をいたわって、睡眠を取るのじゃよ。おそうざい食堂に来る人々はな、美味しいお惣菜も楽しみだが、香織の元気な姿に元気をもらいに来ているんじゃから」
小英も青嵐もうんうんと頷いている。
「おそうざい食堂、ますます人が集まってくるようになったもんな」
今ではお昼前、華老師宅の家の前には行列ができるのが当たり前となっている。
「席が少ないから、どうしても行列ができちゃうんだよな」
「そうよね……わたしも、ちょっと気になっているの」
せっかく来てもらってもすごく待たせたり、時にはお惣菜が売り切れてしまうこともある。
そんなときはできる限り、おにぎりや昆布の佃煮などわずかに余ったお惣菜を包んで持って帰ってもらうようにしているが、香織としては来てくれた人には待たせずに座ってご飯を食べてもらいたい。
食べたい時が食べ時。
前世からずっと、香織の信条の一つだ。
どんなに美味しいものでも、うんざりするくらい待たされて食べるのでは美味しさが半減してしまう。
「だから――おそうざい食堂を、別の場所でやるっていうのはどうかしら」
少し前から考えていた。
このまま華老師の家の庭を借り続けるのも申しわけない。
賑やかでけっこうと華老師は言ってくれるが、実際、人が集まれば庭木が折れたりゴミが増えたり、問題がないわけではない。
売上は貯まり続けている。食材はご近所さん、時には遠方からのお客さんも持参してくれるし、香織は吉兆楼のお給金から食材その他必要な物を買っている。場所代だと華老師にお金を渡そうとしても頑なに固辞されるし、小英にはお小遣い、青嵐にはお給金を渡しているが、それでもおそうざい食堂の売上は貯まる一方なのだ。
「おそうざい食堂の売上で、別の場所を借りるか購入することを考えていたんです。でもわたし、建安の土地や建物のことよくわからなくて……」
どこで手続きをしたらいいのかなど、事務的なことを考えているうちに日々のことや会談料理人の話が持ち上がり、頭の隅に追いやられていた。
「いいと思う! 場所が広くなれば、お客を待たせることもないし」
青嵐が言うと、小英も頷いた。
「そうだな、たくさんの人に利用してもらえるのはいいことだしな」
「この近くで、どこかいい場所はないかしら」
「でも、店ってどうやって買うんだ?」
「いちばん手っ取り早いのは、借りることじゃな」
華老師が言った。
「建安は王都じゃ。土地は基本、王の所有物。王都に屋敷を置く貴族諸侯をのぞいて、庶民は土地に税という名の金を払う。建物を借りるときも賃貸料金を払うが、土地に払う税金よりは安いじゃろう」
「そうなんですね。じゃあ、賃貸物件を探してみます! あ、でも賃貸物件、どこで探せばいいんですか?」
「いくつか方法はあるが、役所に行くといい。役所は古い物件が多いし格安というのはないが、建物の由来がしっかりした物件が多いのでな」
「わかりました! 今日、さっそく少しお役所をのぞいてから吉兆楼に行きます」
「香織、俺もこれ食べたら、ちょっとお役所に行ってみるよ。心当たりがあるんだ」
「心当たり?」
「うん。食堂始まる前には帰ってくるからさ」
青嵐がそう言って、急いでご飯をかっこんだ。
「そう? ありがとう青嵐、気を付けてね」
「俺たちも往診に行きながら、お役所に寄ってみますか?」
「そうじゃな。今日は青嵐が行くなら、明日にでも行ってみるかのう。今日の往診先には貴族の屋敷も何軒かあるから、そちらでも聞いてみようかの」
そんな話をしながら、香織たちが朝食の片付けを始めた頃。
「ここか」
涼やかな美貌の青年が、街路樹の影から華老師宅を見ていた。
しばらくして、少年が一人走って出かけていった。その少し後で少年と老人が出てきて、出かけていく。
その二人に手を振って、野菜をたくさん積んだ荷車を引いてきた親子がやってきた。親子は荷車を華老師宅の中へ入れようと、懸命に荷車を押している。
「——手伝いますよ」
突然現れた青年に、
「ふう、助かったよ、ありがとう。いつもなら青嵐が出てきて手伝ってくれるんだけど、留守かねえ。ところで手伝ってもらってなんだけど、あんた、この辺りじゃ見ない顔だね」
「私は
白い歯を見せて笑んだ青年に、明梓は頬を赤らめた。
「いい男だねえ。惚れ惚れする。そうだ、ここの料理長を紹介するよ。香織! 今、ちょいと話せるかい!」
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